Meta Myth 〜 現代の冒険者と大迷宮と新世界の神々 〜
深海生
第一話 Meta Myth
情報技術の発展は止まるところを知らない。
2034年現在、量子コンピューターの実用化と人工知能の進化が進み、人類の生産性は著しく向上。経済は益々繁栄した。
その恩恵を受け、欧米を皮切りに各国政府はベーシックインカムを導入。贅沢さえしなければ、労働をせずとも不自由なく生活できる時代が到来した。
それでも、さらなる生活の向上や生きがいを求めて職に就く者は多かった。公務員や会社員といった従来型の職に加えて、動画配信やSNSを収入源にするストリーマーやインフルエンサーはさらに人気を増している。
そして近年、爆発的な勢いで人口を増やしている新たな職業があった。
冒険者だ。
冒険者、と言ってもファンタジー世界のそれと同一ではない。
現代を生きる冒険者のフィールドとなるのは、三次元の仮想空間であるメタバースとゲームが融合した世界だ。
デベロッパーの開発競争は激化し、絶えず創造と進化が繰り返されている。
そんな世界を仲間と共に探検し、謎を解き、希少な財宝や知識を手に入れる。それが現代の冒険者の姿なのだ。
数ある世界の中でも、平均の同時接続数が1億を超える超人気メタバースゲームがある。
フルダイブ型のVRMMORPGとしては後発ながら、味や匂い、痛みといった外部刺激を繊細なまでに脳へと伝える
そのゲームの名は
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
暗灰色の岩肌に水が滴り、天井の隙間から差し込む光が壁面に反射する。
迷宮の守護者たる巨大な岩人形は、センサー並の感知速度で侵入者に反応した。己が使命を遂行すべく、鈍重な体を動かして男の前に立ち塞がる。
そのまま無機質な石灰岩の拳を振りかぶると、なんらの躊躇もなく力を解き放った。
見た目からは想像もできない、弾丸のようなスピード。もし低レベルの冒険者がまともに受ければ、回復魔法など無意味なほど致命的なダメージを受けるだろう。
不幸にもその凶弾の餌食になろうという男は、しかし、一向にその場から逃げる素振りを見せない。
ブォンと音を立てて迫る岩の塊に、落ち着き払った様子で目を向けた。
男の名は
無造作に伸びた黒髪に、十九というにはやや幼い印象の容貌。しかし正面を見据える両目はそれなりに迫力がある。細く引き締まった体には、魔法使いがよく使用する丈の長い薄手のマントを羽織っている。
自身に向って突き進む物体の速度と距離を把握しつつ、彼は適切な回避のタイミングを計る。
回避は出来る限りぎりぎり、肌に触れる直前が良い。そうすることで成功率が高まり、かつ反撃の隙も生まれやすいからだ。
眼前からおよそ30センチほどに迫った殺意の塊。
背筋にぞくりと冷たいものが走り、鼓動が胸を打つ。脳内では生命の危機を知らせるアラートが鳴り響く。
その警告に素早く反応し、右方向に地面を蹴って飛び退ける。すると、頬をかすめた拳が先ほどまでいた空間を貫いた。
頬に残るじんとした痛み。転倒して地面に皮膚を擦ったときの、あの痛みに近い。
伸び切った腕を元の位置に戻し、今度は逆の拳を振りかぶろうという巨岩の怪物。
ギガントロックゴーレムの名を持つモンスターで、レベルは32と表記されている。現在人もモンスターも最大レベルが50の世界で、その数字は強者の部類に属する。
ゴーレムに向けてハルは素早く相対すると、手にした背丈ほどもある杖を構えた。
「ブーム・ブラスト・ボム」
ゴーレムの体内に魔力の光が生まれ、徐々に中心に向かって収束していく。間もなく、それは小さな爆発へと変わった。硬い材質でできた胸部が不自然に膨らむと、そのまま破裂して大きな空洞ができた。
爆風が部屋を駆け抜け、ハルのマントが音を立ててはためく。
その重量に見合った壮大な衝撃音を響かせ、ゴーレムは地面に倒れ込んだ。
「ふぅ……」
杖を両手で握り地面に立てると、体を支えながら息を吐いた。そして、ゆっくりと強張った筋肉を弛緩させる。
頬に手を触れると、うっすら出血している。コンマ一秒動き出しが遅かったようだ。
とはいえこの程度であれば大した問題ではない。しばらくすれば出血は止まるし、痛みも引いて自然回復する。
以前、ゴーレムの一撃の回避に失敗した時は酷いものだった。
顔面が弾け飛んだのではないかと思うような痛みと衝撃。その後、意識が朦朧とした状態で追撃を受けてジ・エンド。あまりの苦痛に気を失い、目を覚ましたときには放置時間が長かったためか、強制的にログアウトさせられていた。
感覚神経の鋭鈍を調整する機能は当然存在する。事前に痛覚を鈍化させておくことで、攻撃を受けても痛みを感じ難くすることは可能だ。
