第30話 リオの記憶3
世間が事件を忘れようともリイチ様の人生は続いていく。
とうぜん関係性がとぎれた水無家も新たな任につかされる。
しかし、全てが一筋縄ではいくような状況ではなかった。
もちろん水無家の話ではなく、リイチ様のお立場だ。
いくら血が繋がっていようとも、母と子は認められる前だった。その話すら宙ぶらりんの時期だった。
ただの一般人。
影響力皆無の二人。
認知前の子供――鬼炎家ほど大きくなると血縁者だろうが、内部に派閥がいくつも存在する。
当たり前のことだ。いつの時代も我が子により良い環境を用意したいのが、親心。そして時代はいつもその私利私欲で変化してきた。
水無家が在籍する火消しの一族でさえも同じ。全ての人間が通じ合っているわけではない。
結局のところ、序列の存在する鬼炎家で、後ろ楯を失ったリイチ様の存在が黙認されるわけがない。
場合によっては殺されてもおかしくはなかった。
――そこで水無家が動いた。
すでに許嫁のような存在ではなくなっていたリイチ様を、我々が責任を持って見届けることにしたのだ。
もともと従者の中での水無家の位は高い。
現当主からの信頼もあつい。
だからこそ、わたしたちはリイチ様の保護を認められた。
当主様からすれば孫である。それも未来を期待したピカイチの才能をもっていた子だ。
新たな任務は、ひそかに進められた。
――表向きは。
そう。
ひそかに進めておいて表向き、というのもおかしな話だが、そんな表現しかできない。
なぜならば恐るべきことに、リイチ様の母親はわたしたちの保護を断ったからだ。
状況を説明してもなお、首を横に降り続けたという。
『リイチはわたしが育てていく。それが、万が一こうなった時の、あの人との約束だったんです――もう、わたしには、この約束しかすがるものがない。命続くまでは、守ります』
その言葉が全てを物語っていたと、父は言った。
再三の説得にも応じず、我々は説得をあきらめた。
――そう。表向きは。
もちろん簡単に引き下がる我々でもない。
リイチ様のお母様は知ってか知らずか、命に関しては、水無家が責任を持って、見守っていた。
極秘裏にその任を、続けていたのだ。
そしてリイチ様の記憶通りの人生が始まっていく。
父親はまだ生きているにも関わらず死んでいると伝えられ、本当に死んだあとも死んでいると伝えられた。
リイチ様は母の言葉を疑うことなく、バイトをしてお金をおうちに入れ、お休みの日はアパートの住人にからまれては遊んでいた。
友達がいないことを除けば、それはもう立派な青春といえた。
お金がないながらも笑顔の絶えない人生。他に望むものなんてない気もした――そう。
足すことの不幸はなかった。
しかし、母の存在が引かれることになったその日から、リイチ様の人生は変貌したのだ。
わたしには、わたしの責任があった。
吐き気がするけれど、リイチ様とは別の人間と子をもうける必要もあるようだった。
でも、とわたしはいつも思っていた。
嘉手納や他の人間から聞かされるリイチさまが頑張る姿を思えばこそ――あの部屋で過ごした数時間の思い出があれば、わたしは強くなれるのだ。
いまならわかる。あれは初恋なのだ。それも続きのページが破れてしまったような、失恋さえできない初恋だ。
さて。
リイチ様は知ることになる。
母が死んだ後に、自分の存在を――自分が鬼炎家の血筋であることを知った。
それからあらかじめ想定されていたことだ。問題はない。
だが、一つだけ、まだリイチさが知らされていないことがある。
それはお母様の最後の想いだ。
命が続く限りは守りたい――と願った母の命が消えようとしている。
白紙だった初恋物語の続きが、唐突に始まったのだ。
◇
我々の見守りを知ってか知らずか、リイチ様のお母様から連絡が入ったのは、つい最近のことだった。
リイチ様のお母様はふるえる声で言ったという。
『厚顔無恥だと思う。でも、助けてほしい――リイチを保護してもらえませんか……』
末期ガン――一度の受診で人生のすべてを決められてしまった人間は、しかし、自分の子供のことだけを考えていた。
自分の命がまさか終わるとは思っていなかったのだと思う。リイチ様の成長を父のかわりに見守る権利が、命を守ってくれていると信じていたのだろう。だが、それは錯覚だった。
リイチ様のお母さまは――死ぬ。
リイチ様はとうとう一人きりになる。
わたしはお父様に頼み込んだ。
頼み込んだ末に、聞き取り役の任を請け負った。
嘉手納に運転をさせて、お母様を迎えにいき――話が始まった。
それは病におかされた母親が、見届けられない代わりにと、最後に残した希望なのだった。
「リオさん……どうか、リイチをお願いします……。リイチは鬼炎家にはいることが、正しかったんです……だからどうか……」
母親の涙が美しいことはわかった。
けれども。
笑顔のリイチ様のお話を聞いていたわたしとしては。
リイチさまが鬼炎家に入ることが正しいことなのかは――分からなかった。
もちろん断ることなんて、考えてもいなかったけれど。
◇
ねえ、リイチ様。
あなたは覚えていますか?
わたしと1日だけ、友達になった日のことを。
ねえ、リイチ様。
あなたは知っていますか?
あんなに人に負けることが嫌いなお母様が、わたしたちにただただ頭を下げたこと。
白いお顔で、『いまいちど、リイチとの結婚を考えていただけませんか』と頼まれたこと。
ねえ、リイチ様。
あなたは分かりますか?
リイチ様との結婚が破棄となり。
よくわからないブタのような鬼炎家の人間との婚約が決まりそうになっていたところに。
あなたという、わたしにとっての大切な存在が戻ってきてくれたことに。
それを呑めば、わたしの人生はふたたび幸せなものになっていくだろうと確信したことに。
ねえリイチ様。
それでも、わたしがこう言わなければならなかった気持ちはきっと、わからないですよね。
『お母様。それは頷けません。なによりリイチ様のお気持ちが大事でしょう。ですから、お母様。わたしは婚約者としてではなく、お母様の代理人として――母のように、リイチ様のことを見守りましょう。お任せください。我々は水無家。命は必ず守ります』
そう答えた、わたしの気持ち。
わかりますか?
『それにきっと……リイチさまからすれば、お母様との時間が一番幸せなはずです……』
安心したようなお母様の笑顔を忘れない。
それから数ヶ月後――母は、おそらく、妻の顔になり、死んでいった。
たった一人の少女に、母の思いを託して。
◇
そしてわたしとリイチ様は出会った。
激流にもまれるようにして水無家の屋敷にお住まいをうつしたリイチ様に、わたしはメイドとして従うことになった。
すべてを忘れて。
すべてを捨てて。
なにもなかったかのように、リイチ様をおささえしようと思った。
鬼炎家にいることは、幸せではないと、今では思ってきた。
リイチ様が笑わなくなっていく姿を見ると心が苦しくなる。
だからバカを演じる。
ときにはお母様から受け継いだ、リイチさまが喜ぶことや、料理を与える。
自分の欲望が出てくるのを、必死に押さえる。
ここ数年で極まってきた、無表情で乗り越えていく。
だってリイチ様以外の子をなすときに、それは必ず必要だから。
そして、願ったことすら忘れながら、わたしはそれでも夢を見る。
――ああ、リイチ様。
――あなたのお父様のように、わたしをどこかへ連れ去ってくれませんか。
――あの日に止まった時間を動かしてくれませんか。
でも。
いまだに、秒針の音すら聞こえないのだ。
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