第6話
日曜日、起床。
ぐっすりとベッドで眠ったおかげか、心なしか昨日よりも身体が軽い気がする。
「おはよう、ホームズ君」
今日も彼女は先に目が覚めていたらしいが、それも数分程度の差でほぼ同時だったのだろう。
まだパジャマ姿でゴロゴロとしていて、仰向けに寝転んだままの状態でこちらに向かって朝の挨拶を投げかけてくる。
俺も「おはようございます」と返してから、台所へと朝食の準備に向かう。
と言っても、特別な物は何も無い、今日もトーストとインスタントコーヒーだ。
二人で朝食を摂りながら朝のテレビ番組を見ていると、とある特集が目に付いた。
「花火……」
彼女が隣でトーストを齧り、そう呟く。
視線の先に有るのはテレビ画面に映し出されている、花火大会の特集だ。
どうやら丁度今晩うちの地元辺りでお祭りが開催され、そこで花火が打ち上がるらしい。
映っているのは昨年の映像だが、その映像からも大きな祭りでもないのにかなり気合の入った見応えのある花火である事が分かる。
「花火、興味あるんです?」
「え?……ええ、そうね。綺麗だなって」
きっと無意識に口から漏れて出ていたのだろう。
彼女は俺の問いに虚を突かれた様な、意外そうな反応を見せた。
「折角なんで、行ってみます?」
「ふふっ。今日はキミの方から、デートのお誘いかしら?」
「ええ、是非ご一緒してください」
「むぅ……」
彼女は俺が照れて困る様を見たかったのだろうが、当てが外れて不服なご様子。
お祭りの会場は俺の――俺たちの地元周辺だ。
少々遠出にはなるが、ここからでも電車で行く事が出来る。
帰りの終電の時間にも間に合うだろうし、翌日のバイトも午後からなので問題は無いだろう。
彼女の方をちらりと横目で伺いつつ、俺は片手でスマートフォンを操作して、検索をかける。
電車に揺られて、程なくして目的のお祭り会場へ到着。
神社の境内にはずらっと屋台が並び、提灯の灯りがぼんやりと揺れている。
花火まではまだ少し早いと言うのに既に多くの人が集まっていて、気を抜けば簡単にはぐれてしまいそうだ。
「どう、かしら?」
彼女はくるりと一回転して見せてから、少し照れ臭そうにはにかむ。
折角のお祭りならば、という事で俺の独断で浴衣のレンタルをさせてもらった。
その店では浴衣のレンタルと着付けだけでなく髪型も合わせてセットしてくれたので、髪型と化粧も相まって今の彼女は普段と印象が変わってまるで別人の様だ。
変装替わりという訳でも無いが、これならもし十年前の高橋先輩を知る人物が見ても、すぐには彼女だと分からないだろう。
「綺麗ですよ、似合ってます」
「ふふっ。ありがと」
花火が打ち上がる時間まではまだ幾分か猶予がある。
俺たちはその間ぶらぶらと歩き、境内に連なるお祭りの屋台を見て回る。
たこ焼き、イカ焼き、焼きそば、かき氷、綿あめ、大体何でも揃っている。
「先輩、何食べます?」
「まずはソース物よね、たこ焼き、イカ焼き、それと焼きそば。その後はデザートに甘い物かしら、かき氷と綿あめと、それから……」
彼女はさっき目に入ったラインナップを端から順に指を折りながら言っていく。
「花火の前にお腹一杯で倒れないでくださいよ?」
「ええ、勿論よ。でも色んな種類食べたいから、半分こしましょ」
そんな会話をしつつ、屋台を巡る。
花火の時間までの間、そうやって彼女と共にお祭りを楽しんでいると――、
「杏子――!!」
突如、切羽詰まった様な男の声。
その声の方へ視線を向けると、見知らぬ男が彼女の腕を掴んでいた。
俺も驚きの余り、それを静止する暇さえ無かった。
その男の表情はどこか驚いた様で、それでいて震えながらも口角は上がり、喜びと驚きを綯交ぜにしたような、そんな風だった。
「どうしてこんな所に居るんだ、もう会えないかと思っていた、良かった。俺だよ俺」
「ちょっと、お前……」
男は嬉々として彼女に詰め寄り、捲し立てる。
しかし、それも一瞬の事。
俺が「おい」と間に割って入ろうとするが、その必要も無かった。
先輩が男の方へと振り向き、男と目が合うと、その男の表情から先程までの嬉々とした色は消え去り、同時に瞳に浮かぶ色は絶望に染まる。
それと同時に、彼女の腕を掴む男の握力も抜けて行き、だらんと崩れ落ちる。
「やっ……」
彼女はか細い声を上げ、男の手を振り払い、人混みの向こうへと走り去ってしまった。
