運動ができない。
松ヶ崎稲草
第1話 体育教室
二階からのブース越しに、総合体育教室の様子がよく見える。コーヒー片手にベンチに腰掛け、見下ろす。
他の保護者達、お母さんが圧倒的に多いが、会話を交わしながら座って見学する人達に混じって、階下の体育館に居る幸之介の姿を探す。
何人か居る先生の張り上げた声だけが、微かに聴き取れる。何となく、ほのぼのとした雰囲気が伝わってくる。その中で幸之介は、のびのびと身体を動かしているように見える。
幸之介はフラフープのような物を腰に当て一生懸命回していたかと思うと、ハンドボールぐらいの大きさのゴムボールを的に向かって投げたりしている。
時々、複数居る先生が笑顔で声を掛け、アドバイスを送っているようで、また、幸之介が投げるボールにわざと当たって、やられた、のポーズを取ったりしている。
幸之介と同じように、教室の子供達は、その時その時、気の向くまま、思い思いのことをしている様子で、何か一つの決められたことを一斉にやっている感じではない。
体育を教えている、というよりは、みんなで、休み時間に遊んでいて、先生達も混じっている、という空気で、お金を払って習わせている親としては、少し違和感がなくもないが、この教室の趣旨が、運動に親しみ、身体を動かしたり運動をすることが好きになる子供にする、ということなので、これで良いのだろう。
ただ、この調子で学校の体育の授業について行けるのか、とか、これから先の厳しい人生に応用できるのか、などの、余計な心配も湧いてしまう。後方で見ている母親達からも、あんなに遊んでばかりで大丈夫かな、などとの声が聴こえてくる。
私もそう思ったけど、ここの教え方が良いって言われてるし、うちの子も楽しそうだし、と別の母親が口を挟む。
確かにこの体育教室は評判が良く、僕達夫婦も、体育嫌いも好きになるらしい、との評判を聞きつけて見学に来て、幸之介も気に入り、通い出した経緯がある。三ヶ月が経つが、楽しそうに通っている。催促しなくても、自分から準備をして教室へ向かい出し、送迎する僕や妻が慌てて、ちょっと待って、と止めるほどになっている。
子育てを通じて、自分が幸之介ぐらいの年齢の頃はどうだっただろう、と思い返すことは多いが、小学校二年生だったか三年生だったかの頃、体育が苦手で嫌いだった僕は、親からほとんど強制的に体操教室へ通わされていた。
母親と一緒に自転車で教室へ向かうのだが、先頭を行く母親から遠く離れて、ゆっくりゆっくりと自転車を漕ぎ、ふらふらと蛇行運転して、車に轢かれたら教室へ行かなくて良いのに、と思い、車にぶつかるのを半ば願う心境だったが、対照的なのが今の息子の行き帰りの楽しそうな表情だ。
古びた体育館を使って開かれていたその体操教室では、毎回基礎運動のようなことをやらされた記憶がある。冬は寒さがこたえた。教室が用意する体操服は半袖半ズボンしかなく、着替えた後、床に体育座りをすると、お尻がひんやりと冷たかった。
他の子達は、寒い寒いと言いながらも喋り合って楽しそうだったが、僕は今日は何をさせられるのか、と戦々恐々としていた。
がっしりした身体つきの声が野太い男の先生だった。先生は、冬はジャージを着ていた。まず先生が見本を見せ、子供にやらせる。
腕立て伏せや腹筋、背筋。マット運動。毎週やる運動を先に復習がてら始め、新しく教わる運動が加わる。時々、一人ずつ皆の前でやるテストもある。
どれも上手くできない僕は、いつも、年下の子にも笑われ、テストの時は笑いと罵声と、先生の呆れたような、一年生に笑われてるぞ!などといった声を一身に浴びた。年下の、一年生や幼稚園児が子が多く、同じ二年生は、もう一人だけ女の子が居たように思うが、男は僕だけだった。
最年長で一番運動できないのはこたえて、何度も両親に懇願して、ようやくやめることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます