コミュ障社畜がコロナになった話

橋本しら子

第1話

 このまま帰って悪化したら死ぬよ?

 だからどうした上等だこのやろう、そう心の中で啖呵を切って誓約書に署名をして外来から一時帰宅をしたのは私です。


 今年5月に巷で流行りのコロナウイルスが5類に移行してから、早数ヶ月。あまりニュースでは取りざたさなくなりましたが……昨年度、まだコロナが自費ではなく国が医療費を払ってくれるありがたい時期に、私は見事コロナに罹患しました。

 いや、正直いつかはかかると思っていたんですよ? 逃れられる気がしないなと。

 職場でも日々あの子が発熱して陽性でした! 翌日は別の子が……そんな毎日だったので。

「まあ、かかってもみんな軽症で済んでるしなんとかなるだろう」

 って、そう思っていた時期もありました。

 ところがどっこい。結論から言いますと、罹患して1年以上経過した今現在も病院通いを余儀なくされています。

 あの時甘く見ていた私、ちょっと体育館裏でお話しようか?

 

 そう……全ては夏の終わりのあの日から始まったのです。


 8月某日。

「なんか熱っぽい」

 直近で東京の某屋内型アミューズメント施設へ遊びに行っていた長男が発熱。

「あ、こりゃやべぇな? ついにきたか?」

 近隣の発熱外来で検査をしてもらった結果、期待を裏切らない陽性でした。自宅療養ということで、あれこれ必要なものを買い揃えて一家全員で引きこもり生活の始まりです。これから地獄が始まることなど我々はまだ知らない。

 本来なら長男は完全隔離生活をしていただくところなのですが、何せ狭い一軒家。完全隔離などまず無理です!

 食事の時間はずらしたり、家の中ではお互いマスクを徹底していましたが……この長男自室で大人しくしているということを知らない……。

「だって、部屋Wi-Fi届かん」

 ごもっとも。少しでも長く部屋に押し込めておくために、中継器をお買い上げ。この時期某ショッピングサイトには大変お世話になりました。翌日には配送されてきたので、早速設置。しっかりとWi-Fiが繋がるようになったのか、長男自室に篭もり出す。この頃の長男の症状は発熱と咳。

「なんか熱っぽい」

 そして次男と旦那へ――。

 それはそうだよね。同じ部屋で寝るしかなかったからね。哀れ次男も発熱し、旦那と共に再び病院へ……。

「二人共陽性ですね」

「ですよねー!」

 長男罹患したときは夏休み中だったので事なきを得ていたのですが、次男は夏休み延長戦が始まりました。旦那も仕事欠勤延長です。私? 勿論強制的にお休みですね! 完全に不可抗力です。

「もうこれ時間の問題じゃないですか……次は私なんだろ? 知ってる!」

 次男と旦那も発熱がしばらく続き、咳がひどくもはや逃れられぬ宿命。そして9月某日……感染しました。

「想像してたより酷い! これは死ぬ!」

 もう一生分の咳をしたんじゃないかな! っていうくらいの咳が出ました。処方された薬などなにも効かん。唯一気休め程度に効いたのが市販薬でした。某通販サイトでさらに半分優しさで出来ているお薬もお買い上げです。

 この頃になると、長男は完全復活。次男もほぼ完治で、旦那もかなり元気になってきました……しかし、療養期間が解けないので買い物にも行けず。物資も住んでいる市から送られてくるなんてことは一度もなかったので、初めてのネットスーパーでのお買い物を使いました。ありがとうイ○ンネットスーパー。結局一度しか使いませんでしたけど、この時は本当に助かりました!

「で、私も自宅療養期間終わるんだが治る気がせんな?」

 かれこれ10日以上咳が止まらない上に呼吸が苦しい……階段上れば天国へのカウントダウン。衰弱のデバフでも掛かっているのか、歩けば体力が激減。寝ることすらままならない日々が続きました。いや、まじでおかしいな? なんで私だけこんな瀕死なんだ? 旦那たちはケロッとしてるのにな!

