第3話 偽りの感情

 人で溢れかえる水族館。

 陰キャな誠也にとってこれは地獄レベル。

 だが今はデート中であり、瑞希と恋人繋ぎで繋がっている。つまり、逃げ出すという選択肢は存在しなかった。


「ここのペンギンって人気あるんだよ。絶対に瑞希も好きになるはずだよ」

「私、可愛いものに関してはうるさいわよ?」


 誠也がリードする形で人混みをかき分け、ペンギンのいるエリアへと歩き出す。繋がった手は決して離れることなく、互いの熱が伝わってくるほど。


 ──トクン。


 瑞希の中で何かの音が鳴る。

 それがなんなのか分かるはずない。

 男嫌いだから異性とはずっと距離を置いてきたのだから……。



 ペンギンエリアは大人気なようで、大勢の人でごった返している。

 これはデート、たとえ苦手な人混みであろうと、誠也自らリードしなければならない。


「人気があるだけのことはあるね。思った以上の人数だよ」

「ちょっと、ちゃんと手を握っててよねっ。こんなところではぐれたくないし」

「大丈夫、大丈夫だから。この手は絶対に離さないからね」


 何気なく放った誠也のひと言。

 似たようなセリフは告白で何度も言われていたはず。

 それなのに──この言葉だけは特別な魔法がかけられていたのか、瑞希の心をギュッと締め付ける。


 誠也との関係はただの偽り。

 このデートもクラスメイトへの話題作りなだけ。

 だからこの感情だって一時的なモノに違いない。


 そう、騙されてはいけない、これは舞台で演じているだけなのだから……。


「そんなの当たり前でしょっ。わざわざ言わなくてもいいのよ、ばかっ」

「あははは……。ほら、ここならしっかり見えるよ」


 苦笑いしつつも、誠也はしっかり瑞希をエスコートする。

 偽りであってもこれはデート、いくら経験がなかろうと、自分が引っ張っていくのが当たり前。誠也はそう思っていた。


「ホントだ! ねぇ、見てよ、見てっ。あの親子ペンギン可愛すぎない?」


 瑞希は子どものように大はしゃぎ。

 普段は絶対に見せない顔で親子ペンギンを指さす。

 モフモフ体で親に甘える姿が可愛らしく、誠也も釣られて笑顔になった。


 さすが人気コーナーと言われるだけのことはある。

 人が波のように押しかけ、誠也と瑞希の距離がさらに縮まっていく。


「さすがに混んできたね。そろそろイルカショーの時間だし移動しようか」

「うん、そ、そうね。イルカショー……楽しみにしてるからねっ」


 人の波に逆らいながら移動し始めるも、思った以上に進まず逆に押し戻されてしまう。

 左右から押し寄せる波に逆らえず、ふたりは向き合ったままお互いの距離がゼロとなる。


 近すぎるふたりの顔が僅かに赤い。

 まるでキスする寸前のように、瑞希が誠也にしなだれかかる。

 互いの鼓動は激しくなり、見つめ合ったまま時間が止まってしまった。


「あ、あの、これはわざとじゃないから」

「そんなこと言わなくても分かってるわよっ」


 吐息が肌に伝わるくらいの距離。

 動こうにも中々上手く動けず、人の流れに押されるがまま、誠也は瑞希を必死に守りながら密集地帯から抜け出した。


 鳴り止むことのない鼓動がふたりを離す。

 恥ずかしさからお互いの視線は交差せず、心が落ち着くまでしばらく時間がかかった。


「それじゃ仕切り直しでイルカショーに向かおうか」


 デート中だから手を繋ぐ──誠也は言われたことを忠実に実行しただけなのだが……。


「きゃっ」

「ご、ごめん……」


 誠也が恋人繋ぎで握ろうとすると、瑞希は反射的に声を上げた。

 悪気があったわけではない。

 さっきの出来事が瑞希の頭の中で妄想化し、突然現実世界へ戻され驚いただけ。心の準備が整っておらず、つい可愛い悲鳴を上げてしまった。


「べ、別に誠也が悪いわけじゃないのよ。ちょっとだけビックリしただけだから」

「それじゃ、手を繋いでも……」

「いいに決まってるでしょっ! いちいち聞かないでよねっ」


 再び繋がれるふたりの手。

 偽りの恋人繋ぎであろうと、どこかホッとしてしまう。

 心に何かを刻みつけ、誠也と瑞希はイルカショーの会場へと足を運んだ。


