第二十六話 幕間
饗宴の衣装作りは順調に進み、私と星宇さんにも余裕が出てきた。
侍女の皆様とも打ち解けられて、今では私が服以外のことを教えていただいたりもする。それがこれだ。
「お辞儀の角度は五度。手は腹の前で軽く重ねて腕はゆらゆらさせない。背は板にして曲げないこと」
「ご、五度……?」
「これは感覚を身に着けるしかありませんね。でも以前は上半身を腰から曲げて床と並行に保つもので、もっと大変だったんですよ」
「床と並行ですか? それはなんだか……」
羽が落ちてきてかなり不格好になるような。それに羽が重い人は転ぶわよそれ……
「羽ですよね。以前までは有翼人のことが考えられていなかったのです。ですが立珂様が有翼人にこの挨拶はできないのだと身をもって教えて下さり上体は動かさないものに変わりました」
「立珂様が……」
「宮廷採用試験には礼儀作法があるので挨拶のできない有翼人は必ず不合格でした。宮廷の者は誰もこれに気付いていなかったのです」
「宮廷は有翼人を差別してるって噂があったんですって。そう見えるわよね」
「だから有翼人でもできる礼儀作法に改められ、今では有翼人職員も多くなりました。素晴らしいことです」
「凄かったんですよ、立珂様! 怒り心頭莉雹様へ直談判して護栄様と殿下まで頷かせちゃって!」
「……凄い。やっぱり立珂様は凄い」
それから色々な礼儀作法を習ったけれど、何の意味があるのかも分からない難しいものばかりだった。ほんの数分やっただけなのにすっかり身体が痛かったけれど、星宇さんは全く違っていた。
「星宇さんは完璧ですね」
「初めてでこんな完璧にこなす方は珍しいですわね。聡明でいらっしゃるわ」
ぷるぷるする私の横で、星宇さんはとても美しいお辞儀をしていた。星宇さんは男性職員に男性独自の礼儀作法を習っているけれど、平然と全てをこなしている。
星宇さんてできないことあるのかな……
ふうと息をついて腰をとんとんと叩くと、私と歳が同じ頃の侍女の数名がこそっと耳打ちをしてきた。
「ねえ。お二人は恋人でいらっしゃるの?」
「え!? ち、違います!!」
「あら。でも朱莉さんのことになるととてもお怒りになられるじゃないですか」
「し、仕事、ですし」
「朱莉さんはどうなんです? あれだけ美しい方はなかなかいらっしゃらないわ」
「それに薄珂様がとても明晰な方だと褒めてらっしゃいましたし」
「薄珂様ですか……」
星宇さんて薄珂様のこと好きじゃないのよね。あれは何でなんだろう……
嫌いなわけじゃないと言っていたけれど好きなようには見えない。
私は腕を組み考え込んでいると、侍女の皆様はまた斜め上のことを言い始めた。
「もしや薄珂様のように素朴な方がお好みで?」
「へ!? そ、そんな話はしてません!」
「では星宇さんと薄珂様、どちらかと問われればどちらです?」
「どちらもこちらもありませんってば!」
「おい」
「きゃー!」
「うわっ。何だ?」
突然に星宇さんが現れて、私たちは思わず声を上げてしまった。
星宇さんは不思議そうな顔をしている。
「何でもないです! 何でしょう!」
「何って、帰るぞ。時間だ」
「え? あ、は、はい! 帰りましょう!」
侍女の皆様はにやにやと揶揄うような笑みを浮かべていて、恥ずかしくなった私はそそくさと宮廷を出た。
一方で何も知らない星宇さんは不思議そうな顔をしている。
「随分盛り上がってたな。何の話をしてたんだ」
「い、いえ、それはまあ、色々と」
「歯切れ悪いな。また妙なことになってないだろうな」
「なってないですよ! 楽しくお喋りしてただけで!」
「そうか? ならいいんだが。ああ、そうだ。ちょっと相談があるんだが」
「何でしょう」
「茉莉が刺繍をやり始めてるんだがなかなか上達しなくてな。時間のある時に教えてやってくれないか」
「もちろんいいですよ! そっか。茉莉ちゃん興味持ってくれてるんですね。嬉しいな」
「じゃあ次の定休日に連れてくる。いいか?」
「はい! 道具揃えて待ってますね!」
茉莉ちゃんは私の服を気に入ってくれて、あれからもちょくちょく顔を出してくれている。
時には友達も連れて来てくれて、子供達から服の感想や要望を貰えるのは嬉しい。私じゃ子供の目線には気付けないから商品開発もはかどるようになっている。
そんな子供が自分で作ることに意欲を持ってくれるのも嬉しいことだ。きっと私では思いつかない商品作りをしていけるだろう。
そう思うと茉莉ちゃんに会うのはとても楽しみで、次の休みが待ち遠しかった。
*
そうしてやって来た定休日。朝早くに星宇さんが茉莉ちゃんと一緒にやって来た。
「お姉ちゃーん!」
「いらっしゃい、茉莉ちゃん。待ってたよ」
私は茉莉ちゃんを連れて作業部屋へ入った。
販売目的の店よりも、物を作ることが目的の空間にいる方が職人である自覚が持てる。これは意外と大事なことだ。
「じゃあ基本的なところから始めようか。実は特別な刺繍糸があるの」
私は事前に用意してあった数個の糸を並べて見せた。
「わあ! きらきらだ!」
