第7話
「ここに、居たんですね」
神社の境内を走って探し回った。
花火ももう打ち合上がり始めている。
どうしてここへ足が向かったのか、どうして彼女の居場所を見つける事が出来たのか、分からない。
偶々か、それとも必然か。
何かに惹かれるかの様に、俺は彼女の居場所を見つけ出す事が出来た。
彼女は社の裏の森の奥、少し開けた丘の木の下に持たれる様に、座り込んでいた。
「ああ、ホームズ君。探しに来てくれたのね」
「先輩……いや、先輩は、高橋杏子はもう死んでいる。――あなたは、誰ですか?」
「わたしは、失敗したみたいね」
今まで聞いた事がない程弱々しい、彼女の声。
俺は寄り添うように、彼女の隣に座る。
「説明、してもらえますよね」
「そうね。わたしは、高橋杏子本人ではないわ。――キミはどこまで分かっているのかしら? 高橋ホームズ先生なら、どういった推理するかしら? どういう物語を描くかしら?」
俺は彼女のその言葉に頷き、自分の推理を話始める。
一度大きく息を吸い、そしてまるで小説の中の探偵の様に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「まず簡単な結論から。
あなたは――“未来人”ですね。
そして動機です。仮にあなたが現れた動機が亡くなった高橋先輩の未練だったのなら、俺ではなくあの男の元に現れるはずです。
あいつは、先輩の元彼だ」
きっと俺は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている事だろう。
しかし、俺はこの事実を言葉にし、正しく認識しなくてはならない。
「なら、動機は俺に有るはずです。
原因は俺に有るはずです。
俺が心を許す――いや、俺が入れ込んでしまう程の人物の姿で現れる必要があったんでしょう」
彼女は口を開かない。
俺はそれを肯定と捉えて、言葉を続ける。
「そして、あなたは十年前の高橋先輩の容姿そのまま、学生服すら記憶の中のそれと相違ありません。
しかし、あなたは過去からの来訪者では無い。
以前あなたは過去の先輩のエピソードを過去形で話していました、そこから現代または未来の人物だと推測できます。
あなたが十年前の人物でないのなら、きっとその姿は俺に取り入る為に、俺の記憶を投影したものでしょう。
あなたは余りにも“俺の知る先輩”で構成され過ぎている。
容姿もそうですが、持っている記憶も、そして――いいえ」
俺は最後の言葉を言い淀み、呑み込んだ。
それを口に出す事は戸惑われた。
そうさせた俺の中の感情はおそらく羞恥心だろうか。
嚥下した言葉が喉元を過ぎ去った後、再び推論を並べ始める。
「そして、おそらくあなたは俺の小説を読んだことが有りますよね」
「ええ、そうね。あなたの前で読んでいたじゃない?」
「いいえ。今の未完成な物ではなく、将来完成した『仮称:タイムトラベル』を。
最初に読んだ時の感想が、ちょっとおかしいなって思ったんです、まるで予め準備されてたみたいでした。
あなたは最初から批判意見を言う予定だったんですよね」
「ええ、その通りよ。もし傷つけていたら、ごめんなさい。キミの小説はとても面白かったわ」
その言葉が真意であれ世辞であれ、俺はそれをそのまま受け取る。
「ありがとうございます。もしかして未来から来た俺のファン――というのは流石に驕りが過ぎますね。
だったら、最初から批判意見なんて言う必要がありません。
あなたは『仮称:タイムトラベル』に対して悪感情が有った――いえ、先程の言葉を受け取るなら、きっと楽しんで貰えたんだと思います。
ならそれが存在していては何か不都合があった、でしょうか。
あなたの目的は俺に取り入る事で作品を改変、もしくは筆を折る事、ですね」
「凄いわね、まるで知っていたみたいだわ」
彼女は感心したように、それでいてまるで憑き物が落ちすっきりした様で、どこか嬉しそうにさえ見える。
「いいえ、分からない事の方が多いです。
仮に推理通りなら、何故俺の命を直接狙わないのか。
未来から来て容姿すら偽れる技術力、それがあるなら目的達成に一番手早いのは直接俺の命を絶つ事です。
そうすれば作品は世に出る事は有りません。
そうしない理由も、それが出来ない立場にあるのか、倫理的な問題を考慮したのか、女性であるが故に力量差を考慮した結果なのか――。
それに、どうやって姿を偽っているのかは分かりませんし。
そこは未来の技術なのでしょうか、その辺りはどれも俺には推察しようもありません」
俺はそう自嘲し、最後に言い訳染みた戯言を付け加える事で自分の話を切った。
「ふふっ。大丈夫、概ねキミの推理通りよ」
「足りないピースは、埋めてもらえますか?」
彼女は「ええ、もちろんよ」と快諾して、ゆっくりと話始める。
「キミはタイムトラベルと聞いて、どういう想像するかしら?