 開演時間まではもう少し時間があり、観客の姿は疎らだった。

 座る席は選びたい放題、最前列だろうと今なら簡単に座れる。


 学校では見せたことのないテンションの上がり方で、瑞希は誠也の手を引っ張りながら最前列へ座ろうとしていた。


「ねぇ、ここがいい。この場所じゃなきゃ絶対イヤ」

「僕は構わないけど、もしかしたら水を被るかもしれないよ?」

「それでもいいのっ! まったく、誠也は口うるさいんだから」


 子どもが駄々をこねるように、瑞希の小顔が膨らんでいく。

 氷姫──学校では表情を一切変えないのに、なぜか誠也の前では仮面が外れたようになる。


 これも演技のひとつなのか。

 偽りだと知られないための計算に違いない。

 誠也は揺れ動きそうになる心を強引に止めた。


「見て見て、ショーが始まるよ。やっぱりイルカは癒されるよねー」

「瑞希はイルカが好きなんだね」

「大好きに決まってるじゃない。あのキュートな目に、艶々の肌、心をくすぐるあの声、それに──」

「分かった、瑞希がイルカ好きなのは十分分かったから」


 ここで止めなければ永遠にイルカ愛を語られそうで。

 誠也は瑞希の言葉をなんとか遮った。


 間もなくして待ちに待ったイルカショーが開演。

 トレーナーの指示でイルカ達が広い水槽を泳ぎ回る。

 天井から吊られたボールを触ったり、トレーナーを乗せて泳ぎ大ジャンプを見せたりと、会場は大いに盛り上がった。


「すごーい、私、こんなイルカショー初めて見たかも」

「瑞希が喜んでくれて僕は嬉しいよ」


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。

 ショーも終盤に差しかかり、トレーナーから最後に大ジャンプを披露すると、場内アナウンスがあった。


「なんかあっという間だったよね。こんな楽しい時間をありがと、誠也」


 天使の笑顔──誠也にはそう見えた。

 とても演技とは思えないほどの笑顔。もしこれが演技であったのなら、アカデミー賞を受賞できるレベル。


 偽りの恋人というのを一瞬忘れてしまうほど可愛かった。

 周囲の声は雑音にしか聞こえず、誠也の瞳には瑞希しか映っていない。

 ダメだ、騙されてはいけない、誠也が自分に言い聞かせ、冷静さを取り戻すと、目の前でイルカが大ジャンプを決めた。


 大量の水しぶきが観客席へ乱入する。

 その先に見える未来はただひとつ。

 ずぶ濡れとなり天使の笑顔が消える未来。


 刹那の時間で反応した誠也、瑞希を抱きしめるように水しぶきから体を張って守り抜いた。


「大丈夫? 濡れてない?」

「う、うん……。大丈夫、だよ、誠也が守ってくれたからどこも濡れてないよ……」

「なら良かった」


 本当の恋人のように抱き合うふたり。

 お互いの唇が触れそうになるくらいの近さ。

 心拍数は当然跳ね上がり、瑞希の顔は真っ赤に染まっていた。


「あの、その……。そろそろ離れて欲しいんだけど」

「あっ、ご、ごめん」

「ううん、別にイヤというわけじゃなくて──って、誠也、びしょ濡れじゃないの」

「そうみたいだね。でも、瑞希が無事ならこれくらい平気だよ。服だってそのうち乾くだろうし」


 ──ドキッ。


 瑞希の心に誠也の言葉が突き刺さる。

 急にしおらしくなり、氷姫の仮面が剥がれ落ちた。


「ダメよ、そのままにしたら風邪引いちゃうじゃないの」

「瑞希は心配しすぎだって」

「これじゃ私が責任感じるじゃないの」


 自分でもなぜそうしたのか分からなかった。

 瑞希は誠也の後ろからそっと抱きしめ、自分の体温を分け与えようとする。心音は徐々に大きくなり、それは決してイヤな感覚ではない。


 ふたりからは会話が失われ、瑞希はしばらくの間周りの目も気にせず抱きしめていた。


「も、もう大丈夫だから。そろそろ帰ろっか」

「……う、うん。絶対に風邪引いたらダメだからねっ。もし引いたら絶対に許さないんだからっ」


 怒りながらもしっかり恋人繋ぎで水族館をあとにするふたり。

 偽りのデートは無事に終わりを告げ、ふたりの心に何か大切なものを残した。

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