しかし、それは高レベル帯同士の戦闘において致命的な弱点になりうる。
痛みを感知した際、瞬間的に防御・回避・反撃といった行動に移るのは、高レベル帯において最低限必要なスキルだ。それができなければ、いとも簡単に命を落とすことになる。
当然その反応は速ければ速いほど良い。ダメージを受けたことによる体力ゲージの減少も反応のトリガーになり得る。しかし、その前段階として発生する痛みという事象を感知する方が、一歩早い反応を可能にするのだ。
倒れたゴーレムの体内からワインレッドの球体が転がり、ハルのつま先にぶつかった。
その球体は、無機質な岩の体にエネルギーを吹き込むための心臓であり、かつ指示を与える頭脳でもあったもの。すなわち魔核である。
ハルは小さく息を飲むと、手を伸ばして球体をそっと拾い上げた。そして、祈るような気持ちで見つめる。
魔核の内部は濃い闇に覆われており、完全にエネルギーを失っているかに見えた。
しかし、徐々に中心から光を取り戻すと、やがて岩壁を赤く照らすほどの大きな輝きを放った。
それに呼応して、倒れたはずのゴーレムもまた、自身の重要な器官を取り戻さんと動きはじめた。体の修復も始まっている。
──またハズレか。今度は成功したと思ったが。
大きく肩を落としてため息を吐く。そして、魔核を握った拳に力を入れた。
ビシッという破裂音が鳴り、魔核が粉々になる。割れたガラス質の破片が手からこぼれ落ちた。
すると、ゴーレムは糸が切れた人形のように力を失い、再び地面に倒れ込んだ。しばらくして、その巨体は光の粒子となって姿を消した。
モンスターが消えた場所から代わりに姿を現したのは、一辺が1メートルはあろうかという石灰岩のブロックが五つ。これが、今回のボス討伐のドロップ品だ。
それほど悪くない成果だ。こんなものでもNFTのマーケットプレイスで売れば、それなりの金額になる。
NFT──
そんなNFTとはいえ、石灰岩のブロックなど普通、価値のある品と見なされない。一般人にとって、ただの大きな岩など如何ほどの価値があろうか。形状にも面白みはなく、(仮にいるとして)岩マニアの審美眼にかなうとも思えない。
しかし現在マーケットプレイスでは、意外にもこれが高値で取り引きされているのだ。
この世界では一度使用すれば消えてしまうような消耗品を除き、あらゆるアイテムがNFTであり、そのNFTを素材に別のNFTを生成することができる。
ゆえに、最近になってそれを作品の素材にする芸術家なり建築家が現れ、モノの価値も分からぬまま勇んで買い漁っているのではないか、というのがハルの見解であった。
物好きもいるものだ。そのおかげで今回も金にはなった。
だが、安く見積もってもその数十倍は高値で売れるゴーレムの魔核を入手できなかったのには不満が残る。
ハルにとって、今日はこれで十度目の迷宮攻略だ。つい先ほどは計算通り、魔核を傷つけず取り出すことにさえ成功した。あのまま光を取り戻さないでいてくれれば、機能停止した魔核のNFTを手に入れることができたのだ。
しかし、魔核が再起動してしまってはお手上げ。魔力が残存していると必ず発生してしまう事象であり、仮に粉々になったゴーレムでも自動的に体を修復し、復活してしまう。
復活したゴーレムは以前のゴーレムではない。モンスターに搭載された戦闘AIは、こちらの動きを常に学習しているのだ。
成長したゴーレムとの戦闘は、難易度が一気に跳ね上がる。であれば、倒せる時に倒してしまい、貰えるものは貰っておく。そして、次のチャンスをものにするべく準備する。その方が効率が良いというものだ。
つまり、とっとと諦めて次に行く。それが最善の道である。
──少し休憩してまた潜るとするか。この迷宮も探索し尽くした感はあるが、それでも潜れば毎回新しい発見はある。
そう考えると、ハルは部屋の奥で白く光る幾何学文様が刻まれた魔法陣に入る。迷宮の入り口まで戻ることができる便利な装置だ。
視界が真っ白になり、瞬時に目的地へ移動する。
暖かな日差しが雲一つない青空から降り注ぐ。暗い洞窟型の迷宮を出たばかりだからか、太陽光がとても眩しい。
またどこからともなく流れてくる微風が頬を撫で、若葉の香りを運んできて清々しい。
周囲は森に囲まれており、迷宮の入り口から町に向かって、まっすぐに道が通っている。
近くにある平らな岩に腰掛けると、水袋の口から水を吸い出して、渇いた喉を潤した。
そして、携帯食をかじる。硬い黒パンで味気ないが、嫌いではない。なにより、冒険者らしいところが気に入っている。
口を動かしながら、折り畳み型スマートフォンを開く。これはゲーム開始時の初期装備として配られるもので、現実世界にあるスマートフォンと同期することができる。
