苦難⑤ 焦燥の戦乙女
「よし、次はお前から見て右上の枝——その辺りの出っ張った枝は、芽を一つか二つ残して全部伐れ」
「…………」
朝食の後、タイラーとドーチェは作業着に身を包んで庭へと繰り出した。
『無心になって植物に向かえば、良い『策』が浮かぶかもしれない』
そうタイラーが提案したからだ。
庭では春が終わり、黄緑色の若芽が生垣のあちらこちらで顔を出している。
今はそれを二人で刈る作業をしているところだった。
慣れた手つきでタイラーが枝を伐っていく一方で、鋏を握るドーチェの手の動きは遅々として……というより完全に止まっていた。
「こら、梯子の上でぼおっとするな!」
「す、すみません!」
慌てて手を動かすドーチェに、タイラーはため息とともに白い目を向けた。
「考え事をするのはいい、俺が勧めたことだからな。 だが、今お前がいるのは梯子の上だ! 油断をすれば、大怪我では済まんぞ!」
「はい!」
手が止まっていた分をなんとか挽回しようと鋏を手早く動かすドーチェだったが、そこに更なる言葉の鞭が飛ぶ。
「待て待て、手元をよく観ろ! 必要な芽まで伐っていないか!?」
「えっ……あっ!」
ドーチェが手元を見て、短い悲鳴を上げる。
彼女の手元には、若芽が一つもない数枚の葉だけが残る枝があるだけ。
これでは枝の成長が遅くなるどころか、最悪立ち枯れてしまう可能性がある。
そのことを、ドーチェもよく知っていた。
一か月前、座学やタイラーから言われて学んだばかりだったからだ。
「……もういい、その枝は根元から伐ってしまえ。 無論そこだけ穴が開いて見栄えが悪くなるが、お前のしてしまったことの証として残しておけ」
「はい、わかりました……」
邪竜と戦ったときみたいに、あの『枝を伸ばす粉』を使えばいいのに——。
あなたが『神様』だと私も知っているのだから、少し位いいじゃないか。
大きめの剪定鋏『三号』で枝を伐りながら、ドーチェは心の中で愚痴を呟く。
すると……
「お前が焦っているのはわかっている。 俺も元『師匠』として、なんとかしてやりたい——それは本当だ」
「タイラーさん……」
「だが、今はとにかく『策』がない。無知な己を棚に上げているのは重々承知だ。 こうして手を動かせば、と思ったのだが……やはりそう上手くはいかんな」
「……」
生垣に向かいながら、タイラーがポロリと弱音を吐いた。
「どうやら俺は、『感覚』で物を言う節があるようだ。 少し前にも、オーディンの奴に『昔からそこは変わらない』と笑われてしまったしな」
「オーディン様に?」
「ああ。
「あの『邪竜堕とし』の折に、ですか?」
ドーチェの問いに、タイラーは「ああ」と短く答える。
今から数週間前。
タイラーは弟子だったドーチェと老魔術師『ナドゥ(オーディン)』と共に、彼に復讐しようと【世界樹】へと侵攻してきた魔女『ヘル』に戦いを挑んだ。
その際作戦を発したのはタイラーであり、実際にその作戦は成功を収めた。
しかし後から考えれば、それは彼が経験によって導き出したもので、決して理論立てられたものではなかった。
——敵に自らドンとぶつかっていき、最後は力技で押し切る。
それが、彼の物事への相対し方だった。
敵によっては意表を突かれたり、うまく乗せられたりで効果的ではあるだろう。
しかし、それを味方へと向けても同様にうまくいくかと言えばそうではない。
オーディンとの間に、長きに渡る『因縁』を生んだのがいい例だった。
「だから俺も、最初はお前をまた預かることを躊躇った。 だが……」
「だが?」
怪訝そうな顔をするドーチェを尻目に、タイラーは話を続けた。
「お前を見ているとな、どうにも手を貸さずにはいられんようなのだ。 昔のアイツを見ているようで、な」
「アイツ……オーディン様のことですか?」
「ああ。お前からすれば不快に感じるかもしれないが、本当にそうなのだ。 高い理想に心を燃やし、それに到達しようと必死になるその姿がな」
「は、はあ……」
突然の褒め殺しに、ドーチェは照れ臭そうに頭を掻く。
「またアイツに言われたことになってしまうが、お前を預かったのは俺の行き過ぎたお節介——『エゴ』だ。 お前がそれを我慢ならないと言うのなら、ここから出て行っても俺は何も言わん。 今のお前は、一人でも大丈夫……そう俺は確信している」
「…………」
ドーチェは、黙ったまま持っていた鋏をじっと見つめる。
その脳裏には、タイラーとの旅の情景が浮かび上がっていた。
思えばあの旅の間も、どこか少し焦っていたような気がする。
それによって自分の身を危険に晒したし、タイラーやナドゥの意見を素直に受け取れないこともあった。
だから……
「タイラーさん、それ程までに私のことを想っていただき、ありがとうございます。 ですが私は、まだあなたの言うような一人前ではありません」
「謙遜することはない。 お前はあの旅で十分に……」
「いいえ、謙遜ではなく事実です。 だって思い通りにならないだけでべそをかきますし、主君を貶められるだけで憤るのですから。 だから私は、もっともっと慎重に、そして狡くならなくてはなりません! そのためにも存分に頼らせてもらいますよ、『師匠』?」
「まったく……そこはアイツに似なくてもいいんだがな」
そうしてその『師匠』と『弟子』は顔を見合わせ、互いにフフと笑い合う。
しかしそんな二人の『再始動』を邪魔するかのように、上空には黒雲が立ち込め、今にも一雨来そうな雰囲気だった。
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