第三十六話 違和感の正体。

 羽耳兎と目があったような気がした。その証拠にアーシェリヲンのほうへ一歩踏み出したと思ったら、踵を返して逃げようとする。


「あ、ちょっと待って――」


 アーシェリヲンは両手を広げて追いかけようとした。その無意識に発動した空間魔法によって、彼の目の前に羽耳兎が現れてしまった。


「ちょ、何これ? うわ、暴れないで。紐だ、紐でぐるぐるにしよっ」


 アーシェリヲンはしゃがみ込んで、左手で押さえつけるようにしつつ、右手で腰鞄から紐を取り出し前足と後ろ足をぐるぐると縛る。


「……でも何で、あれ? 『魔力ちぇっかー』が橙色になってる。さっきまで黄色になるかな? って思ったくらいだったのに」


 じたばたと逃げようとする羽耳兎。そこでやっとアーシェリヲンは気づいた。本に書いてあった空間魔法は『生き物を引き寄せることはできなかった』ということを。


「うん。これっておかしいよね。あ、そうか。中和草も、摘み取るまでは生きてるはずなんだ。これってまずいかもだよね……」


 アーシェリヲンはやっと、他人に話したらまずいのではないか? ということに気づいたようだ。足下で今も暴れる羽耳兎を持ち上げて、アーシェリヲンは回れ右。


「と、とにかく帰ろう。夜、もう一度考えよ。うん、そうしよ」


 街道に出て、外門を目指す。『魔力ちぇっかー』は橙色になっていたが、魔法を使わなければ倒れる心配もないはずだ。


 正門に到着する。この時間でもドランダルクが迎えてくれた。アーシェリヲンは首元からカードを取り出して提示する。


「お疲れさん。こりゃまた沢山とってきたんだな? それ、どうしたんだい?」

「はい。捕まえました」

「そうか、捕まえたのかい? まぁいいか。よし、通っていいぞ」

「はい、ありがとうございます」


 アーシェリヲンの背中を見送ったドランダルク。腰に手をやって考える。


(あれ? あの羽耳兎、生きてなかったか?)