「せんぱっ……」
俺も後を追おうとするが、その時男の口から漏れ出た言葉が引っ掛かり、足を止める。
「――お前は、一体誰なんだ?」
喉の奥から漏れ出たか細い声だったが、俺の耳には確かにそれが届いた。
しかし、当然こんな人の多い所でこんな目立った行動を取ればどうなるかなんて分かり切っている。
辺りは騒然となり、ざわざわと周囲からこちらの方へと刺さる視線を感じる。
このままここに居ては警察でも呼ばれて、この男は連行されてしまうかもしれない。
きっと、この男は高橋先輩の事を知っている。
それもかなり関係の深い人物だと推測できる。
今の彼女は十年前の姿で、しかも浴衣に身を包み、髪型も整え化粧もしている。
端的に言えば見慣れない姿をしているのだ。
だと言うのに、この人混みの中でそれを見分けられる人物。
それはこの姿若しくはそれに近しい姿を過去に見た事が有る程に関係の深い人物だけだろう。
俺は、この男から話を聞かなくてはならない。
「付いて来てください。話を、聞きたいです」
俺はそれだけ言って、膝を付く男に手を差し出す。
男は落ち着いて来たのだろう。
それに、普段からああいった感じではないだろうという事は男のある程度整った身なりと、今の冷静な時の様子からもある程度察しが付いた。
俺よりも幾らか年上、もしかすると先輩よりも年上かもしれない。三十代くらいだろう。
人違いから狂行に走った罪悪感からか、すんなりと俺の提案を受け入れてくれた。
そのまま俺とその男は祭りの会場から少し離れ、人通りの少ない辺りのベンチまで向かった。
自販機でコーヒー缶を買い、ベンチにへたり込む男に一本差し出す。
「落ち着いたら、話してもらえますか」
「ああ、すまない。本当にすまなかった」
男はただただ、平謝りを繰り返す。
「それは良いんで、話してくれたら、それで構いません」
向こうからすれば、俺は自分の女にいきなり手を出した男に対して怒る訳でも無く、警察に突き出す事もせず、逃げ出した彼女を追う訳でも無く、ただただ話を聞き出そうとするよく分からない奴なのだ。
だからと言って、状況は向こうが加害者だ、例え違和感を感じようが異を唱える事は出来ないだろう。
申し訳ないがそこに付け込ませて頂く。
男はコーヒーを一口啜った後、ぽつりぽつりと話始めた。
「彼女は私の……いや、俺の昔の恋人、杏子にそっくりだった――」
そう前置きをして、男は話し始めた。
。
男には大学時代に交際していた女性が居た。その女性は交際を始めた頃まだ高校生だったが、卒業後も交際を続け、行く行くは結婚していくと、そう思っていた。
しかし、ある夏の日。
二人で夏祭りへ行った時の事。
それは事故だった。
それは唐突に、理不尽にやってきた。
どうする事も出来なかった。
足掻く事さえ許されなかった。
言ってしまえば所詮この世に有り触れた交通事故だ。
それが偶々運悪く彼女の所へ車体が逸れ、偶々運が悪く助からなかった。
それだけの事。
しかし後悔は絶えない。
あの時手を握っていれば、隣に居れば、一緒に行動していれば。
何度も何度も後悔するが、無情にも流れて行く時は戻らない。
あれ程素敵な女性は他には居なかった、彼女にはそれだけの、男をのめり込ませる魔性の魅力が有った。
それは容姿だけでなく仕草や言葉遣い、それら一挙手一投足の全てがそうさせたのだろう。
男は亡くなった彼女の事を忘れられず、毎年祭りの日にはここへ足を運んでしまう。
もしかすると、また彼女に会えるのではないか、と。
「それで同じ祭りの日に、そっくりの彼女を見つけて、つい声をかけてしまった、と」
「ああ、でも目を見ればすぐに分かったよ、姿は似ていても、あれは杏子じゃないって。――キミにも、キミの彼女にも本当に申し訳ない事をした。デートの邪魔をしてすまなかった。早く、追いかけてあげてくれ」
「ええ、そうします。話してくれて、ありがとうございました」
俺は辛い記憶であろうに話してくれた男に対して、頭を下げる。
それから背を向けて数歩離れた後、
「あ、そうだ。最後に、亡くなった女性の名前を聞いてもいいですか?」
「名前は杏子――ああ、フルネームか。“高橋杏子”だよ」
それだけ聞いてから、俺は元来た道を走った。
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