第8話

 あれから、私は学校へ行かなくなった。

 毎日制服を着て、校門の前までは行くけれど、どうしてもその先へ進めないのだ。

 ……爽に合わせる顔がないのだ。爽の運命を受け入れる勇気がないのだ。

 顔を合わせたらきっと、泣いてしまう。爽を思い切り傷付けた私に、そんな資格はないのに。

 まるで、二年前に戻ったような感覚だった。

「朱里……私は、どうしたらいいんだろう」

 旋風つむじかぜが落ち葉を巻き上げる乾いた音だけが、私の耳を鳴らしている。

 朱里が眠る墓地の前でうずくまっていると、ごろごろ、と遠くで雷の音がした。季節外れの夕立のようだ。

 ほどなくして、しとしとと雨が降り始める。制服が濡れるのも気にしないで、私は灰色の空の下にうずくまっていた。

『こんなことなら、会わなきゃよかった』

 なんてことを言ってしまったんだろう。

 だれより爽がつらいはずなのに。

 あんなの、完全に八つ当たりだ。

 私はどこまで自分勝手な人間なんだろう……。

 小さくため息をついた、そのときだった。

「あっ! 見つけた!」

 爽の声がして、驚いて振り向くと、そこにはやはり爽がいる。

「陽毬!」

 爽は肩で息をして、苦しそうに胸を押さえていた。私は弾かれたように立ち上がって、逃げようと背中を向ける。

「待てよ! 陽毬っ!」

 背後から爽が叫ぶ。けれど、私はかまわず逃げる。走り出した直後、背後でべしゃっとなにかが地面に擦れる音がした。恐る恐る振り向くと、爽が倒れていた。

「爽っ!」

 慌てて爽の元へ駆け寄る。抱き起こそうとしたとき、パッと腕を掴まれた。

「捕まえたっ!」

 見ると、爽はイタズラが成功した子供のような顔で私を見上げている。

「陽毬! もう逃がさないぞ」

「も、もしかして、転んだの演技っ!?」

 慌てて爽から手を離そうとすると、爽はにやっと笑って私を掴む手に力を込めた。してやられた。

「は、離して。帰る」

「ダメ! お願いだから話をさせてよ。俺、陽毬と喧嘩したまま死ぬのだけはいやなんだよ!」

「っ!」

 息が詰まった。

「なんで……」

 爽はいつだってまっすぐに、私に向き合おうとしてくれる。私が目を逸らしても、逃げようとしても許してくれない。

「私のことなんて忘れなよ……私なんて、爽を見捨てた最低な人間なんだから」

「なに言ってんの。陽毬はなにも悪くないよ。突然あんなこと言われて、受け入れられるわけないんだから」

 そんなことを言われてしまったら、私はもう動けない。

「……爽は、なんでそんなに優しいの? 怒ればいいじゃない! 勝手に避けたのは私なんだから」

 爽の手が、私を強く引き寄せる。気が付けば、私は爽の腕の中に収まっていた。

「怒るわけないだろ。陽毬は俺の好きなひとなんだから……。なにされたって怒らないし、陽毬が決めたことならなんだって受け入れる。だけどさ、一個だけいやなのは、陽毬にきらわれること」

「……意味分かんない」

「そっか。分かんないか……」

 ははっと、寂しそうに爽は笑う。

「でもさ、俺、陽毬のこと本当に大好きなんだよ。どうしてもきらわれたくないんだ」

「……だから、なんで? 爽はクラスでも人気者で、私じゃなくたっていくらでも彼女作れるじゃん! なのに、なんで私なの」

「好きって感情に、理由なんてないよ。たぶん俺は、何度人生を繰り返しても、陽毬を好きになるよ。それくらい好きな自信ある」

「……じゃあ、なんで病気のこと黙ってたの?」

「それは……」

「私に言う必要がないと思ったからでしょ! 私のことなんて、その程度にしか好きじゃなかったから……」

「違うよ!」

 爽が珍しく声を荒らげて私の声を遮る。爽の声に、私はびくりと肩を震わせて口を噤む。

「……違うよ、違う……。俺が陽毬に病気のことを言えなかったのは、怖かったからだ」

 爽は私から体を離して、静かに目を伏せた。

「陽毬を傷つけるのが怖かった。……いや、違う。陽毬が、俺から離れていくんじゃないかって思ったんだ。だって俺が死ぬのはもう決まってたから。ずっと一緒にいられないのに、俺といる理由、陽毬にはないから」

 ずきん、と脈が止まるんじゃないかと思うほど、心臓が痺れた。

「それはっ……」

「陽毬は俺を避けたでしょ。学校にも来なくなった」

 なにも言い返せないまま、唇を引き結ぶ。

「やっぱり、言わなきゃ良かったって後悔した。ちゃんと向き合いたいと思ったから話したけど……関係が壊れるくらいなら、話さないまま死ねばよかった……っ!」

 たまらず、爽を抱き締める。

「ごめん……っ! ごめん、爽! 私……、爽がいなくなるって思ったら悲しくて、怖くて……自分のことばかりで、爽のことぜんぜん考えてなかった。私が苦しいとき、爽はずっとそばにいてくれてたのに……」

 爽の体は、頼りなげに震えている。そのぬくもりに、私は決意する。

「……私、悲しむのはもうやめる。だから、爽……」

 もう一度、私と付き合ってください。

 そう言うと、爽はくしゃくしゃな泣き顔で、私をぎゅっと抱き締めてくれた。

 それからはふたりでいろんなことをした。たくさん会話をして、遊園地や映画館やショッピングデートをして、たくさんたくさん笑い合った。親の承諾の元、長野から少し離れたテーマパークへ旅行にも行った。


 そして、翌年の初春。

 桜が赤い蕾をつけ、私たちの卒業を祝福する春が来る少し前……爽はみんなに見守られて、安らかに眠りについた。

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