魔人拳

たみねた

序 魔物のような人間

 その者は四肢を斬られた上で鎖に巻かれていた。

 女である。

 身体に幾つも傷が刻まれた女である。

 女性的なくびれを残しながら、しなやかな筋肉で肉体を形作っていた。

 四肢があれば、それも相当鍛えられていたのだろう。

 その女が、廃墟の牢獄の奥深く──それも幾つもの魔術障壁が重ねられた最奥に、封印されたように拘束されていた。


 ゴブリンたちが発見したのは、そのような女であった。

 がさつだが美味そうな女である。

 そして頑丈そうだ。

 孕み袋にすれば何十、何百匹の子を産んでくれるだろう。

 ゴブリンたちはそうとしか考えていなかった。

 きゃいきゃいと騒ぎ、ああしよう、こうしようと主張していた。


「静まらんか!」


 それを制したのは、ゴブリンであった。

 だが、周りの野蛮なゴブリンとは一味違った。

 ドワーフのようなゴブリンである。

 珍妙な髭を伸ばしていた。

 手には剣。

 質の良い鍛冶屋に鍛造させた剣である。

 そして首には反抗する人間を駆除する魔族に与えられるタグ──人狩りのタグをぶら下げていた。


「俺達の目的を忘れるな。ここに隠れる人間を探すのだ」

「いるぜ、ここに」


 拘束された女が言った。

 笑みを浮かべていた。


「てめえ、共通語を喋るたあ随分生意気なゴブリンだなあ」

「フン! 俺はヴァン・ゴブリウス十三世よ」

「名ありか。へへ、じゃあオレの願いを聞いてくれるってワケだ」

「人間の願いなど聞かん。貴様、ただの囚人ではあるまい」

「いかにも」


 へへ、と女が笑った。

 妙な凄みが漂っている。

 今からゴブリンたちが我慢できず女を蹂躙するだろうに、そんなことも考えていないような目だった。

 それがヴァンには気に掛かった。


「であれば、感謝することだ。貴様は極刑を免れたのだ」

「極刑?」

「うむ。偉大なる魔王マクスの軍が人類を討ち、世界を支配したのだから。もはや人間のルールが貴様を縛ることはなかろう」

「……へえ、人間、負けちまったんだ」


 そうだろうな、とでも言わんばかりの口調だった。

 ヴァンにはそれが、余計に引っ掛かった。

 だが所詮は囚人。

 人間社会の秩序を良しとしなかったはみ出し者。

 人間を憎む人間だ。

 その反応も想像できようもの。

 だが、それでも。


 ──何故この女は、嬉しそうに笑うのだ?


「今からオレ、犯されんだろうなあ」


 女が言った。

 喜悦が混じっていた。

 ゴブリンたちはそれにも気付かず、我慢できず、彼女の鎖を断とうとしている。


「やべえなあ。人間の負けた世界の末路なんて、想像したくもねえよなあ」


 ゴブリンたちによって、鎖が断ち切られる。

 どしゃっ、と達磨の女が地面に転がった。

 ゴブリンたちが彼女に群がる。

 女は顔を上げて、ヴァンを見た。

 その瞳をヴァンは見た。

 赤く、光っている。

 

 へひっ、という声が聞こえた。


「AARGHH!?」

「GYAAA!?」


 群がるゴブリンたちが悲鳴を上げ、壁に叩きつけられた。


「何だ!?」


 それはすぐに分かった。

 ヴァンは、女の達磨の身体に生えた赤く透明な四肢を見た。

 魔術。

 あの鎖は、女の魔術を封じていたのだ。

 手足が生えぬように。

 ヴァンは剣を構えた。

 女が突撃してきた。

 ──と、思った時には眼前にいた。


「はや──」

「ひゃあっ!」


 女の拳がヴァンの顔面にめり込む。

 ばきっ、とも、べしゃっ、とも音がした。

 ヴァンの頭部はそれで無くなっていた。

 即死である。


「あらま。所詮はゴブリンか」


 女は残るゴブリンたちを見た。

 ゴブリンたちは互いに顔を見合わせ、一斉に逃げ出す。


「一つ」


 その背を女が貫いた。


「二つ」


 貫いた。


「三つ」

「四つ」

「五つ」


 貫き、貫き、貫いた。

 心臓が無くなったゴブリンの死体が十四ほどできた頃には、もう牢獄に動くゴブリンはいなかった。

 女が手を振るうと、赤い透明の腕は血を振り落とした。

 瞬間、肉の四肢が生えた。

 再生したのである。

 やはり、しなやかな筋肉が覆っていた。


「何年経った、まじで」


 ごきり。

 ごきり。

 と首を鳴らす。

 女は全裸のまま、牢獄を出た。


 牢獄の外には、廃墟のような街が広がっていた。

 無人である。

 無残に破壊されている。


「マジで人間負けたのか。へえ」


 女の顔面に喜悦が浮かび上がった。



──



 魔王軍との戦争中であっても、人間たちに馴染めぬ人間たちがいた。

 犯罪者である。

 それも、終身刑や死刑を宣告された者たちである。

 彼らはその危険性故に魔王軍との戦争に駆り出されることもなく。

 ただ牢獄で、生命が終わる時を、死刑が実行される時を、待っていた。

 だが人間は負けた。

 彼らに罰を与える者はいなくなった。

 そして彼らが蹂躙する人間も。

 であれば、誰に矛先が向くのか?


 ──魔族である。

 暗黒の秩序の上に君臨する輩たちである。


 今宵、一人の極刑者が解き放たれた。

 ”勇者殺し”ザラ。

 神に祝福されし勇者を死に追いやった、恐るべき化物である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る