 あまりにおかしいなということで、丁度療養期間が明けた日に再度病院を受診……。

「紹介状書くから今すぐデカイ病院行って」

「アイサー」

 と、紹介状を渡され近隣の大きな総合病院へと回されました。


「血中酸素濃度88パーセント」


 通常正常値は96~100だそうで、よくこれで生活していたなと……。

 旦那は先に仕事復帰していたのですが、この日は朝から病院に付き合ってくれていたのでそのまま総合病院まで運んでもらいました。運んでもらって結果がわかればそのまま仕事に行くはずでしたが……まさかの検査祭りで終が見えないという。

 血液検査からはじまりCTやらMRIやらいろいろと回されました。血管が細く見つからないので看護師さん泣かせの私の腕。見つからないと判断するや否や容赦なく手の甲から血管探してぶち抜いていく看護師さん……呼吸がままならないのに息を止めて(三十秒)とのたまうMRIの機械。この出来事忘れない……忘れないからね。

「肺が真っ白! コロナ中等症Ⅱね! このまま悪化したら死ぬよ! 入院!」

 と、ものすごく簡略的に書いてはいますが、実際はとても高圧的な態度の先生にこんな感じで言われたので、ブチギレた私は一度帰宅しました。

 自宅にはお腹を空かせたデカイ子供が二人……いや本当に。誰がこの子らに夕飯作るのよ。入院なんて急に言われても手ぶらですし、荷造りを旦那だけに任せるとか絶対に足りないものだらけだし、下着の支度までさせたくないし二度手間どころでは済まないので帰らせてください。帰ります。

「それで死んでも責任は取らないからね」

 さらに高圧的に渡されたのが誓約書。冒頭のあれですね! 明日朝また緊急外来に来ることを条件に帰らせてもらいました。病院側的には非常に嫌な患者ですね。患者側からするととても嫌な医者になるんですけども!

 さらに手土産かな? レベルの大量の処方薬を受け取りました。これ全部飲むのかと考えるだけで乾いた笑いが出ましたあはは。

「で、入院ですってよ」

「仕方ないねー」

 本日一番災難な旦那。結局最後まで帰れず、Wi-Fiのない病院内で一人待ち呆けたあげく仕事を欠勤せざるを得ないという災難。すまねぇ……でも私は悪くねぇんだ。

 病院の外来も全部はけたあとの静かな院内を抜け、支払いの窓口もすべて閉まっていたため精算もできず、駐車場料金もとんでも額いくのでは? と慌てていたら。

「あ、今日のお支払いは今度で大丈夫ですよー。駐車場の割引券だけお渡ししときますねー」

 と看護師さん。ありがとう、どうしようかと悩んでいたんです。じゃあこのまま帰ります。まあ、結局コロナの検査料金云々なのでお国が払ってくれるんですけどね。

 帰宅後は気合で夕飯を作り、その他諸々を済ませて入院の支度をしました。相変わらず眠ることができないので、朝方までガタガタ荷造りです。


 翌朝。


「じゃ、病院行ってくるわ! しばらく帰ってこないからヨロ!」

 と、半分寝ている息子たちに軽く別れを告げて再び病院へ……。

 昨日の今日で緊急外来の方に話が通っていないのか、車で待機。数十分後別所へ通され診察を受け、そのまま入院の流れになりここで旦那とはさよならです。

 で、サクッと病室へ上がれるのかと思えばそうでもなく、その場で入院用パジャマに着替えさせられ点滴と呼吸器を繋がれ……なんと6時間放置されました。嘘だろ? と思いますが、朝から昼過ぎ……15時頃までその場に放置されていた気がします。

 昨日も検査祭りに回されていたのでアレなのですが、2日連続でお昼ご飯食いっぱぐれています。とても切ない。

「あ、LINEきてら」

 空腹と暇を持て余している時にスマホから通知が。開いてみれば職場からのヘルプLINEでした。業務でわからないところがあるから教えて欲しいと来ていたので、点滴を繋がれた腕でせこせこと返信。

 ある程度返信したところで気付いたのが、職場に入院決まったこと言ってないな! でした。

 丁度そのタイミングでお部屋準備出来たので行きましょうと迎えに来てくれた看護師さん。血中酸素濃度は低いですが自力で普通に歩ける中等症Ⅱ患者の私は、酸素ボンベを引き摺りながら病室へ行きました。

「このお部屋、電話は自由にして大丈夫ですよー! テレビもカードなしで見られますからね!」

 案内された部屋は完全隔離の広めの監視カメラ付き個室でした。ちょっとしたホテルより広いのでは。

「ただ、外には出られないので……」

 そう。こちらからは外に出られない。なので、トイレと洗面台も個室の中にありました。監視カメラは万が一の時のためについているもので、定点カメラ1個が天井に設置。常時見られるわけではないからそんなに気にしないでと言われましたが、監視カメラのある生活には仕事で慣れているのでお気になさらず。

「トイレこれは……」

「うーん、監視カメラから死角になってはいるので!」

「うっす、承知!」

 トイレは簡易タイプの……例えるならば子供のおまる大人版という感じでしょうかね。それで我慢するしかないと言うことらしいです。とんだ羞恥プレイですが、生理現象には勝てる気がしないので数日で慣れました。我ながら適応能力と順応力が高い。

 色々と落ち着いてから部屋の中を見てみれば、壁のような空気清浄機が鎮座していました。うん、とても良い空気。

 そして、数時間ぶりにありつけたご飯は天ぷらでした。冷え切ってたけどね! なんやかんやでバタバタした一日でしたが、久しぶりに横になって眠れそう……と思いましたが、やっぱり横になると苦しくなりそうな気がしたのでベッドは高く設定して座椅子に寝るような感じで就寝。夜中酸素濃度が下がった通知がナースセンターに届いたらしく、一度起こされて酸素の管を付けてもらい再度入眠。

 ――翌日。

「鳥飼ってる? 羽毛布団とか使ってる? 近所に鳥多い?」

「鳥はいねえっす! 布団はそんな高級なもの使ってないっす! とりあえず鳥はいない!」

 と、ひたすら周りに鳥がいないかを聞かれましたが……いないです。

 なぜこの質問なのか? 肺炎の原因を探っているためです。結果は夏型過敏性肺炎で原因はカビと埃でした。エアコン……犯人はお前だ。

 家族総出でコロナったために掃除すらままならない中のフル稼働。部屋の中での私の定位置がエアコン直風の位置だったための悲劇!

 空気の綺麗な場所にいれば治っていくとのことだったので、入院中は壁のような空気清浄機から吐き出される綺麗な空気を吸って生きていこうと思いました。なんなら、初日夜中にお世話になった酸素ボンベはもう必要ないほど元気です。本日の血中酸素濃度は正常値でした。嘘だろ……私元気すぎる。

「このお薬飲むと血糖値高くなっちゃうんだけど、測った時に基準値超えてたらインスリン注射で」

「げ、解せぬ」

 入院中何度この血糖値との戦いに明け暮れたか……病院食以外口にしていないのに! いつも……いつも基準値を超えてインスリン祭りでした。血糖値を測るため毎食後指にパチンと針を刺され、基準値を上回れば二の腕にインスリン注射が刺さる。

 幸い、注射が怖いわけでもなく先端恐怖症なんていうこともないので甘んじて受けました。あとはコロナ云々の点滴祭りが同時開催されているので、日に何度針を刺されるか数えるのも途中で飽きてきます。

 そう……点滴。初日入院前に緊急外来で看護師のお姉さんにつけてもらった管がですね……まさかの2日目夜にして不測の事態に陥るなんて思ってもいませんでした。

「点滴の入り悪いね?」

「悪いっすね……実は腕も痛い」

「新しく血管探そうか」

「承知」

 と始まったのが、深夜の出来事です。先も書いた通り、私の血管は見つかり辛いのです。最初は看護師のお姉さんが頑張って探してくれていたのですが、お手上げ。この時間帯で一番上手いと言われて呼ばれてきた男性看護師さんと深夜の血管大捜索が幕を開けました。

「……血管が逃げる」

「血管って逃げるんだ」

「ここにいるのに先がいない」

「私の血管ステルス機能あるんか」

 見つからない血管、ステルスなのか捻くれているのか刺すと逃げる血管。手の甲や手首など計5箇所が失敗に終わり、最終的に右手の甲に細い点滴の針を刺してこの場を凌ぎました。

 しかし、看護師のお兄さんは太い方の点滴の針を刺したかったのか無念そうな顔。しこたま針を刺され色々な血管をゴリゴリされてちょっとメンタルがしおしおな私。お互い疲労困憊なので、とりあえずもう遅いから休もうということに。深夜1時間に及ぶ血管大捜索はこれにて閉幕……。

 

していなかった!


「もっかい探そう!」

「好きにしやがれい!」

 翌朝諦めていなかった看護師のお兄さんにより再度祭りが開催されました。朝陽の助けもあってか、1度はしくじりましたが2度目で奇跡をみせてくれました! 朝陽が目に染みるぜ!

「あ、前に取った方も予備で残しておこうね」

「お、オケマルです」

 右手の甲に1つ、右の前腕部に1つ点滴の針と管が刺さった私は、聞き手を封じられました。まあ、身支度と食事以外は特に動くこともないので、不便ではありますがそのままに。だって、もう二度と血管大捜索祭りは開催してほしくない! いくら注射が平気な私でも流石にアレは堪えたんだ……。

 因みに、右手の甲は入院5日目に、前腕部の点滴は8日目には外してもらえました。それまでは中々に不自由でしたが、左の小指と胸に常に付けられている計数機よりはマシかな!

 入院10日目にして、PCR検査でやっと陰性になったためコロナの治療はこれで終了とのこと。

「大部屋が空いてなくてね……まだこの部屋にいて大丈夫だから!」

「寧ろずっとここがいいっす」

 コロナ隔離病棟のため、部屋に入ってくる看護師さんはみんな重装備でしたが……今日以降部屋に入ってくる看護師さんたちの装備品がとても減っていました。たまに間違えて重装備キメてくる方もいましたけどね。

「あ、この部屋大丈夫だった! 間違えたわ!」

 って笑い飛ばしていました。私も笑った。

 この先の肺炎の治療に関して色々と考えてしまい、入院10日目にしてメンタルブレイク。気分転換にSNSのフォロワーたちの安定っぷりを見ていたら落ち着いてきたので、どうにでもなりやがれよ精神で持ちこたえました。

 

そして訪れた緊急ミッション。


「下の放射線科まで行ってレントゲン撮ってきてねー」

「だ、ダンジョンマップを下さい」

 この病院に入院して早2週間ほど経ちます。が、私この病院初見なんですよね! 外来は入院前の検査以外お世話になったことがありません。放射線科isどこ。

 唐突に放り出された初見マップに、装備品はパジャマとカーディガンのみでどう立ち向かえば良いのか!

「ほら見たことか迷子だよ!」

 行きは他の患者さんと一緒に下までエレベーターで下ろしてもらったのですが、帰りが問題だった。

「このエレベーター、看護師付き添いじゃないと使えない!」

 正直に言ってしまうと、自分がいた部屋の場所がわからない。南側の隔離病棟ということしか情報がないので、道行く看護師さんに帰り方を聞いてその通りにエレベーターを使用しても……。

「ここ西! ゴートゥーウェストしたかったわけじゃない」

 私が行きたかったのは南。ゴートゥーサウス! 恥を忍んでナースセンターの看護師さんに帰り方を聞けば、先に見える重々しい扉を越えた先がマイルームとのこと。本当に完全に隔離されているじゃないですか。

 無事とは言い難いですが、なんとか自室へと帰宅。久しぶりに外部の人間との遭遇、そして初見ダンジョンでのミッション。なんならコロナ罹患してからまともに動いていなかった足の筋肉が衰えているので、とても疲れました。

 

そして迎えた翌日14日目。


 ここからが悪夢のはじまりだと誰が思おうか?

「4人部屋が空いたのでお部屋移動です!」

「ガッテム」

 後々知ったのですが、6人の大部屋だとお部屋代掛からないんですって。4人部屋1日それなりのお値段持ってかれるんですよ。最初に教えてほしかったかな!

 さようなら快適な個室生活。ようこそ……呼吸器内科の4人部屋。

 個室とは何もかもが違いすぎて困惑でした。まず、部屋のドアが常時開放。ご飯は今まで捨てられる容器で運ばれてきたけど、こちらはちゃんとした食器。それよりも驚いたのが同じお部屋の方々。

「ここは要介護の老人ホームだったっけ」

 そう思わざるを得ない状況でした。要介護のご年配の方しかおらんな! 部屋間違えたかな! あ、ここに私の名前あるー。ここが私の部屋。

「隔離部屋にカエリタイ」

 移動して迎えた初の夜ですでに心が折れそうでした。なにがすごいって、ナースコールの嵐です。要介護の方が鳴らす鳴らす。ナースセンターも近いのでナースコールの音が未だに耳に残っています。メロディー覚えてしまった。

 あとはそう、介護施設にお勤めしてる方なら想像がつきそうなお下のお世話の音や、夜中に誰かと急に会話を繰り広げる声。そんな音が多く、寝不足です。壮絶すぎるな、呼吸器内科の夜!

