報復

柑橘 橙

第1話

 相応の報復は、許されると思う。


 自分にかなりの能力があって、とくに深い愛情を感じているわけでは無いけれど、それなりに関係が続いた婚約者が浮気していた場合なんて、特に。




 約束の時刻から1時間ほど過ぎたあたりで、公爵家のリティアは優雅に立ち上がった。

 予約制のサロンは3時間借り切っている。用意をして、時間前に来るかもしれない婚約者を迎えるために開始1時間前から使用できるようにしており、1時間ほど話をしてからイレギュラーや片づけなどを考慮しての終了後1時間。併せて3時間。

 学院内とはいえ、ここを借りる費用だってタダではない。用意したお茶もお菓子も最高級のものだ。

「直前のキャンセルは3回、連絡なしも3回」

 計6回は多いと思う。

 侍女に片づけの指示を出し、お茶とお菓子は皆で分けるように下げ渡してからサロンを後にする。ねぎらいとともに最高級のものを何度も下げ渡された学院の侍女たちはすっかりリティアの味方だ。

 そのままいつもの場所へと向かう。

 普段はあまり使用されることのない普通科棟4階の特別教室。補習や個人授業、学習に利用されるが、ここ数か月はリティアが借り切っている。名目は、グループ学習。

 学院の広大な敷地内で、普通科に属するのは学力優秀な貴族の子女と一部平民であり、家柄が考慮されることは少ない。

 品性や成績、努力などすべての基準が定められている。

 ーーーーはずだ。

「リティア様」

 気遣わしげに声をかけてきたのは伯爵令嬢アイラ。

 四階のこの教室からしか見えない裏庭で、がっつり浮気して体をあわせているリティアの婚約者の第三王子レイスと子爵令嬢ウィミニーネを見て、顔が真っ青だ。


 だって、昨日はアイラの婚約者と子爵令嬢が同じことをしていたんだから。


(あーあ。王子。そんなに頑張っちゃって。特定の位置から丸見えなのに。そんなことまでやっちゃって大丈夫なのかしら。)

 あんな気持ち悪い悦に入った表情を見せるなんて、下劣にも程がある。

(いくら美形でも、下半身丸出しは無いわー。無いわー。勉強は優秀なのに。)

「問題ないわ。しかと証拠は残したから」

「そういう問題でもない気がしますが」

 素早い突っ込みが好きよ、アイラ。

 リティアは笑ってしまった。

 少しアイラの顔色が戻ってきたから、精神的に持ち直してきたのかかもしれない。

「ま、もう飽きるほどたまっているし、何なら公金横領の証拠まであるわよ。婚約者への予算で、あの方へ贈り物した書類とか」

 リティアはにっこりと笑った。ごまかしの証拠もバッチリなので、手違いと言い逃れもできない。

(苦労したわー。)

「来週のパーティのエスコートも申し出が無かったし、やり返してもいい頃だと思うのよね。公爵家を舐めて貰っては困るわ。……でも、貴方はどうするの?」

「私は、証拠を集められていません」

 悔しげに呟いたアイラ。

 自分の婚約者が浮気をしていたことに気付いたのは最近のことだ。お茶をする約束を立て続けにキャンセルされ、まさかと調べて発覚。そして、リティアに誘われてこの教室に来たのが数日前。

「大丈夫よ。一緒に集めてあるからーー全・員・分」

「全、員……?」

「子爵令嬢が関係を持っているのは七人。婚約者持ちは三人。浮気者には罰を与えよと、女神様もおっしゃっているでしょう?」

 我が国の守護女神は清廉潔白を重んじる。婚約者がいないものには、自覚して貰うだけでいい。だが、あの王子達はだめだ。

(徹底的に叩き潰す。あれらは、一匹見かけたら百匹は居ると思わなくては!)

