人と獣の境界線 有翼人の服屋さん始めます

蒼衣ユイ

第一章 有翼人の服屋さん開店

序 有翼人の日常(一)

 この世界には三つの種族がいる。人間と獣人、そしてそのどちらでもない有翼人だ。


 私の母は人間だ。死んだ父は鳥獣人だったけど、私は有翼人として生まれた。

 有翼人は人間でありながら背に羽を持つ。けれど鳥獣人と違って羽に神経が通っていない。鳥のように飛ぶどころか動かすこともできないのでお荷物でしかない。

 重い……暑い……

 私の羽はとても大きい。身体を覆うほどの羽は歩くことも許してくれない。

 密集する羽根は異常なまでに保温性が高いため、少し動けば汗をかき汗疹になる。

 羽根が触れると痒くて、汗疹を掻きむしるので悪化して皮膚炎になる。

 動けないから働けもしない私を養ってくれる母の僅かな稼ぎは私の皮膚炎の薬代に消え、私は食事を与えらえるのを待つだけだ。

 ……有翼人にさえ生まれなければ

 苦労して育ててくれる母にそう叫びたい気持ちを抑えて生きる。それが私という生き物だった。


*


 私の日常は上半身に布を巻くことから始まる。

 有翼人は服らしい服を着ない。万人が布を巻き付けるだけだ。これは貧乏だからではない。羽を出せる服が存在しないからだ。

 人間の服に穴を開ければ羽は出せるが、ここで大きな問題がある。穴を開けたところで一人では脱ぎ着ができないというも問題だ。

 誰かが羽を穴に通す作業が必要で、それを一人でやろうものなら汗だくになる。

 羽を抜き差しするうちに穴は広がり、二、三日すればただの布切れになり下がる。

 つまりどうしたって布を巻くだけになり、それが有翼人の服なのだ。

 私の着替えを手伝ってくた母が、私の腹の前で布をきつく結んでくれた。


朱莉あかり。ゆるくないかい? あんまり締めすぎても苦しくなるだろうけど」

「大丈夫。ちょうど良いわ。有難う。それより時間大丈夫?」

「ああ、そうだね。そろそろ行かないと。今日は遅くなるから先に寝てるんだよ」


 母は嫌な顔は少しも見せず、私の頬を撫でると笑顔で仕事へ向かって行った。

 こうして母が仕事へ行くと私も仕事をする。だが外へ出るわけでは無い。


「今日の刺繍は蓮の花ね。あれは形が面倒だから嫌いなんだけど」


 私の仕事は刺繍だ。別に手芸が好きなわけではない。動かず家の中でできる仕事しかできないので消去法でこれになっただけだ。


「お金を払って刺繍をさせるなんてどういうお金持ちなのかしら……」


 なんて贅沢でなんて嫌味な仕事だろう。針を縫い進めるたびに惨めな気持ちになるけれど、どんな仕事でも文句は言えない。

 せめて自分の薬代くらいは自分で稼ぎたい。そうすれば毎日の灯りを枯れ木を燃やす火把かはから蝋燭にするくらいはできるだろう。

 普通の家なら提灯や油灯を使うけれど、うちではそれすらも贅沢だ。薄暗い部屋でちくちくやるのは気が滅入る。私は針と生地を置いて部屋の中を見回した。

 ここは国営の館舎かんしゃだ。生活に難があると認められた者に格安で貸してくれる家で、入居者には有翼人が多い。

 扶養者がいない有翼人は生活保護制度から助成金が出るけれど、うちのように働ける者がいる場合は出ない。


「何もしない人にお金をあげる余裕があるなら蝋燭くらいくれても良いのに」


 平等に見えて不平等な制度だ。母は家があるだけ有難いと言うし、それはそうだ。

 でもこの薄暗い部屋では何を考えても悪い方へ向かってしまう。


「……気晴らしでもしようかしら。今日は涼しいし、日陰なら汗もかかないわよね」


 私は四つん這いで扉へ向かった。羽の重みがあるので私はニ足歩行ができない。

 這いつくばってようやく辿り着いた扉の取っ手は高い位置にある。立って開ける分には普通の位置だろうけれど、膝立ちにならないと開けられない扉は重い。

 私は体当たりするようにして扉を開けると、再び地を這って外に出た。


 地面に転がしてある私専用の杖を拾い、ありったけの力を込めて立ち上がる。それだけで息が上がり、ほんの十歩の距離にある日陰へ入った時には疲労困憊だ。

 運動のできない身体は痩せ細り体力が無い。貧相な体を見るたびに惨めになるけれど、そよそよとそよぐ風だけは心地良く癒された。


 風に当たる最高の贅沢を満喫していると、ふいに私の視界で何かが白く輝いた。

 それを見て私の体は硬直したが、許せないその光景を見る目だけが大きく開く。

 日向の中に十二、三歳に見える有翼人の少年がいた。人間の姿をした黒髪の少年に抱っこされている。黒髪の少年は私よりは若く、二十歳にはならないだろう。

 有翼人の少年の羽は背より少し大きいが、私と違い歩くことに難はないだろう。

 それなのに抱っこしてもらっている理由が分からない。

 しかし私が驚いたのはそれではない。羽の色だ。少年の羽は作りものかと疑うほど真っ白だった。


「嘘よ! 純白の羽なんてありえない! 普通は何かに色が寄ってるわ!」


 私の羽は枯れた銀杏の葉のようにくすんでいる。けれど私が特別こうだというわけじゃない。有翼人の羽はそれなりに薄汚れているものなのだ。

 純白の羽なんて天使とかいう苦労知らずな架空の生き物で、地を這う現実に苦しむ有翼人には無縁のものだ。

 愕然として見つめていると、もう一つ輝くものが目に飛び込んできた。


「……どうしてあの子は普通の服を着てるの?」

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