「素敵でしょう。立珂様がお作りになった特注品よ」
「立珂様!?」
このところ、立珂様は糸にもこだわり出したようだった。街の糸紡ぎ師に立珂様だけの糸を作ってもらっているらしい。
さすがこだわりの強い立珂様だけあって試作を繰り返した結果不採用となる糸も多く、けれど高額すぎて商品にはできない糸もあるという。
そういうのは立珂様と薄珂様の私服に使うそうなのだけど、茉莉ちゃんのことを話したらぜひ使ってと言ってくださったのだ。
「立珂様が茉莉ちゃんに下さったのよ。立珂様と茉莉ちゃんしか持ってない特別な糸なんだから」
「うわぁ……!」
茉莉ちゃんは糸と同じくらいにきらきらと目を輝かせた。
有翼人で立珂様と同世代の子供にとってこれほどのご褒美はない。
「それじゃやってみようか。まずは普通の刺繍糸で練習して、立珂様の糸はその後に使おうね」
「うんっ!」
私は自分の糸巻きから幾つかを取り出して茉莉ちゃんに渡して練習を始めた。
「そうそう。必ず平行に縫うの。隙間を作らないようにぴったりと」
「ぴったり……」
茉莉ちゃんは黙々と刺繍を続けていた。
こんな小さいのにとっても集中力があるわ。縫製も丁寧だし、良い職人になるかもしれない。
そんな茉莉ちゃんの隣では星宇さんも一緒に刺繍をしている。以前から刺繍を気にしていたけれど、それも全て茉莉ちゃんの話し相手になりたいかららしい。
星宇さんに教えられることがあるというのは嬉しくて、その手元を覗き込む。
「星宇さんどうですか?」
「こんな」
やったことが無いならきっとぐしゃぐしゃかもしれない。
不器用な星宇さんの一面を期待したけれど、その期待は大きく裏切られた。
「え!? うまいじゃないですか!」
「そうか?」
「うまいですよ! 売り物にできますよ! 手拭いとか小銭入れとか」
「お兄ちゃんは何でもできちゃうの。茉莉より後から始めたのにずるい」
「お兄ちゃんてのはそういうもんなんだ」
「そういうものですかね……」
茉莉ちゃんはぷうっと頬を膨らませた。
うまいなんてものじゃない。宮廷備品で見た手拭いにも負けず劣らず美しい刺繍だ。しかも速い。
「本当に商品にしてみたらどうですか? 手作り小物は結構需要あるし」
星宇さんの手作りっていうだけで女性が争奪戦をする気がする。
それはちょっと……嫌、だけど……
うちには何も買わず星宇さんとお喋りして帰る人も多い。さすがにこれはいらっとするけれど、そんな私の心境など知らず星宇さんは刺繍をじっと見つめている。
「そうだな。品数が揃えば露店くらいできるし」
「露店? うちの露店出すんですか?」
「いや。茉莉があんたみたいに店を持ちたいと言ってるんだ。とりあえず露店でもと思って」
「そうなんですか! 茉莉ちゃんは何を売りたいの? 刺繍?」
「服! 立珂様みたいにお洒落な服を作りたいの! 茉莉は刺繍が好きだから刺繍をした服を作りたいんだ! あとは小物も。お客さんの物に名前を刺繍してあげれば特別な記念品が作れると思うんだ。そうすればずっと茉莉のところに来てくれるでしょ!」
「す、凄い。ちゃんと経営方針まで立ってるのね」
さすが星宇さんの妹。顧客を掴む特注品まで考えてるとは。
けどお店を開くのは簡単じゃない。私なんて露店すら星宇さんがいなければ失敗に終わってた。何か手伝ってあげられるといいんだけどな……
「そうだ! 星宇さん! 私以外の人の商品を並べるのはどうでしょう!」
「あんた以外の?」
「はい! お店を開きたい人にお店の一角を貸すんです。露店は在庫いっぱい作らないといけないけど、棚の一部にちょこっと置くだけなら数個でたりるし」
「個人委託か。利用料を貰えば売れない在庫を並べるよりずっと良いな」
「茉莉も置ける!?」
「置けるよ。第一号は茉莉ちゃん!」
「やってみるか。饗宴が終わったらすぐに取り掛かかろう」
「陳列する棚も特別なのを用意したいです! 露店みたいに区分けして、その中は好きに装飾して良いですよってすればその人だけの小さなお店になりますよ」
「いいな。うちの商品とは違うという主張にもなる」
「じゃあ茉莉は茉莉花を刺繍で作って看板にしたい! 他の人と違うって思ってもらわなきゃ!」
さすが星宇さんの妹……
「茉莉も立珂様みたいになれるかなあ」
茉莉ちゃんはにこにこと嬉しそうに刺繍を続けた。
刺繍は私もやってきた。でもやりたくてやってたんじゃない。それしかできることが無かったから仕方なくやってただけ。
けど茉莉ちゃんは違う。自由を得て世界が広がり、そのうえでお洒落を商売にしたいと願っている。練習を続ければきっと素敵な刺繍商品を作れるようになる。
立珂様は有翼人の未来を切り開いて下さった。自分の将来を選べるほどに。
なら私はそれを広げていきたい。私が今こうなれたように。
きっと饗宴の成功はその一歩になる。頑張ろう。茉莉ちゃんみたいに、子供達が明るく未来を夢見ることができるように。
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