第二十二話 神殿での暮らし。
気まずそうにしていたのは待っていた巫女。いつ声をかけていいのやらと悩むほどだったはずだ。
「……あ、すみません。僕、アーシェリヲンといいます」
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。ではご案内いたします」
「はいっ」
「元気でよいお返事ですね」
「いいえ、そんな」
「照れなくてもいいんですよ。子供は元気が一番ですから」
「あははは……」
自分が十歳の子供だということを忘れていたアーシェリヲンだった。
案内する巫女の後ろについて、アーシェリヲンは丁字路を右へ進む。途中十字路やドアが沢山あったが、寄らず曲がらず一番奥へ。
ドアの上に札がかかっており、そこにある文字は『司祭長室』。巫女が立ち止まると、ドアをノックする。
「アーシェリヲン君をお連れいたしました」
『入ってもらってくださいな』
ドアを開け、アーシェリヲンを入室させると、巫女は一礼して戻っていった。
目の前にある机の向こう側に座る女性。年齢的には母エリシアと同じくらいだろうか? 肩までの長さに切りそろえられた、綺麗なブロンドの髪。どことなく見覚えのある顔立ち。
そういえばグランダーグの王都にいたヴェルミナの妹が、ここの司祭長をしていると聞いていた。おそらく彼女がそうなのだろう。
「初めましてアーシェリヲン君。わたくしはウェルミナという名前です。この神殿の司祭長を任されていてですね、グランダーグにいるヴェルミナ姉さんの妹でもあるんですよ」
やはりそうだった。どうりで面影があると思っていた。
「はい、初めまして。僕はアーシェリヲンと申します」
「ご丁寧な挨拶、ありがとう。本当に賢い子なのですね」
「いえ、母にそう教えられただけですから」
照れているアーシェリヲン。彼を見て微笑んでいたウェルミナの表情が、少しだけ厳しいものになった。
「アーシェリヲン君」
「はいっ」
アーシェリヲンは、ウェルミナの声のトーンが変わったのに気づいた。それはエリシアたちが『アーシェ』ではなく『アーシェリヲン』と呼ぶときのように思えたのだ。
「あなたは『両親のいない、神殿で育った子供』ということになっているんです。間違っても先ほどのようなことは言ってはいけません。よろしいですか?」
厳しい言い方だが間違ってはいない。ここにいるのはウィンヘルム伯爵家のアーシェリヲンではない。ただのアーシェリヲンなのだということ。
「はい、その、……旅立った母が生前、教えてくれたものですから」
「それでいいのです。……わたくしも、あなたの事情は姉から聞いています。このようなきついことを言ってしまってごめんなさいね」
「いえ。僕の覚悟が足りなかっただけです。申し訳ありませんでした」
ウェルミナは最初の優しい表情、柔らかな眼差しに戻った。
「報告書を受けている以上に賢い子のようですね。……あら? そうでした。あなたはこの神殿にある
小児院というのは、ユカリコ教で親のいない子供が家族となって生活する施設のこと。五歳になると読み書きを教わり、十歳からは神殿で働く神官や巫女になるという話を教えてもらう。
「はい」
「あなたは神官たちと同様に、この建物にある宿舎に移ってもらいます。そこから探索者を目指してもらうことになっているのですが……」
ウェルミナの表情は何やら少し困ったように、眉が下がっている。何か問題があったのだろうか? アーシェリヲンは少し不安に思ってしまった。
「はい……」
「十歳のあなたでは、探索者登録をするために、保護者が必要になってしまうのです」
「そう、なんですね」
(保護者か、……なってくれる人をみつけるところから始めないと駄目なんだね)
アーシェリヲンはわかりやすいほどに、肩を落として困ってしまう。
「アーシェリヲン君。何を落ち込んでいるのでしょう。あなたには、姉がいるのを忘れてしまったのかしら?」
「……はい?」
姉のテレジアは確かに、グランダーグの神殿で洗礼を受けている。その上、何度かエリシアと一緒に治癒魔法使いとして手伝ったことがあると聞いたこともあった。だが、ここには姉はいない。なぜなら彼女は、ウィンヘルム伯爵家のテレジアなのだから。
そのときこの部屋のドアがノックされる。
「あら、ようやく来たようですね。入っていらっしゃいな」
『失礼致します』
声に振り向いたアーシェリヲン。ドアを開けて入ってきたのは、先ほど別れたレイラリースだったのだ。
「初めましてウェルミナ司祭長様。レイラリース、着任いたしました」
「あれ? レイラお姉ちゃん」
「そうですよ。忘れてはいたのですか? 彼女があなたの姉ではありませんか」
「はい?」
「あなたがここで探索者になるからと、『保護者の』レイラがこちらへ来たのですよ?」
してやったりという表情で微笑むレイラリース。
「レイラ、こちらでもアーシェリヲン君と仲良くするのですよ?」
「はい。かしこまりました」
レイラリースがこちらへ残ったのはそういう理由だったのだろう。おそらくはヴェルミナがアーシェリヲンの保護者代わりとして派遣させたのだろう。
「ずるいですよ。レイラリ――」
「レイラお姉ちゃん、でしょ?」
「はい。レイラお姉ちゃん」
「では、アーシェリヲン君を部屋に案内してあげてもらえますか?」
「はい。かしこまりました。では失礼致します」
「し、失礼致します。司祭長様」
レイラリースと同じように、会釈をして司祭長室を出て行く。
(あの子がそう、なんですね。どうしてユカリコ様は、試練を与えるようなことをされたのでしょうか……)
▼
「アーシェくん」
「はい」
「ここがあなたの部屋よ」
ドアを開けると、右手にベッド。正面に窓。その手前に机がある。少しだけアーシェリヲンの部屋のレイアウトに似ている。
「本来はね、神官と巫女には衣食住がユカリコ教で支給されるんだけど、アーシェくんはちょっと違うのね」
「はい」
「ここで働かずに探索者になるのならね、報酬の中から納めないとだめなんだって」
「はい」
「それとね」
「はい」
「んー、丁寧な言葉使いはいいんだけど、もう少し肩の力を抜いてくれると助かるんだけど」
「んー、うん」
「そうそう」
「あははは」
「それでね」
「はい、うん」
「別に無理しなくてもいいわ。もしかしたら癖なのかもしれないからね」
アーシェリヲンはテレジアには『うん』という受け答えをしていた。だが、十歳になって『お披露目』を控えているから、テレジアから注意された。そこでやっと、丁寧な言葉使いを心がけるようになっていたのは、間違いないのである。
「はい」
「なんだったかしら、あ、そうよ。わたしね」
「はい」
「隣の部屋だからね」
「はい?」
「何かあったらすぐに相談すること。いいわね?」
「んー、はい」
レイラリースは立ち上がった。そのまま手を差し伸べてくる。アーシェリヲンはきょとんとしてしまった。
「どうしたんですか?」
「『はんばーぐ』食べにいかないの?」
「い、いきますっ」
アーシェリヲンはレイラリースの手を握って意思表示をした。
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