第33話 出立2
「それでは、お荷物お預かりします」
素早く仕事を終えた引っ越しスタッフが、トラックに乗り込み颯爽と走り去っていくのを見送り終える。ほとんどの荷物は全部送られているが、母二人の手には貴重品を入れたトートバックとスーツケースがあった。
「なんで、スーツケース持ってるの? 全部送っちゃえばよかったのに」
彩芽は疑問を投げかけた。
「だって、これから京都行くんだもの」
「京都?」
「そうよ。新幹線でこれから京都」
佐和は、わくわくが抑えきれないとばかりに満面の笑みで答える。その間に、歩美は早速タクシーを呼び始めていた。それを横目に、陽斗が冷たい視線を佐和へ向ける。
「鹿児島と愛媛じゃないのかよ? もしかして、行き先が嘘?」
陽斗が白々しい空気を醸し出してくると、佐和は心底軽蔑するような顔をしながら、嫌々答えた。
「二人で京都旅行するの。最後の晩餐みたいなものよ。そのくらい、いいでしょ?」
電話を終えた歩美も言葉を添える。
「苦楽を共にした親友との別れは、辛いのよ。最後に、思いっきり羽を伸ばして、思い出作りするのよ」
「予約がなかなか取れないといわれている高級旅館が、たまたま明日から予約が空いてたの。これは運命としか言いようがない」
「その旅館、ご飯、お酒が凄いって評判なんだよね」
二人は楽しみだと一通り盛り上がった後、佐和は陽斗へボソっといった。
「陽斗のへっぽこ推理、全部ハズレ」
佐和がニヤッと笑って、陽斗がムッとしている。
陽斗が問いただそうとしていることは、彩芽にもずっと引っかかっていたところだ。
だが、この雰囲気は完全に母親たちの流れ。一旦仕切りなおそうと彩芽は、紙袋を差し出した。
「荷物になるから、郵送にしようか迷ってたけど、ちょうどよかった。旅館で夜な夜な飲むんだろうから、これ持っていって」
「あら! 何?」
二人同時にうっすら見えている悪魔のしっぽが振られていた。佐和にも、ぱーっと笑顔が戻っていく。
「この前、お母さん達から頂いたアドバイスを参考にコラボ商品練り直したの。おかげ様で、会社でも大好評。なんと、社内評価一位を取ったんだから。販売は数量限定になると思うから、幻の商品になっちゃうかも」
彩芽は自慢して、煽るようにいう。歩美と佐和の顔は、わかりやすく輝いていた。
「そんな貴重品なの? 彩芽も、たまにはやるじゃない!」
「早く食べたい! 飲みたい! 歩美さん、新幹線で早速いただこう」
「いいわね!」
紙袋の中を穴が開くほど見つめて盛り上がり始める。そこに冷たい視線を送り続ける陽斗が、口を開きかけるが、それを制して彩芽が前へ出ていた。
「それで? さっきの話は何?」
彩芽は、どこまでも笑顔だった。だが、その眼は笑っていない冷えきっている。盛り上がっていた空気が、ガラッと変わって凍り付いていた。
「え……? まさか、この商品と引き換えに、正直に話せと?」
佐和が戦々恐々としながらいうと、彩芽は深く大きく頷く。佐和はささっと歩美の後ろに隠れていた。
「歩美さん、自分の娘でしょ。どうにかしてよ」
威勢の良かった佐和が、固唾を喉を飲んでいた。だが、歩美も焦ったようにコソコソいう。
「彩芽は、鬼モードになると、私でも手に負えないのよ。だから、前の結婚作戦の時、彩芽が怖いから二人で逃げとこうって話になったんでしょ?」
逃げ場を失って、あたふたし始めている二人に、黙っていた陽斗も前へ出た。
「やっぱり。その様子じゃ、今回の引っ越しも何か俺たちに言えないような何かをやらかしたから、逃げようってことだな? 俺たちの同情を引いてお涙頂戴っぽい話をしてきたが、あれはただの建前。本当の引っ越しの理由は、俺たちから逃げる為だ」
「な、なに言ってんのよ。そんなわけないじゃない」
完全にしどろもどろになる歩美。その後ろに隠れていた佐和が、少しだけ顔を出して助け舟を出そうとするが、それを彩芽が鋭く睨んで黙らせていた。
「話反らさないで、素直に吐いてから行ってよ」
「……アヤちゃん、電話の時より、怖さ倍増してるよ」
佐和が怯えた目をして、歩美へ耳打ちする。
その時。
タクシーがやってきたて、早く逃げ込めとばかりに、後部座席のドアが開いていた。母親二人は、逃げるが勝ちとばかりに、目にもとまらぬ早業で乗り込んで、早々にドアが閉まっていく。
「ちょっと、待ってよ! このまま、何がなんだかわからない嘘を突き通したままにして、行くつもり?」
彩芽が叫ぶと、ウィーンと窓が開いて、手前に乗っていた歩美の顔が出る。その奥から、佐和の顔が見えた。もう逃げる準備は整っている。余裕の笑みだ。
「隠し続ける気は、最初からなかったわよ。いつかは真実を話さなきゃって、思ってた」
「でも、あまりに彩芽が怖いから……言えなくなっちゃったの」
涙なんて出てないくせに、ハンカチで目尻を抑える歩美。怒り心頭の彩芽が今にも、掴みかかりそうな勢いで、窓に近づいていく。
「何? 私が悪いとでも言いたいわけ?」
「そうはいってないでしょ。だから、最後に私たちからのお詫び。プレゼント」
「プレゼント?」
彩芽が眉を潜めると、窓から紙袋が出てきて、彩芽の胸にドンと押し付けられた。かなりの力で押し付けられて、彩芽の体はタクシーから何歩か後ろへ下がる。その隙を見計らったかのように、タクシーは走り出していた。
「二人とも、またねー!」
「仲良くやってね! バイバーイ!」
タクシーのリアガラスから、二人が両手のひらをパチンと叩いているのが見えた。まるで、やり通した。成功したといわんばかりに。
そして、タクシーは角を曲がり、姿を消していた。
掴みかけた二人の悪魔のしっぽが、するりと二人の手から逃れていく。彩芽と陽斗は、唇を噛んで呆然と見逃すことしかできなかった。
「……普通こういう時って、涙の別れとか、そういうものだと思ってたけど……いったい何なの? ……この怒りと、モヤモヤ感」
不完全燃焼の怒りを吐き出すように、キッと彩芽が陽斗を睨む。
「俺に八つ当たりするなよ。それより、その中身は?」
紙袋の中身を軽く覗き込む。中に入っているのは、ただの普通のお菓子箱にしか見えない。
「爆弾だったりして」
「まさか」
彩芽は笑い飛ばそうとするが、あの二人のことだ。本当に何を仕掛けているか、わからない。
ゴクリと喉を鳴らしながら、手を伸ばそうとしたところで、後ろから声をかけられた。
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