嫌な過去を変えられて嬉しいとか、未来の技術を先取り出来て便利になるとか、そういう風に思うかしら?
でもね、もし誰もが皆自分の私利私欲の為に時の流れに逆行して、時に干渉した場合、その結果どうなるかなんて想像に難くないでしょう。
そういうのにもね、やっぱり取り締まる存在が必要なの。
――わたしは時の管理者、その末端の執行者よ」
時の管理者、タイムトラベル警察という事だろうか。
まるで自分の小説の中の世界の様、SF作品の設定みたいだ。
しかし、この件に関してはこういう突飛な妄想みたいな話の方がしっくり来る。
「歴史的に魔術的な儀式や悪魔との契約だとか、そういうオカルト的に時に干渉しようとしてきた人間は何人も居たわ。
でも、それらは所詮確立した技術ではなくて個人の所業。
世界の誕生から今までずっと、その稀に現れる世界のイレギュラー的な対象者をわたしたちが一人ずつ執行していく、それだけで時の均衡は保たれていたの」
口ぶりから、彼女たち時の管理者なる組織は遥か昔から存在したのだろう。
であれば、彼女らは科学技術によって産まれたタイムマシンを合法的に利用した未来の組織というよりは、先程彼女も言っていた様な魔術的な、オカルト的な手段を用いた組織なのだろうか。
それなら彼女の姿――俺の記憶を投影した高橋先輩の姿も、未来技術による変装というよりは魔術的な幻影に近いのかもしれない。
進み過ぎた科学は魔法と見分けがつかないなんて話が有るが、まさにそれだ。
俺には全く区別の付けようが無い。
「でも、もしタイムマシンなんていう発明がされてしまったら、確立した技術的な方法で時に干渉できてしまったら、どうなるかしら?
誰もがまるで旅行みたいな感覚で簡単に時に干渉する手段が産まれたら、どうなるかしら?」
同時多発的に複数件の犯罪が起こった場合、警察はどうなるか。
それは――、
「この情報社会、一度世に出たその技術はもう、止められない、瞬く間に世界に伝播し、さらに研究され、洗練されていくでしょうね。
そうなればもう、わたしたちではどうすることも出来ない。
管理の範疇を越えている、数が多すぎるわ」
つまりは将来的にタイムマシンが開発されるという事だろう。
そして、それは技術として確立し、まるで車や飛行機の様に普及して行くのだ。
これまでの人間の歴史の中で、便利だから、見返りが大きいからという理由で安易に利用されて来た技術が、後々問題になった例は幾らでもある。
それらは代償として環境汚染やそういった類でこの世に歪として現れて来ただろう。
この話もそういう事だ。
「その執行というのは、“殺す”という事ですか?」
「ええ、そうね。このままではわたしたち執行者は未来永劫増え続ける対象者を殺し続けなくてはならないわ。
だから、その大元から変えるしかなかったの。
もう、分かるわよね?」
彼女は時に干渉する“対象者”を増やさない為に、タイムマシンの開発を止める必要がある。
では、タイムマシン開発のきっかけ、大元とは。
彼女が現れた理由は俺にある。
俺にまつわる何かが、タイムマシン開発に関わっている。
そしてこの時代に現れたという事は、現在の俺が既に有している、もしくは知っている。
それは――、
「――『仮称:タイムトラベル』ですか」
「ええ、あなたの書いた小説。その中のタイムマシン理論。
それはあなたにとって机上の空論、ただの絵空事でしかなかったでしょうね。
でも、実はそれがタイムマシン発明のキーになっていたの。
その小さな発見一つで、近い将来すぐにタイムマシンは実用化されるわ。
でも、その些細なきっかけが無ければこの世界にタイムトラベル技術は産まれず、時の均衡は保たれるわ」
「だから、俺に筆を折れと」
「ええ。世界の為に、あなたの夢を諦めてはくれないかしら?」
好きに小説を書いていただけだというのに、それが世界規模の問題になっている。
なんと言う理不尽だろうか。
「断れば、殺しますか?俺は、執行対象ですか?」
恐る恐る彼女の顔色を窺う。
「いいえ、その権限をわたしたちは有していないわ。
執行はあくまで時への干渉者に対してしか行えない。
だからこういう方法を取ったの。
全ての元凶であると言うのに、あなた自身は罪を犯していないの」
警察と同じだ。
法に則り、罪を裁く。
