第2話
姉の
私が高校一年生のときのできごとだった。
甘い
毎晩目を閉じるたびに、昨日のことのように蘇る光景に、息を忘れる。朱里の虚ろな目が、じっと私を見ている。
紫色の唇が、ゆっくりと動く。
『――この人殺し』
あの日、私の心は死んだのだ。
爽と出会ったのは、朱里を失った二年後のこと。
季節外れの転校生として、私は
「
朱里の事故から二年が経った今、私は姉の朱里と暮らした東京を離れ、
理由は、両親が離婚したから。私は母に引き取られるかたちで、母方の実家があるこの長野県に引っ越してきた。
母は私に、父とは仕事の都合ですれ違ってしまったのだと言っていたけれど、おそらく違う。
両親の離婚は、朱里の死がきっかけだ。朱里が亡くなってから、うちは壊れてしまった。そしてその朱里の死は、他ならない私が原因。つまり結局は、私のせい。
私のせいで家族はばらばらになったのだ。
「卒業まであと半年足らずという短い時間だけど、みんな宝生さんと仲良くしてくださいね。席はえっと、どうしましょう……」
先生が教室内をきょろきょろと見回す。
「はーい、先生! ここ空いてるよ!」
窓際から二列目の席に座っていたひとりの男子生徒が、元気よく手を挙げた。
「立花くんのとなりか。うん、じゃあ立花くん、宝生さんにいろいろ教えてあげてくれる?」
「よっしゃあ! 俺、可愛い転校生に学校案内するの夢だったんだよ〜!」
クラス中がどっと笑いに包まれる。
人懐こい笑顔を私に向けたその男子生徒は、どうやら人気者のようだった。
「じゃあ宝生さん、立花くんのとなりの席について」
「はい」
私が席に着くと、その男子生徒――立花くんは、まっすぐに私を見つめて笑った。
「俺、立花爽。よろしく!」
近くで見ると、ずいぶんと色白な肌をしたその人は、明らかに地毛とは思えない栗色の髪をしていた。幼い顔つきのせいか、茶髪はあまり似合っていない気がする。黒髪ならきれいな顔がもっと目立っていただろうに、もったいない。
……まぁ、私には関係のないことだけれど。
カバンから教科書を取り出しながら、私は小さく会釈した。
「……よろしく、お願いします」
これが、私と立花爽との出会いだった。
立花くんは、不思議なひとだった。
自由奔放のようでいて、実は周りをよく見ている。だれかが落ち込んでいれば真っ先に声をかけ、いじめが始まりそうな予感があればしれっと間に入る。
おしゃべりで
だから、クラスではとても人気者。いつだってクラスメイトたちに囲まれている。
立花くんは正に、死んだ姉の朱里だった。
転校して、約一ヶ月。
予想どおり、正義のひとらしい立花くんは、だれとも関わろうとしない私にまで積極的に話しかけてくる。
だから私は、私なんかのことをかまってくる立花くんのことが、あまり好きではない。
「ねぇ、宝生ってさ、いつもひとりで勉強してるよね。なんでなの?」
「……あなたこそ、なんで私のことなんてかまうの」
「え、なんでって……気になるからだけど?」
そう、立花くんはさらっと返しながら、自分の教科書を私の机にスライドさせてくる。
「ね、この問題教えてよ」
「…………」
「聞いたよ。宝生って、転入試験満点だったんでしょ? すごいじゃん!」
先生が噂してたの聞いちゃったんだ。そう、のんびりとした声で、立花くんは言った。
「べつに、なにもすごくない」
「そんなことないよ! 俺には絶対無理だもん!」
「…………」
まっすぐな眼差しから逃げるように、私は立花くんから視線を逸らした。机に向かったまま、ぽそりと言う。
「私は、勉強していい大学に行かなきゃいけないって決められてるから。そのために必要な勉強をしてるだけ」
「……もしかして、親が厳しいの?」
立花くんが心配そうな顔をして訊ねてくる。
「……そうじゃないけど……でも、私はもっと立派にならないといけないの。そのためには、今のままじゃだめ。もっともっと勉強しないと」
自分自身に言い聞かせるように呟きながら、私は再び机に向き合う。
「ふぅん……なんかよくわかんないけどさ、勉強ばっかりじゃ息が詰まらない? 勉強するのはえらいことだけどさ、息抜きも大事だよ? ちゃんとしてる?」
「……それは、限界まで勉強した人が言う言葉でしょ。あなたこそ息抜きばかりでそんなに努力してなさそうだけど」
「おっと、ツッコミ鋭っ!」
「…………はぁ」
からからと笑う立花くんに呆れ顔を返す。すると、立花くんはどことなく気まずそうに苦笑した。
「冗談だって! もう、そんな怖い顔しないでよ」
「……べつに、怖い顔なんてしてない」
「そ?」
「…………」
「あっ! いいこと考えた!」
……いやな予感がする。
「ねぇ! 今日放課後、デートしようよ!」
「…………」
やっぱり。
どういう思考回路を辿ればそういう言葉が出てくるんだろう。
「あれ? 聞こえなかった? デートだよ、デート!」
「……聞こえてるってば」
本当に気ままなひとだ。私がやんわり拒絶していることに気付いていないのだろうか。
どちらにせよ、私の答えは決まっている。
「悪いけど、テストも近いし、勉強しないといけないから」
私はそう返すと、再び机に向かった。
「え〜、そんなつれないこと言うなよ〜。ちょっとでいいからさぁ」
私には、友達を作る暇なんてない。だれかと遊ぶ暇なんてもっとない。だって私は、『朱里』の代わりなのだから。
「なぁ、行こ?」
「行かない」
「行こーよー!!」
「行かない!」
あぁ、もう面倒くさい。
私は嘆息しながら、心の中で思った。
早く席替えして、このひとと離れないかな、と。
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