・2-3 第13話:「謁見(えっけん)の間」

 タウゼント帝国の国府、宮殿は、主に二つに分かれている。

 表と、裏。

 国政を担う様々な官庁や皇帝自身が政務を行う公的な場が表であり、広大な中庭を取り囲むように多くの建築物が並び、無数の人々が働いている。その奥に黒豹門パンタートーアがその磨き上げられた黒い姿で威風堂々とかまえており、そこをくぐると宮殿の裏、すなわち皇帝の私的な生活空間が広がっている。

 これらの施設にはツフリーデン宮殿という名がつけられているが、広義の意味では全体を、狭義の意味では皇帝の住居だけを指し、使い分けがなされている。

 エドゥアルドは帝冠を戴いた者だけしかくぐることの許されない黒豹門パンタートーアを通行するつもりはなかった。

 自分はあくまで、意識不明となったカール十一世の代理として統治を行う。

 その立場を鮮明にするために帝都での滞在はホテル・ベルンシュタインとすることを決めているし、今回、帝国の政務を掌握するために各省庁の大臣や高官たちと謁見えっけんするのに当たっても、本来であれば皇帝が腰かけるはずの玉座ではなく、その前側に用意させたイスに腰かけることにしている。

 侍従たちに迎え入れられ、うやうやしく案内されたエドゥアルドは、自分のために運び込ませたイスに腰かけると謁見えっけんの間全体を見渡した。

 皇帝が臣下、あるいは外国からの使者と会う。

 ただそれだけのための空間であるのだが、そこは大聖堂に匹敵するほどの広さと高さを持っていた。

 重厚な石造りで、左一面は表面を磨き上げられ彫刻を施された大理石と帝国の国章である黒豹パンターが金の糸で刺繍された巨大な垂れ幕とで覆われ、右側には採光のための細長い窓がずらりと並ぶ。

 上を見上げれば、煌々と周囲を照らし出すシャンデリアが鈴なりになっている。昔は蝋燭を使っていたのだが、近年になってガス灯に変更されている。そしてその明かりに照らし出されて、この大きな広間の屋根を支えている太い石造りのアーチがそびえ、作り出された数々の陰影が奥行きを強調し、謁見えっけんの間全体を壮大な印象に整えている。


(無駄に、広い)


 そんな感慨がわく。

 もし、この豪勢な広間を作るためにかかった費用と労力を別のことに振り向けていたら、どれほどのことが出来たのだろうか。

 単純に、貧しい者たちに与えてやっていたら、何人の命が救えただろうか。

 帝国は強国と言ってよい立場にいる。経済力もある。

 しかし、すべての国民が豊かな生活を送れているわけではない。中には貧困の余り今日食べる食糧すら手に入らない者もいる。

 エドゥアルドの支配する、ノルトハーフェン公国にだって、いる。少年公爵が統治するようになって貧困者にも職を与え、必要であれば配給を行うなどの対策を取っているから相当改善はされたが、まだ手を付け始めて数年のことであり、救われたいと願っている人々全員を救済するのには至っていない。

 ましてや、そういった施策を行っていない帝国全体では、どれほどの貧民が残っていることだろうか。

 ———もっとも、この謁見えっけんの間だって、必要があって作られたのだ。

 国家を成立させるためには、権威が要る。

 人々に対して、税を納める必要があり、時には命令に従って戦わなければならない、そう思わせ、納得させるための[重石]がなくてはならいないのだ。

 もしもふさわしい権威がなければ、いったい誰が、自分が汗水たらして働いた結果で得た成果物を税として納め、兵士として敵弾に向かっていくだろうか。

 由緒正しい血統や、聖職者たちの力を借りた信仰に基づく[箔]。

 この謁見えっけんの間のように、誰が見ても一目で分かる[力]の実在を示す手法も、古くから行われて来たことだ。

 こうやって人々に支配されることを受け入れさせてきたからこそ、タウゼント帝国は一千年以上もの歴史を生き永らえることが出来たのだ。

 そういったことは、頭ではきちんと理解している。

 それでもあまり愉快な気持ちになれないのは、エドゥアルドが貧しい者たちがどんな生活を送っているのかを知ってしまったせいだろうか。

 普通の貴族は、そんなことは知らないのだ。

 貧しいのは、彼ら自身が怠惰で愚かであるせいだと断じ、歯牙にもかけない。

 しかし、そうではないと、若き少年公爵は知っている。

 愚かだから貧困なのではない。

 貧困だから愚かになるのだ。

 貧しい者を両親に持った子供は、まともに教育を受ける機会など得られない。だからどんな才能を秘めていようともそれを磨くことなどできず、愚鈍に大人になり、そして、なんら技能を持たないためにまともな職に就くこともできず、貧困から抜け出すことが出来ない。

 そしてそんな大人から生まれた子供もまた、同様の運命をたどってしまう。

 ———たとえスラムで生まれ育った者でも、磨けば光るモノを持っている。

 そのことをエドゥアルドは一人のメイドを通して理解した。

 最初はただの気まぐれ、頑張っているご褒美程度にしか考えていなかったが、常に自身と近くに仕える中で様々な知識を身に着けたルーシェから、はっ、とさせられるような指摘をされたことは何度かある。

 最初は無知な、ただ一生懸命なだけの少女だった。

 今でも無垢なのは変わらないが、エドゥアルドが私人としてではなく、公的な立場で相談をしても、実になる話を聞けるくらいにまで成長している。

 もしかすると、このまま行けば、頼りにできる存在になってくれるかもしれない。そうなれば、メイド相手なら外聞を気にせず気軽に相談できるだろうし、何かと助かるだろう。

 もちろん、貧者の全員が才覚にあふれている者たちとは限らない。

 人には向き、不向きというモノがあり、エドゥアルドが求めている、政治や軍事で活躍できる人材ばかりではないだろう。

 だが、その他の分野、芸術や学問、商業や工業などの分野で、力を発揮できる者がいるかもしれない。

 教育を受けることが出来ずにいる人々にそれを与え、力とすることが出来たら、きっとこえまで誰も成し得なかった大きな事業を実現できるのではないだろうか。

 そんな期待が確かに生まれ、心のどこかに存在し続けている。

 しかしまずは、エドゥアルドはここでこの帝国の国政を掌握しなければならなかった。

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