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貢士は新宿にいた。
新宿はストラクチャシステムの展開がほとんどなかった街だ。街並みに変化があれば、それは人間によるものだった。郊外では二号機、三号機と彼らの機体が展開し、再開発といった様相を見せる場面もあったが、都心での彼らの活動は散発的だった。目黒一号機も、あのエリアでの後継の展開はついになかった。
ストラクチャシステムは、みずから人間を追い出すことはしない。
ゼネコン数社が共同開発した全自動建築システムが暴走を始めたのは、貢士が中学生の頃だった。しかし、それを暴走と呼ぶかどうかは議論の分かれるところだった。当時の政府は、その成長を見守る方針を打ち出したからだ。電力から道路交通システムまで広範なインフラと連動したこのシステムを現状で強制終了することのリスクが強調された。
だがつまるところ、およそあらゆる産業部門で立ち遅れが隠せなくなっていたこの国は、全自動建築システムを捨てるわけにいかなかったのだ。システムの自己展開を受け入れ、障害を軽減する法整備が粛々と進んだ。
やがて全自動建築システムは仙台に拠点を持つ企業のメインフレームを占拠すると、ストラクチャシステムとして自らの誕生を高らかに宣言した。そして、三年もすると解体屋をはじめとする様々な業者と雇用が生まれ、彼らは日本経済を転がす奇妙なファクターになっていった。
分譲マンションの営業マンか何かだと思っていた父が、プロジェクトの一員だったことを貢士が知ったのは、亡くなった直後のことだ。
貢士が新宿を歩くのは久しぶりだった。
変わらないものはしつこく変わらないままだったし、変わる時にはストラクチャシステムの侵入も許さないスピードで変わる。
自分の部屋でストラクチャシステムの資料を読みながら迷った末、結局貢士は信哉に電話をかけた。
番号はすでに使われていなかった。はるかも同じだった。
二人と知り合った頃にはまだ緩やかだった首都機能の分散は、当時よりも加速している。しかし、そんな事情がなくても信哉のようにアルバイトで暮らしていた若者がいつまでもそのまま同じ生活を続けているほうが不自然かもしれない。
はるかは東京で生まれ育ったが、信哉は北海道の出身だ。故郷に帰っていても不思議はなかった。
貢士は大きな通りから一本奥まった裏道をゆっくりと四谷方面へ歩いた。信哉とたまに立ち寄った喫茶店ともバーともつかない店の前を通ってみるつもりだった。
その店がすでに営業していないことは知っていた。入店していた雑居ビルは一年ほど前に老朽化で解体された。貢士はそれを知ったのは、跡地にマイクロタイプのストラクチャシステムが展開したからだ。非常に珍しい事例だったので、情報は貢士たちにも共有された。都心部に適応するための彼らなりの進化だったのかもしれない。だがストラクチャシステムはすでに停止した。
敷地を取り囲む鋼鈑のフェンスが見えてきた。機体はまだ撤去されずに調査対象として残されているはずだが外からでは様子がわからない。
彼はゆっくりとフェンスの前を通り過ぎた。
昔を懐かしむ気分にも少し飽きてきた頃、かつてのアルバイト先に到着した。
受付カウンターに近いデスクにいる女性に声をかける。
「四、五年前にここでバイトしてた者なんですが」
女性は貢士の知らない顔だった。
「バイトの代田君とか竹内さんってもういないですよね」
「お待ちください」といわれてそのまま突っ立っていると、貢士のことを覚えていた職員が出てきてくれた。
「ごぶさたじゃんか。どうしたの急に」
「代田、覚えてます? あいつに連絡を取りたいんだけど、誰か知ってる人がいないかなって」
「代田君かぁ、彼も辞めてだいぶ経つからなあ」
職員はいいながら考えていたが、「あ、」と言葉をつないだ。
「寺岡君は知ってたっけ?」
今度は貢士が記憶をたどる番だった。物静かで穏やかな青年のイメージが浮かんだ。
「ええ。短い間だったけど、少しかぶってる」
「彼ならまだいるよ。ちょっと待ってて」