現実世界で使用できる全ての機能やアプリが使えるわけではないが、それを差し引いても非常に便利だ。
スマートフォンでマーケットプレイスのアプリを開き、インベントリにある先ほど収集した石灰岩のブロックを出品する。売買は
このように、現実世界のアプリがこの世界でも使用できるため、わざわざ現実世界に戻ってスマートフォンを開く必要がない。
再び渇いた喉を潤して、視界にステータスを表示してみる。ずいぶん減っていた満腹度・潤喉度のゲージが元に戻っている。
出品して一分も立たずに、アプリに通知が届く。どうやら早速売れたらしい。
これで、今日の稼ぎはトータル100マイス、約一万円だ。15時間以上迷宮攻略を続けて稼いだこの金額を、高いと見るか安いと見るかは人それぞれだが、ハルにとっては満足のいくものだった。
休憩も十分取れたし、もう一度潜るか。
会社員であればすでに定時を過ぎて残業。労使協定で定められた上限など、月の半ばを超える前に到達してしまうほどのペースだ。
だが、ハルはそんなことに興味はない。迷宮の攻略が彼を夢中にさせるのだから。
迷宮の入り口に向かって歩き出すと、背後から彼を呼び止める声が聞こえる。
「こんにちは、ハルさん」
振り向くと小綺麗な服装の男が、微笑みを浮かべて立っている。
いつの間に現れたのだろうか。
どう見ても冒険者ではないし、服装は町民にしか見えない。つまり、プレイヤーではなくNPCだろう。
NPCは大きく固定配置型とランダム出現型に分けられるが、この男はおそらく後者。その場合、イベントを持ち込んでくる可能性が高い。
「やあ、こんにちは。何か用か?」
「実は、最近新しく生まれた迷宮からモンスターが溢れ出していて、とても困っているんです。そこで腕利きの冒険者であるハルさんに攻略をお願いできないかと伺った次第です」
やっぱりか、と思ったが、視界にイベント発生を示すポップアップ表示は現れない。どうやらイベントではないようだ。
迷宮からモンスターが溢れる現象──パンデモニウムは、たびたび起こっては町に被害を及ぼしている。迷宮を攻略してしまえばそれも収まるので、こうした依頼が冒険者の元に届けられる。
「その迷宮の名前は?」
「大迷宮イリスでございます」
「そうか。なら、すまないが他を当たってくれ。次は出来るだけ高レベルの冒険者パーティーに声をかけた方が良いぞ」
今周回している迷宮は中規模に位置づけられており、ソロでも何とか攻略は可能だ。しかし大迷宮は、パーティーを組んで挑んだとしても攻略が困難と言われている。
ハルとしてもいずれは挑戦してみたいが、それは今ではない。ソロでの冒険を楽しんでいるし、パーティーを組むのも一筋縄ではいかないのだ。
「そうですか。大迷宮イリスには神が創造したという大変貴重な品々も眠っております。気が変わりましたら是非攻略をお願いします」
──神が創造した貴重な品々。つまり、神器ということか。使用すれば強力だろうし、売っても高額なのは間違いなさそうだ。……それよりこのNPC、よくできている。
NPCに搭載された人工知能との会話は、人間との会話となんら遜色がない。違和感があるとすれば、町が被害を受けているはずのNPCが、その置かれた状況に反して微笑を浮かべていることぐらいだ。
ブーン、ブーン。
スマートフォンから微細な振動が伝わってくる。アプリの通知ではなく、どうやら電話の着信らしい。
「すまない」と小さく断りを入れると、ハルはスマートフォンを開いた。
──
「もしもし、久しぶりだな。どうした?」
「……お、お兄ちゃん? ママが……ママが……」
久々に聞いた蒼の声はあまりにもか細い。いつもの自信に満ちたハリのある声とは大違いだ。
「何があった? 母さんが、どうしたんだ?」
「ママが……グスッ、……突然……グスッ……た、倒れて、気を失ったの……。それで、私が救急車を呼んで……緊急で、入院することになったの……」
「そんな……」
──少し前まで元気だった、母さんが……?
一瞬頭が真っ白になる。次に訪れたのは、痛いほどの心臓の高鳴りだった。
なぜ? そんな疑問が湧き上がってくる。
「分かった、すぐに行く」
病院の場所を聞き、電話を切ろうとするが、指が震えてうまく終話ボタンをタップできない。スマートフォンを折り畳むことで無理やり通話を終了させる。
「悪いが急用だ。失礼する」
相手の返事も待たずに、ハルはログアウトしてメタマイスを去った。
「……あなたの力が必要です。待っていますよ、ハルさん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます