第七十六話 それではいずれまた。

 騎士団からの報告を受け、今朝発つ予定のヴェルミナへ伺いをたてるべく、ヘイルウッドが席を立とうとしたときだった。


「あ、ヘイルウッドの兄弟子、ちょっと待ってください」


 ガルドランがヘイルウッドを手で制する。


「どうかされましたか?」

「いや、その。ついさっき会ったばかりのあの方の匂いが」

『あの、そこは支部長の私室ですから』

『いいのですよ』


 聞き覚えのある声。同時にドアが開けられる。


「師匠、アーシェリヲンちゃん。出立の挨拶に伺いました、よ」

「あら」

「ヴェルミナ叔母様」


 アーシェリヲンに近づいたかと思うと、軽々と抱き上げてしまい、元々彼が座っていた椅子に腰掛け、膝の上に乗せてしまっていた。


「ヘイルウッド君」

「はい」

「わたくしのところにもね、その報告書は届いていたのですよ」

「そうなんですね。それで――」

「別に構わないわ」

「「はい?」」


 ヘイルウッドとビルフォードは耳を疑った。だが、彼らの姉弟子であるヴェルミナが言うのだからそうなのだろうと、納得するしかない。


 アーシェリヲンは振り向いて小首を傾げる。ガルドランはきょとんとしていた。もちろん、全員の師匠であるメリルージュは、お腹を抱えて笑いを堪えている最中だった。


「わたくしはね、元々争いを好みません」


 アーシェリヲン以外、皆思っただろう、『嘘つき』と。もちろん、メリルージュも思ったはずだ。


「アーシェリヲンちゃんが無事なのであれば、わたくしは構いませんよ。正直言えばですね、この国がどうなろうと、興味がありませんからね」


 思わずふき出しそうになるメリルージュ。この師匠にしてこの弟子ありなんですね、と思うアーシェリヲンの弟弟子たち。


「アーシェリヲンちゃんはどうかしら?」

「はい。僕も正直いうとですね。この国の王族や貴族の方々に、興味はありません。ですが神殿の皆さんと、探索者協会の皆さんが仲良くしていただいている人たちには、いつもと変わりない生活を送って欲しいとは思いますけどね」

「そこなのよ、アーシェ君」

「はい?」

「もしこの国が良い返事をしなかった場合ね」

「はい」

「ヴェルミナのことだからきっと、この近くに臨時的に宿場町でも作ってね」

「はい」

「そこに神殿と探索者協会を移設して、集まった人たちを全部いただいて連れ帰ってしまおうとか、思っていたりするわけよ」

「……師匠は、全てお見通しなんですね」

「え?」


 ガルドラン、ビルフォード、ヘイルウッドは『この人ならやりかねない』と思っただろう。


「それにねアーシェ君」

「はい」

「ユカリコ教が手を引いたとしたら、どうなると思うかしら?」

「……そうですね。まず、『ちーずそーすはんばーぐぷれーと』が食べられなくなります」

「それは間違っていないわ。でもね、ちょっと違うのよ」

「あ、そうですね。んー、『魔石でんち』を初めとした、魔道具の供給がなくなります」

「そう。それなの。もちろん、『れすとらん』もなくなるから、人々の楽しみもなくなってしまうわ。同時にね、探索者協会も手を引いてしまうわ」

「あ、そうですね」

「ユカリコ教も、探索者協会も、人々の生活に溶け込んでいるの。リルメイヤーさんだったかしら? 彼女の国ですら、『魔石でんち』が供給されているのよ? それが拒否されたとしたら」

「確かに、魔力の多い人がいる家はいいですけど、そうでない家はちょっと……」

「そうなのよね。その状態に陥るとしても、ヴェルミナはね、『興味がない』と言うわけ。この国の人が嫌いなわけじゃないのよ。ただ、悪いのはこの国の舵取りをする国王。そうようよね?」

「はい。師匠のおっしゃるとおりです。ベリアス君も同じことを言うと思いますよ。別にこの国で無理に活動する必要、ないんですもの」


 なんという投げやりな感想。だが、組織を束ねる者の逆鱗に触れたなら、どうなるかの一例なのだとアーシェリヲンは思ったはずだ。


「そうよ。ヘイルウッド」

「はい」

「あたしとアーシェ君、ガルドランはもう、ここにいる必要ないわよね?」

「そうですね。私は後処理をして、後任がくるのを待つだけですし」

「俺も、引き継ぎが残っているだけですから、姉さんたちが残っていなくても大丈夫ですね」


 ビルフォードもそう言う。


「それなら、あたしたちも乗せて行ってくれるかしら?」

「はい。構いませんよ」

「じゃ、アーシェ君、ガル。ヴェンダドールに帰るわよ」

「え?」

「え?」


 こうして急遽、この地を去ることになってしまった。


 アーシェリヲンはユカリコ教の神殿、探索者協会でお世話になった人へ挨拶をし終える。神殿に戻ってくると、司祭長室で最後の挨拶。


 ここの司祭長、クレイディアと、アーシェリヲンが助けた狐人のリルメイヤーだった。


「アーシェリヲンさん。本当にお世話になりました」

「いえ、僕は何もしてませんから」

「アーシェリヲンちゃん、謙遜は駄目よ。素直に感謝は受け取りなさいね」


 アーシェリヲンは、ヴェルミナに窘められてしまう。


「はい。いえ、その。ありがとうございます」

「私も一日も早く、一人前の巫女になれるように、頑張ります」

「はい」


 リルメイヤーは巫女になったら、彼女の国フェイルディアに神殿をと思っている。一年二年でできるものではないが、そのときがきたら、ヴェルミナも力になると言ってくれたそうだ。


「お元気でいてくださいね」

「はい。リルメイヤーさんも」

「ありがとうございます、アーシェリヲンさん」

「いえ。僕もお世話になりました。リルメイヤーさんをお願いします」

「えぇ、任されました」


 笑顔でそう応えてくれるクレイディア。


「それでは行きましょうか。アーシェリヲンちゃん」

「はい。では、いずれまた」


 ぺこりと会釈をして、アーシェリヲンは回れ右。


 中庭で待っていたガルドランは、アーシェリヲンを肩に乗せる。そのままこの国の港へ行こうとしたのだが、メリルージュが呆れたように言う。


「あのねぇ、ガル」

「はい?」

「どこへ行こうとしてるのかしら?」

「港、ですよね? 師匠」

「だーかーら。ヴェルミナとアーシェ君がいるのよ? 歩いていくわけ、ないでしょう?」

「あ、そうだった……」

「まだまだですね。わたくしの弟弟子は」

「そうね……」


 裏庭からユカリコ教の馬車に乗って、エリクアラード国有の港へ到着。商船も多く停泊しており、その中に目立つ白色の小柄な船があった。それでも輸送船よりは小柄というだけであって、馬車ごと乗り込める余裕のある大きさはあった。


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