 二度と、目の前に現れることが無いように。



 生徒会室には、先ほどの情事で浮ついた気分のレイス王子が一人で執務をしていた。

「ふふ」

 婚約者を裏切っている罪悪感は、最初の情事で消え去った。自分だけの秘密、愉しみ、など色々な言葉を言い訳にすっかりはまってしまっていた。

 婚約者にも側近にも内密の逢瀬は魅力的だった。まさか婚約者にはばれていて、側近と情事の相手を共有しているなど知りもしないまま、もう3ヶ月ほど続いている。

 その間に婚約者の誕生日があったことも忘れている。

 それが己の進退に関わる失態として待ち構えていることすら、気付けないでいた。

 コンコンコン

 強めのノックの音が響く。これは、側近の一人で騎士科に進んでいる公爵家の次男デニスだ。細身ながらも筋肉質な背の高い美男子であるが、多少考えが足らない性格をしている。

「入れ」

「失礼します、レイス殿下」

「失礼いたします」

 侯爵家の三男クリフも続く。優しげな顔立ちの正統派貴族といった佇まいの美少年であるが、少し押しに弱い。

「お呼びと伺いましたが」

 デニスとクリフが机の前に並んだ。

「いや、お前達を呼んだ覚えは無いが」

「ですが、ウィニーから『殿下がお呼びだ』と」

 クリフはつい先ほどキスをしていった可愛い浮気相手の子爵令嬢を、つい愛称で呼んでしまう。

「ウィニー?」

 聞きとがめたのはデニスだ。

「ウィミニーネ嬢とそこまで仲がいいのか?」

 ウィニーと呼んでいるのは自分(デニス)だけのはずだった。

「クリフ、お前は彼女に懸想しているのか?」

 自分の秘密の恋人を親しげに呼ぶ側近に苛立ちを覚えた王子が聞き返す。

「懸想ではありません、私たちは愛し合っているのですから」

 照れながら王子に答えたクリフは、二人の表情が変わったことに気付かなかった。

「愛し合っている、だと?」

 思わずかっとなった王子が問い詰めようと立ち上がった瞬間、


 カチリ カチャリ カチャ……


 生徒会室の窓や扉のすべての鍵が一斉に閉まった。

「な、何が……?」

 室内が一斉に暗くなり、三人の目の前に四角いスクリーンが次々に現れ、子爵令嬢ウィミニーネと自分たちの逢瀬が次から次へと映し出される。

『ああ、ウィニー。……ああ、愛してる、最高だよ』

 かすれたレイス王子のささやき。

『ウィニー、ウィニー、ウィニー』

 恍惚としたデニスのうめき声。

『ウィニー、もう君を離せない、……ウィ……』

 すがるような甘えたクリフの懇願。

 生々しい声とその様子に、微動だにせず食い入るように見つめる三人は、あまりの出来事に考えることを放棄していた。

 次から次へと、映像が増えていく。その中には、三人以外の姿もあった。

 自分だけが恋人ではなかったという事実と、自分の情けない姿を間近で見ることになり、指一本動かせない。

 ナンだ、コレは、と口から叫びが漏れそうになったところで、

 

 ちりん


 甲高い澄んだ音色が響く。




 ふと、意識を取り戻したレイス王子は違和感を感じた。

 体の中にーーーー腹の中に何かがある。後ろから、抱えられているようだった。

 振り向こうとして、口にかたくて大きいものを咥えていることに気付いた。

「んんっ!」

 動こうとしたが、それらが自分に固定され、ゆるゆると動かされているため、叶わなかった。

 あまりの気持ちよさに体に力が入ったとたん、それらが激しくなった。

「ん……!」 

 気持ちよさがはじけて、王子は再び意識を手放した。


 デニスとクリフは、ウィニーとの逢瀬よりも気持ちよく幸せな気分になっていた。

 暖かい中にとっぷりと浸ったまま、より気持ちいい具合を求めて動いていく。口づけも激しく、舌を絡めあい、食らいあうようになってきた。

 自分の中の何かが弾けてしまいそうになるほど、心地よかった。


「きゃあぁぁぁぁ」

「いゃあああああっ」

「だれか、学院長を!」


 遠くで叫び声が聞こえた。




「これは、どういうことだ……」

 王宮で行われていた定例会議には、国中から様々な貴族が集まる。扇形の大会議室の真ん中には子爵令嬢と恋人たちの逢瀬の数々が映し出され、ひときわ大きなスクリーンには全裸のレイス王子が四つん這いになり、その前後でデニスとクリフが全裸で王子に体を押しつけながら濃厚な口づけを交わしている。デニスとクリフの手は王子の体をしっかり掴んで離さない。

