苦難④ 朝食での一幕

*今回の話の後半で、読む人によっては不快に思われるかもしれない部分があります。 予めご了承ください。



「——というわけで、多忙なオーディンに代わって俺がお前の【ミッドガルドにんげんかい】行きの世話をすることになった。 お前としては不本意だろうが、またよろしく頼む」

「不本意だなんて、とんでもありません! 私はその、突然ここに連れて来られたことに驚いたのと、姉様たちにどう言い訳しようか考えていただけで……」


 一夜明けた、朝食前のダイニング。

 テーブルを挟んだ先に座る弟子——ドーチェの表情が優れないように見えたのか、タイラーはドーチェに頭を下げる。

 それにドーチェが慌てて弁解をした。


「陛下がご多忙なのはよく存じています。 それに私も、タイラーさんとなら他の方より緊張せずにお話ができると思いますし」

「そう、なのか?」

「ええ。だってあれだけのことを一緒にやってのけたのですから。 ……お互いを知り過ぎている気がしなくはありませんが」

「まあ、な……」


 タイラーが照れ臭そうに顎髭を触る。 それに釣られてドーチェも頬を軽く掻いてみせた。

 たった一か月間、共に【世界樹ユグドラシル】を巡った二人だったが、その中で二人が新たに知り、勝ち得たものは存外に大きかった。

 しかしそれ以上に、それまで他人同士の間柄だったにしては、自分をさらけ出し過ぎた感が二人にはあるのもまた事実だ。

 互いの素性、本音、弱みやその他諸々……。

 それを吐露したときのことを思い出すと、急に照れ臭く感じてしまうのだった。


「ともかく、俺に出来ることはさせてもらうつもりだ。 それに今回はオーディンにも許可をもらっている。姉たちに気兼ねすることはない、存分に頼ってくれ」


 そう言ってタイラーが、二本の『黒い羽』を手に取ってドーチェに見せる。

 端々が蒼く光るその羽は、まさしくオーディンが使役する二羽の鴉、【フギン】と【ムニン】のものだった。

 それはすなわち、オーディンがタイラーに伝令を送ったことの証拠でもある。


「はい、よろしくお願いいたします!」

「フッ、元気がいい返事だけは相変わらずだな」

「へ、返事以外も良くなったんですよ! 捻くれた『師匠』のおかげで!」

「わかった。 期待は——しないでおく」

「もう!」


 微笑むばかりのタイラーに憤慨したドーチェは、やおら手短に主神に祈りを捧げ、籠に入ったパンを手に取る。

 その表面に苺のジャムをこれでもかと塗り、大きく開けた口へと運んだ。


「おいおい。 昨日やけ食いしたくせに、まだそんなに食べるのか? せっかくもらった鎧が入らなくなっても知らんぞ?」

「むぐむぐ……大丈夫です、これから策を練るために頭を使うのですから!」

「腹いっぱいで居眠りしても起こしてやらんぞ……」


 そう小声で呟きながら、タイラーも同じ籠からパンを一つ取った。



 *    *    *



「もきゅもきゅ……それで、タイラーさんにはなにか策はあるのですか?」

「……さっきはああ言ったが、今のところ皆無だ。城を離れていたこともあって、俺は【神々の黄昏ラグナロク】より後の人事や技術についてはあまり詳しくなくてな」

「うーん、特に【天馬グラニ】はここ百年くらいの技術ですからね……」


 パンくずがついたドーチェの口が困ったように歪む。

 今回タイラーが引き受けたのは、


『【天馬】以外で【ミッドガルド】に行く方法を彼女と一緒に探すこと』


 だった。


 タイラーも、【ミッドガルド】には【虹の橋ビフレスト】を使って何度も行ったことがある。

 だからドーチェを【ミッドガルド】に行かせるだけなら、彼の伝手つてを使って【虹の橋】を彼女に渡らせればそれでよかった。

 しかし……


「俺は【戦乙女ワルキューレ】ではないからよくわからんが、【虹の橋】が出るのを待つのではダメなのか?」

「ええ……今【ミッドガルド】は文字通り『狩り場』なので」


【戦乙女】たちは、【エインヘリヤル】という人間の配下を持ち、日々彼らと次なる戦いに備えて鍛錬を続けている。

 ただし【世界樹】のある【アースガルド】は聖地——『死後の世界』だ。

 だから彼女たちが使役するのは、死んだ人間の『魂』ということになる。

 その魂を集めるため、【戦乙女】は【ミッドガルド】に行くわけだ。


 すると【戦乙女】たちは、自然とこんなことを考えるようになる。


 ——沢山の魂がいる場所に行けば、多くの配下を集められるはず。

 ——配下を多く集めれば、当然戦いにおいても有利に働く。

 ——そしてなにより……オーディン様に褒めてもらえる!


 結果、彼女たちに一つのが生まれた。

 始めに【戦乙女】たちは【ミッドガルド】に視察へ行き、人間たちの間で『戦争』が起きそうな場所や時に目星をつけておく。

 そしていざ『戦争』が始まったら、戦場へと急行。必死に戦い力尽きた人間の前に現れ、自分の配下になるよう導くのである。

 そしてそれを繰り返すことで、どんどん配下を増やし、強くするのが彼女たちのルーティンだった。

 その魂の集め時である『戦争』が、今【ミッドガルド】で起こりつつある。

 だから彼女たちは我先にと【天馬】を駆り、多くの魂を『狩る』ために【ミッドガルド】へ行くのである……。


「神々から犠牲を出さないため、人間を使って代わりに戦争をさせる、か。 確かに神が一柱消えればそれだけで世界のバランスが崩れるのかもしれんが、どうにも解せん。頭でっかちなアイツオーディンが考えそうな仕組みシステムだ」


 パンをちぎりながら、タイラーがフンと鼻を鳴らす。

 その様子にドーチェが、ムッと眉をしかめた。


「ですが、人間たちもただ死ぬより【エインヘリヤル】となった方が幸せだと思います! 武勲を上げれば、それだけここでの生活が保障されるわけですし!」

「どうだかな。 そもそも永遠に戦い続けるなど、並大抵の者では無理だ。 屈強な神々であってもそうなのだから、人間ならば尚更だろう。 そのことをアイツはわかっているのか……」

「し、しかし、その仕組みによって世界が回っているのですから、よいではありませんか!」


 尊敬するオーディンを否定されむきになるドーチェを、「そうだな」とタイラーが宥めた。


「まあ、まずは【エインヘリヤル】を導かなくてはな。 そうなって初めて、わかることもあるかもしれん」

「ええ、導いて差し上げますとも! そして同時に、この仕組みがどれだけ優れているのかもお見せいたします!」


 そう意気込むドーチェの口には、血が滴ったようなジャムの跡があった。

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