「昨日夜大丈夫だった?」

「アウトですね!」

「だよねー。大部屋の方に移動できないか聞いてはみるね」

 優しい気遣いの看護師さんが掛け合ってはくれたみたいですが、結局退院までこの部屋でした。

 ただ、隔離部屋のトイレ同様に適応能力が高い私は翌日にはこの状況に慣れました。なんならこれ結構貴重な体験なのでは? としっかり記録に残したほどです。

 翌日の夜は、前日と打って変わって静かな夜。昨晩あれだけお喋りしていたのに、今日は静かすぎやしないかい? と逆に心配してしまうほど静かな時間でした。温度差が激しい……。

 長く入院していますが、正直調子が悪かったのは1日目の夜まで。2日目以降はなんで入院してるんだろうと思いたくなるくらい元気でした。筋肉の衰えた足と肺以外は。

「いやいや、いくら筋肉衰えたからって階段くらい余裕ですわー!」

 お部屋の外への移動が解禁されたので、調子の悪い時には召されるかと思った階段へ挑戦。結果はというと。

「うっそだろお前……なにこれ疲れる!」

 上れるし下りられるがしかし、足に上手く力が入らないので変なところに力が入って疲れる。

階段に負けた悔しさから、退院まで毎日家から持ってきていたゴムバンドで筋トレ、立ちながらの入院記録入力の日々を送りました。

 なんだかんだで退院の日がそろそろ近づいてきているのです。

「過敏性肺炎の原因のエアコンお掃除できた?」

「旦那がマックス綺麗にしてくれたんでモーマンタイっす!」

 劇的ビフォーアフターの写真を見せれば、それを持ってきていたデジカメに収めていく担当医。旦那の休みに合わせて退院できる流れになりました。


 なんだかんだきっちり3週間の入院させられましたが、おかげで元気です。

 入院生活中、一番の楽しみは食事でした。よく病院の食事は美味しくないと聞くことが多いですが、私的にはとても美味しかったです。

 食べたことのない初見の料理や、今まで食べられなかったものが食べられるようになったこともあります。リヨネーズという食べ物には軽く感動しましたね! 病院食なので実際のものとは少し違うと思いますが、あれは美味しい。

 ただ、病院食の中でなにが一番美味しかったか聞かれたら即答でロールパンと答えます。ロールパン先輩はな! 出るとマーガリンやらジャムをお供に引っさげてきてくれるんだぞ! 甘味の少ない病院食で合法的に甘いものを食べられる上にロールパン先輩も普通に美味しい。控え目に言って最高です。出てきたときの私の喜び方はきっとおかしかったはず。

 おやつやデザートが食べられない生活をしていると、かぼちゃの煮物すら極上のスイーツに感じられますからね! 食事制限自体は私にはなかったのですが、服薬している薬の副作用で免疫力が落ちていることと、コンビニまで買い物行くの面倒という理由で3週間おやつやデザートは病院食以外では口にしていません。

 そんなストイック生活が終わった退院当日のお昼ご飯に、某コーヒーショップのフルムーンバーガーをキメてきたのはその反動なんでしょうね! シャバのご飯最高! 因みに退院当日最後の朝食に出てきてくれたロールパン先輩は一生愛しますね。


 ここから自宅療養を経て、1度肺が悪化するなど紆余曲折ありましたが……1年以上経った今も、元気に服薬しながら生きています。

 夏型過敏性肺炎。その名の通り夏を迎え出すと悪化するらしく、今年の夏の終わり頃見事に悪化してしまいました。やっと減ってきた薬の量も増やされてしまい、今日もお薬飲んで社畜に勤しんでいます。

 コロナに罹患したせいで発症した過敏性肺炎。きっとコロナにかからなくてもいずれは発症していたんだと思います。今回発症したタイミングが余りにも悪かったのはきっと運が悪かったんでしょうね!

 それでも、入院期間中に食べそびれた月見バーガーたち。退院日は真冬のように寒くて、夏から急な冬状態で秋を感じられなかったこと。一生根に持ってやります。おのれコロナいつか根絶されてしまえ。

 入院中お世話になった医療関係者の方々には本当に感謝しかないです。みなさんのおかげで私は今日も元気に血中酸素濃度99パーセントで生きています!

 もう二度とコロナにはかかりたくないですが、報じられていないだけで未だに多くの人が感染しているのが現実。またいつかお世話になってしまうかもしれないですが、そのときは院内にWi-Fi通してくれたら嬉しいな!


 知ってるか……Wi-Fiのない生活は、しんどいんだぜ!

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コミュ障社畜がコロナになった話 橋本しら子 @shirako_H

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