15
地元の奴らと札幌の雪まつりに行ったので出してみた――古ぼけた絵ハガキにはそう書き添えてある。印刷してある写真はアニメに登場する巨大ロボットの雪像だ。まだ一緒にアルバイトをしていた頃、信哉から届いた絵ハガキだった。住所は函館市内になっていて、彼の実家らしかった。
今回の旅行が決まったときに「その人の実家に寄ってみなよ」と言い出したのは碧だった。貢士は望みが薄いと考えていた。差出人の住所で電話番号を調べても固定回線の登録はなかった。
「それでも、呼び水ってこともあるじゃん?」
「呼び水?」
「引き寄せっていうかさ」
そんなふうに物事を考える習慣は自分にはないなと貢士は思う。しかし、急ぐ旅行でもない。函館ならば観光スポットにもこと欠かないし、何よりこれは碧が誘ってくれた旅行だ。彼は碧が言う通り、函館に立ち寄ってみることにした。
新幹線を降りて在来線に乗り換え、「函館」のいくつか手前の駅で降りた。駅前でタクシーを拾うと、絵ハガキにあった住所に向かった。
古い団地の入口でタクシーは停まった。
この間まで貢士が住んでいた官舎と同じくらいの古さだろうか。北海道にも似たような団地があることを彼は少し意外に感じた。だが、どの街であろうと誰もが一戸建てに住んできたわけではないだろう。貢士は北海道という土地に子どものように過剰なイメージを抱いている自分に苦笑する。
絵ハガキには番地に続いて“Cノ三〇三”と書かれていた。
「これがAでそっちがDだから、たぶんあれだね」
碧が敷地の奥にある建物を指差した。
カーテンのない部屋が多かった。A棟、D棟を眺めただけでも、それほど多くの住人がいるわけではないことがわかる。C棟も似たようなものだった。
建物は四階建てだがエレベーターはない。三つある入口の内の真ん中から薄暗い階段を上がっていった。ひんやりとした空気が二人を包んだ。
「だれも住んでないお家って玄関見ただけでなんとなくわかるよね」
静けさに耐えかねたように碧がささやく。
外から仰ぎ見た三〇三号室はカーテンが閉まっていたが、玄関の前に立っただけでやはりそこには誰も住んでいないことが感じ取れた。表札のプレートは抜き取られ、ホルダーだけが残っている。インターホンを押す。音はしない。
「やっぱりいないな」
貢士がドアの前から離れると、碧がドアハンドルにすっと手を伸ばした。
「開く――」
止めておけと貢士がいう間もなく、彼女はドアを開いた。
玄関からは中の様子がよく見わたせた。間仕切りになる戸はすべて開け放たれている。2Kほどのあまり広いとはいえない間取りらしかった。家の中は予想に反してもぬけの殻というわけでもなく、タンスなどの大きな家具がいくつか残されている。キッチンには大きなビニール袋にまとめられたゴミが三つ並んでいた。引越しの途中で作業を止めてしまったようにも見えた。
碧がふっとため息をつく。
ガタンッと突然、二人の背後で音がした。
跳ね上がるように振り返ると、向かいの三〇四号室のドアが半開きになり、老婆がこちらを睨んでいた。
「あんたたち、なに?」
「あー! お騒がせしてごめんなさい!」
碧が満面の笑みを浮かべてそつなく頭を下げた。
「あたしたち、えっと、えー」
彼女の言葉を引き取るようにして貢士が話をする。
「ここに代田さんっていう人が住んでいたと思うんですが、僕らその友だちで」
「ノブちゃん?」
「あ、はい。代田信哉くん」
貢士はジャケットのポケットにねじ込んでいた絵ハガキを、老婆に見えるように差し出した。
「代田さんちならちょっと前に引っ越したよ」
老婆は言いながらいったんドアを閉めた。ドアチェーンを外す音がして、再びドアが開く。
「ノブちゃんはだいぶ前に東京に行って、ずっとお母さんが一人で住んでたんだけどね」
「僕ら東京で知り合いになりました」
「じゃあ、東京から?」
「はい」
「ノブちゃんもたまーにしか帰ってこなかったんだけどね、三か月くらい前かな。帰ってきてね。ああ、ノブちゃんノブちゃんって、まあ、ちっちゃい頃から知っているからついそう呼んじゃうんだけどさ。そう、ノブちゃんのお友だちなの」
「あの、それで――」
「ああ、そうそう。急に帰ってきて、お母さんに引っ越してもらうっていってさ。寂しくなるねえなんていって。ずいぶん長いことお隣さんだったからさ」
戸惑いながら老婆の話を聞く貢士の隣で、碧はにこにこしながら意味もなくうなずいている。
「どこに引っ越したのかわかりますか?」
「それがねえ、詳しく聞いてないのよ。お母さんとは長いおつきあいだったから残念でねえ。落ち着いたら連絡しますってノブちゃんも言ってくれてたんだけど」
「家の中、けっこう物が残ってますね」
「そうそう、なんだか急いでるみたいな感じだったしね。そんなだからなおさら根掘り葉掘り聞くのも悪いっしょ、ね。ただね、ここもだいぶ古いから。いろいろ置いたまま出ていく人も多いんだって。新しい人なんかもうずっと入ってこないもんね。ほったらかしでもあんまりうるさくいわれないんだってさ」
貢士は話を切り上げることにする。
「どうもありがとうございました」
「ノブちゃんに会ったらね、お母さんの連絡先教えてねって言っといてくれる? 私も一人だからさ、なんだか寂しくなっちゃってさ」
へたくそな作り笑いを浮かべる貢士の代わりに碧が言った。
「そうですよねー。ちゃんと言っときます」
「ありがとうね、よろしくね」
団地の入口に戻ると、さっき乗ったタクシーの会社に連絡をした。
迎えを待つ間、碧は何度か団地を振り返り、その度に建物をじっと見つめた。
「あたしね、班長のお友だちがここを出た気持ちがわかるよ」
「どういうこと?」
「あたしも似たようなとこで育ったんだ。ほーんと狭っ苦しくてさ」
「家族、何人だっけ」
「パパ、ママ、ネェネェ。んで、おとうと」
「なるほどね」
走ってきたタクシーが、軽くクラクションを鳴らしてハザードランプを灯すのが見えた。
タクシーが走り出してしばらくするとまた碧が言った。
「でもさ、悪いコトばっかりでもないんだよ。ケンカとかするじゃん?」
「うん」
「次の日にはイヤでも仲直りしなくちゃならないんだよ。狭いから」
碧は窓の外を流れる風景に目をやった。
「ほーんと。しようもない家族なんだけどさ」
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