 その後ろでは学院生が慌てている様子も映し出され、これが今現在の様子であることがうかがわれた。

 会議室には慌てる学院生の声だけではなく、恋人たちがウィニーを呼ぶ甘い声が幾重にも響き渡り、異様な様相を呈していた。

「三人をすぐに連れて参れ!魔導師団長、この不愉快な映像を何とかせよ」

 王の言葉に騎士が数人会議室から走り去り、魔導師団長は油汗を浮かべながら映像を消そうと四苦八苦していた。

「へ、陛下……!」

 会議室にいる全員の目の前に、突如、分厚い資料が現れる。

「こ、」

「これはっ」

「なんてことだ」

 あちこちから起きる驚愕の声に、王は慌てて資料に目を通した。

「陛下……」

 低く怒りを抑えた声をかけてきたのは公爵リティアの父だった。

 王は、息子の嫁ぎ先だけで無く、王族としての未来も失ったことに気付いた。




 学園内の広場に突然現れたたくさんのスクリーン。そこに映し出された子爵令嬢と恋人たちの逢瀬。

 皆が騒然となり悲鳴が上がる中、見えないカーテンが開かれるようにレイス王子たち三人が現れたーーーー全裸で。  

 三人は周囲に気付かず、お互いに夢中のようだった。

「まぁ、なんてこと!」

「はしたないですわ」

「ふふっ。あの方達がはしたないのは何時ものことではなくて?」

 少し離れた場所でアイラとリティア、そしてもう一人の侯爵家のご令嬢が優雅にお茶をしていた。そばには彼女らの侍女と、リティアの護衛に専属の侍従が控えている。

 誰が見ても、こちらに瑕疵の無い婚約の解消か破棄ができるはずだ。

 こちらを哀れなんだり蔑んだりしていた者達にもそれなりにお返しはしなくてはならないけれども、何より、最高に気分が良い。すっきりした。

「それにしても、あれは魔法でしょうか?」

 魔法なんて特別な才能のある者にしか使えない希少な力だ。

「ええ、そうよ。おそらく、魔導師長であっても簡単に解除できないでしょうね」

 アイラの問に答えたリティアはにっこりと微笑んだ。今頃王城でも同じ映像が流れているはずだ。

 あの気持ち悪い状態の三人を回収するのは近衛だろうが、すぐには来られないはずなので、しばらくはその痴態をさらすことになる。

「二度と目にすることの無い方々でしょうから、お別れをするなら今よ」

 リティアは悪戯っぽく微笑んだ。この二人が観衆を掻き分けて婚約者の元へ行くほどの愛情を抱いているとは思っていない。

「いえ、このまま会わずに済ませたいものですわ」

 侯爵家のご令嬢がすっきりした笑みを浮かべて、優雅な仕草でケーキを口にする。

「私もです」

 アイラも紅茶を口に含んだ。

 もし普通に彼らの浮気とその相手の共有が世間に知られてしまっていたら、リティア達は魅力の無い婚約者としての嘲りを受け続けることになっただろう。いかにあの三人が悪くとも、他家に隙を与えることになるからだ。

 全く悪くない自分たちが完全に瑕疵を無くすためにはこれくらい必要だし、何より蔑ろにされ続けてきた心を救うことができた。

「浮気は、絶対に、許されないのよ」

 空気は澄み、空は晴れ渡っている。

 守護女神様も祝福してくれているようだった。

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