つまり僕は、十三歳で暗室に拘束されて以降そのままなのだ。


 こんなときに限って中学の担任が「ダメになるときはとことんダメになったほうがいい。ダメになっていいんだ」と言っていたことを思い出す。当時は、ダメになっていいなんて変なことを教える教師だな、くらいにしか思わなかったが、大人になってからその意味を思い知るとは。


 そんな彼女からメールが届いたのだ。時空を超えてと言っても過言ではないだろう。使わなくなったキャリアメールアドレスなんてもういつ解約してもいいのにずっとそれができなかったのは、今日のためだったのかもしれない。


 美鶴も半分諦めの気持ちで送ったのだろう、文面は電話番号と共に「もしアドレスが生きていたら連絡ください」と締めくくられていた。


 美鶴に会えない間、僕は決めていたことがある。もしも、運命の再会を果たせたならば、今度こそ絶対にチャンスを掴む。


 番号を打つ指はもう震えてなどいなかった。十個の数字を打ち、続けざまに発信ボタンを押す。


 一、二、三、四……


 秒数を数えると急に心臓のアイソレーションがはじまる。念のため手探りでゴミ箱を引き寄せふちを強く握り締めておく。勢いだったとはいえ、本来僕にとってはそのくらい負荷が大きい行動だった。


「もしもし」


「もしもし……あの、どなたでしょうか?」


「増田です。増田章仁……」


「あああーー! 章仁!?」


 聞いた人を喜ばせる、気持ちいいくらいの感嘆だった。


「うん」


「お久しぶりー!」


 お久しぶり。その言葉は、本当に十三年間ぶりの再コンタクトにふさわしいのだろうか? そう考えていると、返事を待っていた美鶴が先にしびれを切らせた。


「おーい、章仁生きてる?」


 そうだ。日常生活ではまず聞くことのない、誰もがそんなドラマみたいな台詞、と一蹴しそうなこっちの言葉の方が今のこの状況にピッタリだ。


「生きてるよ、美鶴。どうかしたの?」


「章仁……数年ぶり? もっと? なのに、どうして私に何かあったって分かるの?」


 なんだ、この十三年は美鶴の体感でいう数年なのか、と肩を落としてしまう自分を押し殺すのに苦労した。


「そりゃあ、何かないと生存確認するくらいの人に連絡しないでしょ」


 言ってから、ちょっと皮肉っぽくなってしまったことに後悔した。これではまるで僕が美鶴からの連絡を待っていたかのようだ。


「あのさ、お願いがあるの」


 残念ながら、彼女はそんな僕の心情にはまったく気付いていないようだ。早速、本題に移る。


「うん。何でしょう」


「章仁って中学生のとき、いつも作文コンクールで優勝してたじゃない?」


 いきなり何を言い出すんだろう。しかし、都合の良い解釈をする思考回路になってしまっている僕は驚きを超えて喜んだ。なぜなら、僕がコンクールで賞を取っていたのは、例の男の件があり、美鶴と喋らなくなった後のことだったからだ。話さなくなってからも意識してくれていたことを知り、できるなら今すぐ電話を切って幸せを噛みしめたいと思ったが、それは本末転倒である。


「たしかに、いくつかはもらったかも。あんまり覚えてないけど」


「それに、よく手紙くれたじゃない。あのとき、章仁にもらった言葉にすごく勇気づけられてたなって思い出して」


「そうだっけ?」


「そうだよー。暗記するくらい読み返したもん」


 初耳だった。最初こそ、本当に勇気づけようとして書いていたことに間違いないが、途中から恥ずかしくなってやめてしまった。正確には、書いたけど渡せなかった手紙が今でも実家に眠っているだろう。


「でね、手紙……じゃなくて、台本を書いて欲しいの」


「え?」


 今度は心臓ではなくて脳がキャパオーバーだった。僕が脚本家だったことがバレている?


「突然、驚くよね。ごめんね。実はね、私、上京してから少しだけ女優やってたんだよ、知らなかったでしょ。ほら『チョコレートコスモス』ってドラマ、知ってる?」


 知らないはずがなかった。だって、それは僕が書いた作品だから。


「少し……」

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台本彼女 一畳まどか @madoka_ichijyo

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