・1-6 第6話:「皇帝になるべきではない」

 公爵たちの会話に、求められもしないのに割って入る。

 貴族制度が当たり前の社会に生まれ育った人々にヴィルヘルムの行動は少なくない驚きをもたらしたが、主から発言の許可を得ると、彼はいつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべたまま、人々をさらに驚愕させることを言った。


「恐れながら。殿下は、帝都に凱旋なさっても、帝冠を戴くべきではないと存じます」


 ざわざわ、と、集まっていた人々の間に動揺が広がる。

 誰もが、この内乱に勝利したことでエドゥアルドが新しい皇帝になるのだと考えていた。

 現在の皇帝、カール十一世は存命ではあったが意識不明なままで目覚める気配は一切なく、実質的に帝国の国家元首の地位は空白となっている。

 だからこそ次の皇帝位を巡ってベネディクトとフランツは対立し、内乱にまで至ったのだ。

 そしてそれを、エドゥアルドが鎮圧した。

 政敵を排除しただけでなく、内乱を迅速に収束させたことで少年公爵はあらためてその力量を示した。

 新しい皇帝になるのは、彼以外にいない。

 みながそう考えていたし、帝都に到着した後は、もしかするとこの国の歴史上で最年少かもしれない皇帝が誕生すると信じていた。

 ———そしてそれは、エドゥアルド自身も同様だった。

 これから自分がこの国家の指導者となり、難局に立ち向かっていかなければならない。

 だからこそ、今後を想像して憂鬱になったりもしていたのだ。


「すまないが、ヴィルヘルム。どういうことなのか説明してもらえないか? 」


 皇帝になるべきではない。

 そう言われて、少年公爵は驚き、同時にほんの少し不愉快だった。

 ブレーンとして信頼してはいるものの、その相手から帝位につくべきでないと言われたのは、自分にそうなる資格や実力がないと指摘されたような気がしたからだ。


「カール十一世陛下は、意識不明のままでございますが、未だにご存命であらせられます。そして、我が帝国には、皇帝が存命であるうちは新たな皇帝を立てることはできません。帝国に二人の皇帝が存在すれば、混乱は必至だからでございます」

「それは、僕もわかっている。しかし、今回は事例が特殊なのではないか? 陛下は、残念ながらお目覚めにならない。加えて、西ではアルエット共和国のムナール将軍が、が五十万もの軍を動員しているという。これに備えるためには、帝国の最高意思決定者が実質的に不在のまま、というのは避けなければならない」

「我が父は、今も眠り続けております」


 エドゥアルドの言葉はもっともであると、アルトクローネ公爵・デニスがうなずく。

 彼はカール十一世の実の息子であり、意識不明となった皇帝はその故郷で今も意識を取り戻さないまま治療を受けている。


「何人もの医師に確認させましたが、その見解は一致しております。……誠に残念なことではありますが、我が父は二度と、目を覚ますことはないはずだ、と」

「しかしながら、ご存命であらせられる以上、カール十一世陛下は、皇帝のままです。我が国には意識不明となった皇帝に代わり、退位させるという制度が存在しておりません。もしもエドゥアルド殿下がこのまま皇帝に即位されたら、この国には二人の皇帝がいるということになってしまうのです。のみならず、殿下は皇帝が存命であるのにその意向をないがしろにして帝位についたという、簒奪さんだつの汚名をこうむりかねないことになってしまいます」

「それは、そうかもしれないが……、やはり現在の情勢を考えると、エドゥアルド殿に皇帝になっていただくしかない。そもそもカール十一世陛下は、十年後にはエドゥアルド殿が皇帝になるべきだと、そうお考えになり、手紙まで残されていたのだ。必ずご納得いただけるのではないか? 」


 公爵の言葉に真っ向から反論するヴィルヘルムに、デニスに続いてユリウスも反論を加える。

 その間に、エドゥアルドは考え込んでいた。

 未だにこのいつも笑顔の仮面を張りつけている臣下のすべてを理解できているわけではなかったが、出会ってからの三年間、彼は常に少年公爵のためになる進言しかしてこなかった。

 ということはつまり、今回の進言にも相応の根拠があるのに違いないのだ。

 確かに、カール十一世が存命なまま帝冠を戴いてしまえば、この国には二人の皇帝がいる、ということになってしまう。

 帝国の制度として、皇帝が不慮の事故で意識不明になるなどという事態は想定されておらず、寿命が尽きるか、戦没・病没するか、自ら退位を宣言するか以外の方法では、一度得た皇帝位を失うことはない。

 少年公爵が新たな皇帝として即位すれば、エドゥアルドとカール十一世、どちらが真の皇帝なのか、という問題が起こるのだ。

 皇帝という地位を成立させるためには、[正当性]が必要だ。

 誰もがその存在を間違いなく国家元首だと認め、従わなければならない相手だと受け入れざるを得ない、その根拠となるものが。

 この正当性を確保し、保つために、皇位継承に関わる様々な制度が整備され、厳格に運用されて来た。しかし、そこに、今回のような事態を想定したルールはまだ存在しない。

 これは、皇帝自身の死、あるいは意志以外によってはその地位を解消する術を用意していない、帝国の制度設計上の欠陥だった。

 ———だが、そもそも、果たしてあの老人が目覚めることがあるのだろうか?


「……僕が皇帝位を引き継ぐのがマズい、というのなら、どうすればよいというのだ? 」


 そう思いはしたものの、少年公爵は結局、自身のブレーンのことを信用し通すことに決め、先を促していた。

 やはり、彼が自分にとって役に立たないことを言うことなどないと思えたからだ。

 するとヴィルヘルムはうなずいてみせ、自身の主君のことをまっすぐに見つめながら答える。


「殿下は正式な皇帝として立つのではなく、あくまでカール十一世の代理として、代皇帝を名乗るのがよろしいかと存じます」

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