・4-18 第70話:「河畔の戦い:3」

 後に[河畔の戦い]と通称される一連の戦闘が開始されたのは、建国歴千百三十六年、三月十五日の午後一時過ぎであった。

 強行軍の末に戦場に到着した帝国軍の先鋒軍の指揮官、ノルトハーフェン公国軍の第一師団長でもあるフレッサー中将は、共和国軍の全軍が渡河を完了できておらず、大砲の類もその大半が前線に出て来ていない状況を認識すると、即座に攻撃開始を命じた。

 まずは、強行軍に遅れることなく追従してきていた軽野戦砲の放列を敷き、手持ちの弾薬を使い切る覚悟で砲撃を加え、その間に展開し横隊を形成した歩兵部隊による攻撃も行わせた。


「進め! 敵に自由に展開する余裕を与えるな! 」


 この攻撃に際し、フレッサー中将は下馬して自ら陣頭に立ち、サーベルを高々と振りかざして指揮を執った。

 彼は酒と美食を愛する人間だった。それゆえに恰幅が良く、そのウエストはビール樽を思わせるものがあったが、しかし、性格は義侠心があり勇敢で兵士たちから親しまれているだけでなく、代皇帝であるエドゥアルドにとってはもっとも古くからの馴染みの軍事指揮官であった。

 彼はまだノルトハーフェン公爵としての実権を得ておらず、非常に危うい立場にいた少年を支え、現在の地位を築くのに至る道筋を切り開いてくれた人物なのだ。

 出会ったころ、もう数年も前の話になるが、彼は大尉に過ぎなかった。

 当時のフレッサーは自分の出世はここで頭打ちだろうと考え、好きな酒と料理を楽しめれば良い、くらいに考えていたところがある。

 だが、エドゥアルドを支えた功績からとんとん拍子に出世し、現在では中将、そして一万八千名の部下を持つ師団長であり、さらには重要な局面で難しい判断と果敢な指揮を求められる先鋒軍の指揮官を担っている。

 彼は歴史に燦然さんぜんと名を輝かせるような名将などではなかったが、信頼されるだけの相応の指揮能力を持ち、なにより肝が据わっていた。

 先鋒として到着した自分たちの役割は、まず、共和国軍の渡河を妨害し敵軍の展開を抑止して、後々に到着する帝国軍の主力が本格的に攻勢を開始するまでの間に、できるだけ有利な形勢に持ち込んでおくことだと理解していた。

 理想を言うならば、十万の敵をここで殲滅せんめつしたい。

 そのためには、すべての敵を渡河させる必要があった。

 だが他の地点から渡河して来る共和国軍、もっとも近い場所にいるのは中央軍と帝国側から呼称されているムナール将軍に率いられた本隊だったが、これが来援する前に痛撃を加えるという観点で見れば、敵軍が完全に渡河して来るまで待つ必要はなかった。

 半分程度を撃破し、架橋された舟橋を破壊できれば、戦果としては十分なのだ。

 だからそれだけの成果を得るための下準備にフレッサーは徹することに決めていた。

 態勢が整わずとも速攻を仕掛けて敵の展開を圧迫し、じきに到着する後続の帝国軍の戦線参加と共に攻勢を強め、共和国軍をグロースフルスの河面に追い落とそうとしたのだ。

 自軍の大砲が未だに渡河中であり砲撃に満足に反撃できなかった共和国軍だったが、帝国軍の歩兵部隊の接近に対しては激しく応戦して来た。

 ノルトハーフェン公国軍の第一師団はエドゥアルドが初陣を飾って以来共に戦い続けてきた熟練兵ばかりであったが、共和国軍にも、革命戦争の時期から兵士として戦って来た古参兵が数多くいるために、手強い。

 互いに整然とした密集横隊を形成し、打ち鳴らされるドラムの音に合わせて着々と前進し、マスケット銃の斉射を撃ち合い、そしてそのまま、激しい白兵戦へともつれこんで行った。

 一進一退の攻防であった。

 帝国軍は勇猛に戦ったが、渡河点を守らねばならず、頼みの舟橋も現在後続の味方が渡っている途中で、引くに引けない共和国軍も必死に戦った。

 だが、先鋒軍に組み込まれていた騎兵部隊の活躍により、交戦開始から二時間後、午後三時には、戦況は帝国軍側の優位に傾いた。

 ペーターから「騎兵のことはよくわからんから、指揮は一任する! 」と、半ば放任主義的に任されていた騎兵部隊の指揮官は共和国軍が築いた橋頭保の側面に進出し、各中隊を突撃させては交代させ、また別の中隊を突撃させ、と、徐々に敵軍を削り取り、圧迫していったからだ。

 歩兵の戦列から放たれるマスケット銃の一斉射撃は、騎兵の突撃を粉砕する。

 だが、再装填するいとまを与えずに交代で突撃をくり返すことで、その防衛線を交代させ、崩すことができたのだ。

 さらに続々と到着した帝国軍も、先に戦っているフレッサー中将に続け、という合言葉で次々と戦線に参加し、圧力を強めて行った。

 この攻撃に耐えかね、共和国軍はじりじりと河岸に追い詰められ、最後尾の兵士たちの一部は、河の水につかり膝のあたりまでをらすような状況に陥っていた。

 ———しかし、ここで帝国軍側にとっての悲劇が起こる。

 陣頭指揮を執っていたフレッサー中将が戦死した、という風説が広まり、戦闘に加わっていた部隊に動揺が走ったからだ。

 これは、誤報であった。

 フレッサー中将は白兵戦で敵の銃剣を受け負傷したものの、その太った肉厚な腹のおかげで生き永らえており、後方に運び出されて応急手当を受けつつも指揮を執り続けていたからだ。

 だが、この一時の動揺によって、この日の勝利のチャンスを失ってしまった。

 攻撃が鈍った隙を突いて共和国軍は反撃に転じ、帝国軍の先鋒を押し返して橋頭保を広げ、そこにすかさず後方から渡河して来た増援が入って防御を固めてしまったからだ。

 やがて夕暮れ時となり、日没が近づくと、戦いは自然に終息していった。

 両軍とも五時間にも渡る交戦で疲弊してしまったし、帝国側は五十キロメートルの道のりを二日半で踏破して来た強行軍によって、共和国側は昼夜を問わずに続けた架橋作業によって疲労困憊ひろうこんぱいし、これ以上戦い続けることは困難であったからだ。

 初日の戦いは、痛み分けであった。

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