「……坊主、それ、どうしたんだ?」


 ガルドランは昼ごはんを摂っていたのだろう。慌ててアーシェリヲンの側へ寄ってくる。


「はい。捕まえました」

「捕まえたって坊主、俺だって生きたまま捕まえたこと、ないぞ?」

「あー、お茶飲んで休憩してたときにですね、たままた僕のすぐ近くにいたんです。だからつい、捕まえちゃいました」

「なんとまぁ、運のいいこった……」


 受付にいたマリナもこちらへやってくる。彼女も驚いた表情をしていた。


「アーシェリヲン君、それ……」

「はい、捕まえちゃいました」


 この日探索者協会本部で、羽耳兎を生きて捕獲するという、数十年ぶりの珍事が起きてしまった。


「ガルドランさん、これってどうなんですか?」


 マリナはガルドランに丸投げした。彼女もこの羽耳兎を生きたまま持ち込んだ探索者がいないことを知っていた。もちろん、彼女が受付を始めてからだが。


「あぁ。俺も聞いたことないぞ。こんななりしても、こいつ足が素早くてな……」

「そうなんですか?」

「俺でも追いつけないんだ。弓で射って捕らえることができた人はほら」

「あ、メリルージュさんですね。罠をかけてその場を離れるのは禁止していますからね」

「そうなんだ。だから俺は師匠以外しらないんだよ。でもあれ、美味いって話なんだよな。草しか食べないから、身も全く臭みがないって……」


 するとアーシェリヲンがガルドランの前に出てくる。


「ど、どうした、坊主?」

「これ、ガルドランさんにあげます」

「ちょ、これ、かなり高額な報酬になるんだぞ?」


 ガルドランはマリナを見て助け船を求めた。だが彼女は頭を振る。


「残念ですが、アーシェリヲン君では依頼を完遂する資格がありません。羽耳兎は鉄の序列からなんです」

「うわ、そうだったのか。しばらくやってないから忘れてたよ……」


 マリナの話によると、羽耳兎捕獲の依頼を受けるには鉄の序列でないと駄目だという。それだけ危険な場所でもあるし、何より捕獲が難しい。


 だからこうして、羽耳兎を生きて捕獲したのは、珍事中の珍事ということになってしまうのだ。


「とーにーかーく、アーシェリヲン君。確認しましょう?」

「あ、はい」


 アーシェリヲンは買い取りのカウンターに中和草を置いていく。


「えぇ、中和草に間違いはないわ――ってどれだけとってきたのよ……」


 十株の束が四十二。四百二十株あることになる。マリナは頭を抱えてしまいそうな気分になった。


「えっと、中和草が四百二十株あるの。白薬草と青薬草は二株で銅貨一枚ですが、中和草は一株で銅貨一枚なので」

「はい。そのまま銅貨四百、……あー」

「そうなの。駆け出しの探索者が稼げる金額をとっくに超えちゃってるのよね……」


 アーシェリヲンへ一気に視線が集まる。特に、同い年くらいの少年少女たちの目が。


「それでこれ、どうするんだ?」


 ガルドランが片手で軽々と吊している羽耳兎。生きているせいか、前足後ろ足をじたばたさせて、いまだ抵抗を続けている。


「それですか、……鉄の序列なんですよね。アーシェリヲン君の成績にできない決まりなんです」

「僕はいいですから、ガルドランさんにお任せします。食堂で料理してもらって、皆さんで――」

「あのなぁ坊主。これ、銀貨二枚か三枚になるんだぞ?」


 ホールにいる探索者たちが頷いている。もちろん、駆け出しと思われる少年、少女も羨望の眼差しでみている。

「どうしたらいいかしらね――あ、そうだわ。パパに聞いてみるわ。アーシェリヲン君ちょっと待っていてね」

「は、はいっ」


 慌てて踵を返し、マリナは受付の奥へにあるドアを開けて入っていく。奥に部屋があるということは、そこに責任者ともいえるマリナの父親がいるのだろう。


「いや、待てと言われてもなぁ……」


 ガルドランの手にある羽耳兎はまだ抵抗の真っ最中だった。


 ややあってマリナが入っていったドアが開く。するとそこには、マリナと一緒に、彼女の髪色そっくりな初老の男性。


「うわ、パパのお出ましだ」

「ガルドラン、俺はいつ、お前のパパになったんだ?」


 気怠けだるそうにあくびをしながら歩いてきた彼は、年代的にはフィリップよりも年上だと思われる。明らかにガルドランよりも背は低い。だが、彼を威圧するほどの眼力を持っているようだ。


「マリナ、この坊主が例の『アーシェリヲン君』か?」

「パパ、坊主なんて言わないで。私の可愛いアーシェリヲン君なんだから」

「あ、あぁすまんな。お前が弟を欲しがってたのは知ってるよ。けどうちはな、全員女の子だったからな……」

「ううん、パパのせいじゃないわ。それよりも、さっきの話よ」


 マリナの家庭事情がダダ漏れになっている。おそらく彼女はアーシェリヲンを仮の弟のように思っているのだろう。


「坊主俺はな、ここの本部長をしてるガーミンだ。ガーミン・ケリーダイト。覚えておいてくれ」


 簡潔に自己紹介。その間もじろりとアーシェリヲン見下ろす。まるで値踏みをするかのような、まとわりつく視線を浴びせ続ける。


「は、はいっ」

 アーシェリヲンは緊張しているのか? それともいつも通りの丁寧な挨拶をと思っていたのか? 周りからはやや緊張気味に見えていたのだろう。


「そんなに威圧しなくてもいいだろう? パパさんよ」

「俺はお前を産んだ記憶はないが?」


 ガルドランは嫌みのようにツッコミを入れるが、あっさり切り替えされてしまう。案外茶目っ気のあるガーミンだった。


「いやだから、そうじゃないって……」




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