つまり、俺は彼女ら時の管理者の言う通りに夢を諦め世界を救おうが、世界を捨てて夢を叶えようが、俺にお咎めは無い。
いや、であるならば、正確には――。
「勿論、ただでとは言わないわ。
対価にわたしを、“高橋先輩”をあなたにあげるわ。
――あなたの『仮称:タイムトラベル』はタイムマシン理論の基礎として、世に出れば大きく注目を浴びる事でしょう。
そうなればあなたの本は飛ぶように売れるわ、その分お金も入って来るでしょう。
有名になればテレビや雑誌の取材にも引っ張りだこでしょうね。
持つ者の元には人だって沢山寄って来るわ、その中にはあなたの好みの素敵な女性も居て、もししたら結婚して子供も生まれて、幸せな家庭を築けるかもしれないわ」
彼女はそう言って、有るかもしれない未来を語る。
それは俺の思い描いていた夢とは少し違うのかもしれないが、それでもその輝かしい夢に近しい、もしくはそれ以上の未来のビジョンだろう。
「でも、わたしを――高橋杏子を選んで欲しい。
そんな小説家としても成功して、幸せな家庭を築く、そんなあなたの輝かしい未来を捨てて、筆を折って、わたしを選んで欲しい。
わたしがあなたに上げられる物は、わたし自身だけ。
きっと『仮称:タイムトラベル』というきっかけが無ければ、あなたは小説家として大成はしないでしょう、そうなると金銭面で生活に不安が残る人生を送り続けるかもしれないわ。
私自身とあなたの夢、未来、それが等価だなんて思わない。
でも、それでも――」
彼女は虚空を見つめていたその視線を、ゆっくりとこちらへ向ける。
俺はまるでその瞳に吸い込まれる様に、目が離せない。
もはや終わりかけの背後で鳴る花火の音が、どこか遠くに聞こえる気さえする。
夜空に花が咲き、その花はじんわりと闇へと溶けて行く。
「――キミは夢を捨てて、名声を捨てて、富を捨てて、その輝かしい未来を捨てて、それでも、わたしを選んでくれるかしら?」
彼女は真っ直ぐと俺の目を見ている。
その表情と声色から俺は感情を読み取ることは出来ない。
彼女の瞳に映る色は、何色だろうか。
それは悲痛だろうか、それとも諦観だろうか。
「あなたは、それでいいんですか」
「ええ、それがわたしの仕事。それに、わたしはキミを愛しているわ、ホームズ君」
先輩はそんな事を言わない。
それに先輩ではない彼女が心の底からそんな事を思っていない事なんて、考えなくてもすぐに分かる。
いや、そうじゃない。
もしかすると本当にそう思っているのかもしれない。
“思ってしまっている”のかもしれない。
俺は考える。思考する。思案する。推理する。想像する。――物語を、創造する。
俺が夢を追い続け、小説を完成させる。
この未来を選べば、俺は幸せを掴みとれるだろう。夢を叶え、小説家として大成し、結婚して、幸せな家庭を築く。
しかし、そうなれば彼女はこの先ずっとその手を血で染め続け、そして世界の均衡は崩れるだろう。
俺が筆を折り、小説『仮称:タイムトラベル』を破棄する。
この未来では、俺は大成するきっかけを失う。世間の目に留まる事無く、今の同じ生活を細々と続けて行くだろう。
しかし、その隣には“高橋先輩”が居るはずだ。憧れの女性が傍に居てくれるはずだ。
そして、タイムマシンが産まれる事は無く、この世界の均衡は保たれる。
他の可能性は無いだろうか、何か見落としは無いだろうか。
あらゆる可能性を検討する。
そして何より自分はどうしたいのかを考える。
先輩はじっと俺の答えを待っている。
思考の末、一度大きく息を吐く。
覚悟は決まった。
俺の未来は、俺の描く物語は、これだ。
「先輩、猶予を貰えませんか。一週間ください、悩む時間を」
俺がこの場で先輩に対して出した答え、それは“一時保留”だ。
悩む時間が欲しいだなんて、自分で言ってて笑ってしまいそうになるくらい空々しい。
でも、それが答えだ。
「構わないわ。その間わたしを選んで貰えるよう、努力するわね」
先輩は少し驚いた様だったが、すぐにふっと微笑みを浮かべて、そう答えてくれた。
少し罪悪感を覚えながらもそれを呑み込み、立ち上がって先輩へと手を伸ばす。
「じゃあ、帰りましょうか。俺たちの家へ」
先輩は一言「ええ」と答えて、俺の手を取った。
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