ゆさはりの季節

大隅 スミヲ

第1話

嵯峨さが天皇も遊ばれたという鞦韆ゆさはりは、春の季語としても使えますね」


 古典教師の声が教室の中に響いていた。

 小春日和だった。

 定年間際だという白髪頭の古典教師の声は、わたしにとってちょうど良い子守唄となっている。

 居眠りをすることを舟を漕ぐというが、わたしは文字通り頭を前後させて舟を漕いでいるような状態だった。


椎名しいなさんっ!」


 突然、わたしは名前を呼ばれてビクッとなってその揺れを止めた。


「は、はい……」


 まだ半分眠っている脳を覚醒させながら、わたしは返事をする。


「鞦韆って何のことだか、わかりますか?」

「ゆ、ゆさわ?」


 上ずった声に周りのクラスメイトが失笑する声が聞こえる。


だよ。ゆ・さ・わ・り」


 隣の席に座る海堂かいどうくんが小声で教えてくれた。

 海堂くんはいつだって真面目で、わたしとは違ってきちんと授業を聞いている。

 これまでも何度、海堂くんに助けられたことか。


「ゆさわり……ですか?」

「そう。鞦韆。と書いて、ゆさわりって読むわよね。それで、鞦韆は何のことかしら」

「えーと……」


 わたしは助けを求めるように横目でちらりと海堂くんのことを見る。

 海堂くんは口パクで何かを伝えようとしてくる。


 ブ……ラ……ン……。


 ああ、なるほどね。オッケー。ありがとう、海堂くん。


「ブランドってことです!」


 わたしは胸を張って答えた。

 すると、どっと笑い声が教室中から起こる。

 古典教師の唖然とした顔。


「……椎名さん、ブランドじゃなくて、ブランコね。私の発音が悪かったかしら」


 ああ、やってしまった。見切り発車失敗。わたしはうつむき、席に座る。海堂くんはきちんと教えてくれたのに、わたしが焦って見切り発車したばかりに……。


「この共憐鞦韆好は、現代訳をすると『一緒にブランコで遊びましょう』となります」


 その後も古典の授業は続いたが、わたしは海堂くんへの申し訳ない気持ちでいっぱいになり、授業どころではなかった。


 授業が終わるとさっそく友人である梨乃りのが冷やかしにやってきた。


「嵯峨天皇はシャネルのバッグでも買っていたのかね、ミズキちゃん」

「え、知らないの梨乃。シャネルって創業者は嵯峨天皇なんだよ」

「マジ?」


 梨乃は本当に驚いた顔でいう。


「そうだよね、海堂くん」


 無茶振りだということはわかっていた。でも、海堂がどういう反応をするのか、わたしは見てみたかったのだ。


「え……あ……」


 アドリブの効かない男。それが海堂という男だ。勉強はできるかもしれない。だが、敷かれたレールの上からはみ出したことは苦手なのだ。わたしはそんなナレーションのアテレコを心のなかでしていた。


「嘘じゃん。なんだよ、信じたのに」


 梨乃はそういって、わたしの肩を平手で叩くとゲラゲラと笑ってみせた。

 そう。梨乃はそういうやつなのだ。梨乃とは幼稚園の頃からの付き合いだった。小学校も、中学校も、高校も一緒。でも、ここまで仲良くなったのは高校からで、それまではいるなってくらいの存在確認をしていたくらいで、別に仲良しというわけではなかった。


「ブランコといえば、小学校の時にあの噂あったよね」


 梨乃が急に声のトーンを落として言う。


「あの噂?」

「ほら、裏山の神社にあるブランコの話」

「ああ、あれね。学校の七不思議みたいなやつでしょ」


 そう、わたしと梨乃が卒業した小学校にはある噂話が存在していたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る