苦難⑧ 白狼への尋問
(ん……)
顔にひんやりとした風を感じたドーチェの身体が、反射的に丸まる。
その姿はまるで、巣で眠る一匹のリスのようだった。
しかし、リスとは違い彼女にはもふもふの体毛など生えていない。
結果その断続する冷気には耐えられずに、とうとう目が覚めてしまった。
(雨で体が冷えたのかな……? だとしたら早く着替えないと……)
冷えた肩と足を擦って暖め、彼女はむくりと体を起こす。
周囲を見渡すと、自分は今のソファに寝かされていたことに気づいた。
すると……
「……もう一度聞くぞ、狼。お前の目的は、本当に俺たちを殺すことか?」
(……ころす?)
微睡むドーチェの目が、物騒な単語で一気に覚める。
声のした方向を見るとタイラーが椅子に腰かけており、視線を少し下方——向かい合った椅子の足辺りに落としていた。
その顔はいつになく険しく、ひじ掛けには頬杖をついている。
そして、彼の視線の先から聞こえてきたのは、あのときと同じ声だった。
「だーかーらー! そうだってさっきから言ってるじゃねえか、名無し様よぉ! オレはな、お前と【戦乙女】の姉ちゃんを殺しに来たんだよ!」
「殺しに、来た……」
ドーチェが思わずその言葉を小声で繰り返してしまう。
それが聞こえてしまったのか、椅子の下から白い毛に覆われた耳がニョキッと伸び上がってきた。
その下では金色に輝く双眸がぎょろりとドーチェの方を見ていて、口からは嬉しそうに舌が垂れている。
その見たことのある『狼』の姿に戦慄したドーチェは、素早くタイラーが座る椅子の後ろに回った。
「よお、【戦乙女】の姉ちゃん、やっと目が覚めたんだなあ!」
「ソーン……」
「おっ、オレの名前覚えててくれたのか? ギャハハ、なんか嬉しいぜ!」
「嬉しいですって? あなた、さっき私達を殺しに来たって……!」
そうドーチェが問い詰めると、ソーンは「んん!」と困ったような声を上げる。
しかしすぐに欠伸を一つして、持ち直した。
「そうさ、オレは姉ちゃんたちを殺しに来たんだ。 嬉しいってのは……そう、殺す前にまた姉ちゃんの声を聞けて、後腐れなく殺せるって意味だよ」
「……!」
ソーンが鋭く尖った犬歯を見せたその瞬間、彼女の脳裏に『死の恐怖』が過る。
足元には、自分の血でできた赤い海。
口内は鉄の匂いで満たされ、呼吸はヒィヒィと浅くなる。
遠くなる耳に響くのは、見知った人の怒号。
(そんなの、もう嫌だ!)
ドーチェは歯を食いしばって、恐怖を押し殺す。
そして恐る恐る右の掌をソーンへと向けた。
相手は、自分を殺しかけた化け物。
【呪文】でも剣術でも、自分に勝ち目は万に一つもない。
それでも、あのときのようにむざむざ殺されるつもりは彼女にもなかった。
自分はもう、あの時の震えるばかりの【戦乙女】崩れではないのだから!
「おお、なんだ姉ちゃん、オレを殺る気か?」
「ええ、そうです! 確かにあなたは強い……それでも私は!」
「いいねえ、その目! 少しは楽しめそうだ!」
「その余裕、いつまでも続くと思ったら……」
大間違いです!
彼女がそう啖呵を切ろうとしたときだった。
彼女の眼前に大きな手が伸び、彼女の顔がそれに掴まれ抑え込まれる。
それは、椅子に座ったタイラーのものだった。
「ん~~~!? む~~~!」
堪らず彼女が両手をバタバタさせるが、彼の拘束力には敵わなかった。
「そこまでだ、ドーチェ! その口上、中々立派だが今は抑えろ!」
「
「お前が倒れる少し前、俺はこう言った! コイツには聞きたいことがあるとな!」
「
あくまで食い下がろうとするドーチェ。
その間にも彼女は、魔力を込めた掌をソーンへと伸ばし続けた。
邪竜の急所に向けて放った【
この近距離で食らえば、ソーンであってもそれなりの打撃となると考えたからだ。
しかし……
「落ち着け! 確かにコイツは俺たちを殺したいらしい! だがそれなら、なぜあの戦いの後すぐに来なかった!?」
「ふぇっ……!?」
タイラーの一言に、ドーチェの頭に少し冷静さが戻る。
ソーンを【世界樹】の底へと落とした後、ヘルと邪竜を倒すまで約一週間。
そこから自分が傷を癒し、正式に【戦乙女】になるまで二週間かかった。
確かにその間、こちらを殺すチャンスはいくらでもあったはず。
直後はまだしも、邪竜を倒した直後ならタイラーも消耗していたし、【世界樹】全体の警備が厳しくなるまで少し猶予があった。
それなのに、なぜ彼はこちらを襲ってこなかったのか?
「俺はな、コイツには他にここに来る理由があったのだと思っている」
「他の、理由ですか?」
タイラーからの拘束を解かれ、ドーチェが痛む頬を擦りながら尋ねた。
「ああ、でなければ説明がつかないことがいくつかあるからな。 例えば——」
——どうして殺しに来るのに、真っ黒に焦がされる必要がある、とか。
そうタイラーに指摘されたソーンは、呻くようにこう言った。
「あーあ、言わなきゃいけない流れだな、こりゃ……」
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