寺岡は、職員として採用されてそのまま残っていた。内線で連絡を取ってもらい、屋上で待ち合わせることになった。
灰色の雲が空を覆っている。おかげで日差しはやわらいでいるが、屋上は地上とはまた違う熱をはらんでいた。
ここも貢士にとっては懐かしい場所だった。屋上には喫煙所があり、昼休みにはよくここで過ごした。信哉をはじめ、音楽をやっている者が何人かいたから、誰かがギターを持ち込んでかき鳴らしていることもよくあった。久しぶりに煙草を喫いたいという感覚を思い出した。
十五分ほどだろうか、街並みを見下ろしていると寺岡がやってきた。
一緒に働いていた期間は半年もなかっただろう。それほど親しいというわけでもなかった。しかし、彼の温厚な性格は貢士に好ましい印象を残していた。残っていたのが彼でよかったと貢士は思った。
だがその控えめな性格のせいもあるのだろう。彼も当時の仲間とはほとんど連絡を取り合っていないようだった。
「ここはあいかわらずです。わけのわかんない奴らが次々と入ってきます。自分もそうでしたけど」
寺尾は笑みを浮かべながら手すりに腕を乗せて遠くを眺めた。
「でも、辞めちゃうとなんとなく連絡しにくくなっちゃうんですよね」
「だね」と貢士は素直に同意する。
寺岡は貢士の方に向き直ると「まず」といった。
「わりとだいじなことから」
「うん」貢士はうなずいて彼の言葉を待った。
「藤崎さんが辞めてからしばらくして、冬だったかな。竹内さん、体調を崩して辞めちゃったんです」
貢士は黙ったままビルのすぐ下に視線を落とした。そこのあったはずの小さなビルに、彼がここを辞めるときに送別会をしてもらったはるかの店があった。
はるかは、この近所で母親と暮らしていた。少し歳の離れた弟もいっしょだった。しかし、現在の街並みを見れば、はるかもすでにこの街にいないことは容易に想像できた。はるかの店も家もすでにここにはなく、あたりには何か貢士にはいまひとつ理解できない活動をしている団体の施設がいくつか点在していた。
貢士が何を見つめているのか、寺岡はすぐに気づいた。
「辞めたのは体調のこともあるけど、この施設ができるんで実家が立ち退くっていうのもあったみたいです」
「どこに引っ越したんだろう」
「僕もそこまでは知らなくて。それからすぐノブさんも辞めちゃって連絡がとれなくなったから」
貢士の心のなかではまだぼんやりとしていた後悔が、くっきりとした痛みに変わった。
「ここね、うちも会員なんです。それで、竹内さんにはなんだか悪いような気もしちゃってて」
寺岡から個人的な話を聞くのは初めてだな、と貢士は思う。続きを待ったが、彼は黙ってしまった。
「で、ノブは?」と貢士は話を戻す。
「竹内さんが辞めて、ほんとすぐだったんですけど、それで、」
寺岡がまた言葉を詰まらせる。
「?」
「それで、ノブさん、藤崎さんのことすごく怒ってて。竹内さんが入院したのに連絡がつかないって」
信哉は友人に何かあったときには労を惜しまない男だった。
「あいつらしいよ」
そもそもはるかと親しくなることができたのも、信哉のお節介があってのことだ――そんなことを考えていると、会話に妙な間ができてしまった。
「すみません、なんだか。でも、結局その後、ノブさんも連絡がつかなくなっちゃったんです」
「いや、気にしないでよ。悪いのはおれだもん。連絡つけて謝らなきゃ」
貢士はこめかみを抑えながらいかにもバツの悪そうな笑顔をつくった。それを見て寺岡は少し安心したようだった。
「あの頃はみんなとバイトしてるのが本当に楽しかった」
寺岡は両腕を挙げて伸びをした。
「いっぺん集まろう。まあ、これから探すんだけど」
「僕も調べてみますよ。ノブさんは面倒見がよかったから、まだ誰かつながってるかもしれない」
昼休みは五分ほど過ぎていた。寺岡は貢士のリストデバイスから送信されてきた連絡先を確認すると急ぎ足で仕事に戻っていった。
貢士はもう一度、はるかの家があった辺りを眺め、懐かしい屋上を後にした。
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