庭師は戦乙女の御手を取るか

小向 八雲

第一部

序章

勇気の代償


「おい、お前行って来いよ」


「嫌だよ、そういうお前が行って来いよ」


 隣にいる男たちが、お互いの肩をつつき合っている。

 全くもって、目障りで仕方がなかった。

 勇気がないのなら、その恐怖を抱えたまま黙っているか、この場からとっとと退散すればいい。

 子供にだって出来る、簡単なことだ。


「あれ、絶対腕なくなるよな?」


「当たり前だろ? あの口、腕どころか頭まで食われちまいそうなデカさだぜ」


「いやいや、頭どころか体までバクリ! じゃねえか?」


 さっきとは別の男たちが、腕を振ったり、口を大きく開けたりして、その「口」の大きさを表現しようと躍起になっていた。

 その丸太のように太く鍛え上げられた両の腕は、ただの飾りか?

 それだけ話している間に、どれだけの「呪文」が紡げると思う?


「ナンダア? ココノ戦士ハ、皆『玉ナシ』カァ? ……イヤ、無駄ニ性欲バカリ強

イッテ話ダカラ、『タマ』ダケハ立派カァ! ダーハッハ!」


 それ、見たことか。『大口』に笑われてしまったじゃあないか。

口から涎をまき散らし、縛られた腕が地面にひびを入れる程の大笑いだ。

そして案の定、それに対して言い返す奴もいない。

 ああ、どうしてここの戦士は情けなくなってしまったのか。


「フェン兄さま、あまり下品な言葉を使っちゃダメ。 【王】には品位ってものが必要だって、いつも言っているでしょう?」


仄暗い衣を纏った女が、『大口』の背中を撫でる。

『大口』の奥から、グルルと不機嫌そうなうなり声が聞こえた。

 あれで『大口』の妹だというのだから、産んだ奴の顔が見てみたいものだ。


「へッ。元々オレ様ニ品位ナンザ、アリャシネエヨ! ナア、ミド!」


「そ、そうだね、フェン兄」


『大口』の肩に乗った小さな蛇から、蚊の鳴くような声が聞こえる。


「バカ! ソコハ『フェン兄にだって、品位の欠片くらいあるよ』ッテ言ウトコロダロウガ!」


「そ、そんな、ヒドイよぉ……」


 小さな蛇が、とぐろを巻いて更に身を屈める。

 あれらが本当に、この世に終わりをもたらす『三姉弟(さんきょうだい)』なのか?

【吊られし者】は、いつも訳のわからないことばかり言う。 だから俺は、アイツが嫌いだ。

 アイツの予言は、確かによく当たる。

 だがそんなものに頼りながら、戦士を名乗るなんて片腹が痛い。

 ——だから、俺が示してやる。

 俺の足が、『大口』を取り囲む輪の中に向けズンズンと進んでいく。

 男たちの止める腕を軽く払いのけ、『大口』だけを見据えて向かっていった。

 予言など、信じるものか。

 あんなものは、腰抜けの言葉だ。

 俺は、生まれながらの気高き戦士。

 この腕でこの世を守り、この声で民を鼓舞するのが、戦士の成すべきことだ。


「オッ、ヤット骨ノ有リソウナ奴ガ出テ来ヤガッタ!」


俺は、『大口』を睨みつけながらこう言い放った。


「出て来てやったぞ、望み通りな」


 俺の両目が、ヤツの凍てつく荒野のように白く暗い目とかち合う。

『大口』も俺の視線に気づいたのか、長い舌で口元をぺろりと舐めた。


「ガハハ! 良イネエ、ソノ目。 気ニ言イッタゼ! オ前、名前ハ?」


「名乗る名などない。 どうせ、貴様は俺に倒されるのだからな」


 そうとも、俺は名声など欠片も欲しくない。

俺が欲しいのは、目の前の災厄を打ち倒し、この世を救ったという結果だけだ。


「アォォォン! イイゼェ、ヤッテミロヨ、『ナナシ』!」


「ちょっとフェン兄さま、やる気!?」


「ヘル、オ前ハミドト一緒ニクソ親父ノ処ニイケ! ソシテ伝エロ! オイラヲ殺ッチマイソウナ位、スゲエ奴ガ現レタッテナ!」


「フェン兄さま……」


「フェン兄……」

【大口】の妹と弟は、ヤツの肩から飛び降りると煙のように姿を消す。

  今の俺に彼らを追うという選択肢はなかった。

 こいつが『三姉弟』の最大戦力であることは、【吊られし者】の〝予言〟がなくても、俺自身の〝肌〟が感じていたのだから。


「その大口、二度と聞けなくしてやろう! 【狼の王(フェンリル)】!」


「来イヨォ、『ナナシ』! タダジャ死ンデヤラネエケドナァ!」


 俺の放った右拳が、『大口』に飲み込まれる。

 刹那、凍えるようなヤツの吐息が、俺の右腕から〝触覚〟を奪った。

 流石は黄泉の国から来た狼、身体の芯まで凍てついているのだろうか。

だが俺は、放った拳を『狼の王』の喉、頭蓋まで進ませ、そのまま貫く。

殴り抜けたオレの背後で、【狼の王】は吠え声を上げることもなく、自らの血で出来た海に倒れ伏し、その血しぶきが俺の頭上に降り注いだ。

 やった。 他の誰もやろうとしなかったことを、俺は成し遂げたのだ。

 まだ暖かい血の雨に塗れる俺の心は、いつになく高揚していた。

 しかし次の瞬間……


(なんだ、この感覚は……?)


 右腕から触覚が奪われたことに対しては、何も感じていなかった。

元より、そのくらいの代償は覚悟の上だったからだ。

 異変を告げたのは、俺の〝心〟だった。


(空しい……?)


 熱を感じていたはずの心が、たちまち冷えて凝り固まる。

 聞こえていた周囲からの歓声が、ふっと耳から消えた。

 俺は、これまで一体何をしてきた?

 それは、本当に意味のあることだったのか?

 そもそも俺は、何だったのだ?


『狼の王を倒せし者、勝利と引き換えにその生命以外の全てを失わん』


 結局、【吊られし者】の予言を俺は覆すことが出来なかった。

 なぜなら、戦士として立つべき『戦場(いくさば)』に、未来永劫立てなくなったのだから。

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