第9話 訪問
一体、誰が訪問したのか分かった瞬間、わたしは反射的に玄関のドアを閉めた。ついでに鍵までしっかり掛けてしまった。
(な、なんで蓮くんがウチに来てるのよ!)
いや、でもよく考えろ。蓮くんは昨日の朝と夜もウチに来ていたらしいじゃないか。そのことを知っていてなんでインターホンで確認もしないで、迂闊に玄関のドアを開けてしまったのか。熱があるからってふぬけもいいところだ。
(馬鹿。わたしの馬鹿っ! いい加減、学習しなさいよ)
玄関のドアを閉めて拒絶するだなんて、訪ねてきた人に対する仕打ちではないと自覚はしている。けれど月曜日に学校で会うのだと思っていたからこそ、対峙する心構えが全く出来ていなかった。
「ねぇ、一花。お願いだから開けて?」
玄関のドアを軽くノックされて、ビクリと肩が浮き上がる。声は穏やかで優しさすら感じる。だからこそ違和感があった。
(だってわたし別れるって言ったのに……)
ふと思い出すのは昨日の能面のような表情。あの時の彼は間違いなく怒っていた。それなのにどうして穏やかな声が出せるのか。
「熱が出たみたいだから色々と買ってきたんだ。ご飯系は一花のお母さんが作っていると思ったから合間に食べれるやつを。プリンにヨーグルトに桃の缶詰。あとちょっと高いアイスにスポーツドリンクも。このままじゃアイスが溶けちゃうから、せめてこれだけでも受け取って欲しい」
アイスはずるい。蓮くんの家がどこにあるか分からないけど、今までスーパーやコンビニですれ違ったこともないから多分ご近所ではないと思う。持って帰るにしても家に帰る頃には溶けてしまうだろう。
どうしようかと迷うわたしにさらに追い打ちを掛ける。
「昨日倒れたんだ。だからどうしても心配で……家に入れなくてもいい。顔だけでもいいから見せてくれないか? 見せてくれたらすぐ帰るから」
この言葉は想像以上に良心をチクチクと刺してくる。
そもそも昨日二階まで彼がわざわざ運びに来てくれたと聞いたじゃないか。
その上、自分のために色々とお見舞い品を買ってきてくれて、心配そうに声を掛けている。締め出すなんて失礼なことをしてないで、お礼くらい言わなきゃいけないはずだ。
(顔だけ。顔だけだったら……)
家に入らないと言っていた。だから少し顔を見せるだけ。たったそれだけだ。
手のひらの汗を服で拭ってから鍵を開け、ゆっくりとドアを開ける――その先には嬉しそうな顔をした蓮くんが立っていた。
「あ、の……わざわざありがとう。色々迷惑掛けちゃってごめんね」
「大したことしてないよ。それにこっちこそ勝手に押し掛けちゃってごめんね」
(……あれ、思ったより普通?)
別れると宣言したのだ。てっきり何かリアクションがあるのだと思っていたのに、どうしてこんなにあっさりとした態度なのだろう。
「ううん。あの、ほんとにありがとね。」
「そう言って貰えて良かった。そうだ、これスポーツドリンクがニリットルのやつが五本入ってるんだけど持てる?」
「え、重っ!」
渡された二つのレジ袋は当然のように重い。当たり前だ。飲み物だけで十キロもあるのだ。蓮くんは重さを感じないように持っていたから余計に油断して、床に落としてしまう。
「……やっぱり女の子には重いよな。もし一花が嫌じゃなかったら冷蔵庫まで運ぶの手伝うよ」
彼は落ちたものを拾いながら人の良い顔で笑っている。それなのに何故か胸がざわつくのは何故か――色々とあったから神経が過敏になっているのかもしれない。駄目だと分かっているのに、また楽な方に逃げたくて、そう思い込みたかった。
「ううん。何回かに分けて運ぶから大丈夫だよ」
「だけど顔色が悪い。ほら、運んだらすぐに帰るから。それとも俺が信用ならない?」
ずるい。そういう風に尋ねられては面と向かって断りにくい。というかここで断ることが出来るメンタルの持ち主なら最初からこのような状況になっていないだろう。
もはや分かっていてやっているんじゃないかという疑惑まで出てくる。チラリと彼を見上げても困ったように笑うだけで彼からの反応は特にない。わたしの出方をただ待っている。
いっそ強引に押し入るようなことがあれば断れたのに。どうして今回に限ってわたしの意思を尊重させるのか。
「その、じゃあ……お願いしてもいいかな?」
「もちろん。それじゃあ、お邪魔します。今日は一花の両親は家に居るの? 居たら勝手に上がっているわけだし挨拶したいなと思って」
「……実は今日仕事なんだ」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、家には一花だけなんだね」
後ろを歩く彼の顔は見えない。
けれど、どこか含みのある返答だと思ったのはわたしの被害妄想なんだろうか。
やっぱりわたしは彼に対して何か選択を間違え続けているのかもしれない。
だけど今のところ何が正解なのか全く分からなかった。
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