第20話 邁進2

「関口君……」

 関口は、雷の直撃を受けたような顔をしている。確かに突然ではあったとは思うけれど、そこまで衝撃を受ける程だろうか。彩芽は、いまいちその反応の理由がわからず、藤原を見れば、苦笑いを浮かべていた。

 

「ほら、そんなところで突っ立ってないで、関口君もこの話に加わるかい?」

 誘いの声でフラフラしながら、無言で藤原の隣に着席した関口は、ぼんやりした目付きでいう。

「だって……昨日、付き合おうかどうしようかって、そんな感じだったよね? もう諦めてはいたけれども、衝撃が凄すぎて……」

 関口の呟きは、所々意味がわからないところはあるが、どうしてこれほどの衝撃を受けているのか考えてみれば、昨日本音を漏らしてしまったからだろうと思い至る。だからこそ、驚いているのだろう。確かに、普段よく顔を合わせている同僚が、突然の結婚していましたとなどと言われたら、自分でも「えー!」 っと、叫んでいることだろう。昨日溢してしまった呟きくらいでは、どう考えても結婚に結び付けることはできなかったはずだ。


 関口と藤原は、会社の中で信頼をおいている人物。いずれ知られてしまうことだし、言わなければならなかった。できることならば、どうしてこんな事態になったのかという根本的な理由は避けたいところだが……順番が滅茶苦茶すぎて、正直に白状しない限り、うまく説明する自信がない。観念する以外、 選択肢はないようだ。

 彩芽は、ふうっと、深い溜め息をついて決心し、これまであった母達の暴挙を話して聞かせた。

 二人とも、冗談でしょと、笑い始める。その反応は仕方ないなと思う。普通なら、あり得ない。だが、母たちは規格外だ。

「……それで、雨降って地固まった……という感じで」

 昨日のことが不意に思い出されて、恥ずかしさが、時間を飛び越えて胸に落ちてくる。身体中の血液が顔に集中してしまい、赤く頬を染める彩芽の反応で、二人はやっと信じた。

 

「いやぁ。お母さんたち、凄すぎるなぁ」

「はい、異常なんです」

 藤原は、辛辣だなぁと、豪快に笑っていた。一方の関口は、意気消沈したように沈黙している。藤原は、とりあえず、関口君はそっとしておこうといって、彩芽の話題を続けた。

 

「だけど、お陰で二人が本当に一緒になれたわけだろ? 素晴らしい千里眼だよ」

「そんな深く考えていないと思いますよ。本当に、私たちは酒の肴にされだけです」

「いやぁ、そう見えるだけで、そんなことはないと思うよ。お二人はすごい勇気を振り絞ったんじゃないかな。僕は、怖くてできないもん」

「怖い?」

「だって、怖くないかい? 自分の子供と言えど、仕事をしている立派な大人相手。ちゃんと、意思もあるし、知恵もある。親とはいえ、訴えることも、警察につき出すことも、できるわけだろ? さすがにやりすぎれば、いくら親でも……ねぇ? まぁ、それ以前に、子供に絶縁されるんじゃないかと、ひやひやしてしまうしね」


 確かになと思う。陽斗と一緒になるということが、大きすぎて頭が破裂しそうだった。婚姻届を取り消すことはできないのか、若しくは、今後どうやって向き合おうかということばかり、考えていたけれど、そもそもの元凶である親を訴えることもできたわけだ。視野が狭まってしまって、そっちの方向にまで気が回らなかったが、母達は、恐れなかったのだろうか。子供とはそれなりのコミュニケーションは取れていたし、仲も悪くない。そんなことするわけないと思っていたから、できたのか。腹を括っていたのか。本当に何も考えていなかったのか。

 ぐるりと考えてみるが、あの二人のことだ。やはり、最後の理由が一番しっくりくる気がする。

 

「まぁ、ともかく。お母さんたちの敷いたレールは、正しかったということだ」

「何だか、面白がられた上に、親のいいなりって感じですね……」

「そう思うかもしれないけど、結局は自分で選んだ道だよ。親が敷いていたレールは、結局は切っ掛けでしかないんだ」

「……随分、母の肩を持ちますね」

「そりゃあ、僕も親だからね。僕の場合は、子供達に、結婚しろって強制するつもりはないよ。結婚しない幸せもたくさんあるし、自分なりの幸せを掴んで欲くれればそれでいいと願ってる。

 子供達には、年を重ねた最期に、幸せだったなって思いながら終えていく人生を歩んでほしいと切に願っている。僕はどうしても親だから、子供にそうであってほしいと、死ぬまでそう思い続けてしまうんだよ。だけど、親は最後まで子供と一緒にいてやれる訳じゃないからね。やっぱり不安になる。自分が死んだあとも、子供を支えてくれる人が、ちゃんといてくれれば安心なのにって、思ってしまう。安易な方向へどうしても、行ってしまいがちだ。子供にとっては、大迷惑で押し付けがましいのだろうけどさ。親って、ちょっと面倒くさい生き物なんだよ」

 藤原は、親の気持ちも一応わかってやってよと、目尻を下げる。

「うちの親たちは、そこまで考えてくれてないですよ。いつも世界は自分中心に回ってるし、騒々しいし」

 彩芽の反論に、藤原は、否定せずに大雑把そうだもんねと、笑う。

「そうはいっても、要所要所、ちゃんと見守ってくれていたんだと思うよ。本当は口を出したくても、グッと堪えながらさ」

 藤原は、完全に親の顔をしていて、ハッとする。

 

 そういえば。この前、母と一緒に飲んだとき言っていた。親がわからないわけがない、と。

 考えてみれば、ずっと自分が勘違いしていた真実を、母は当初から知っていた。何故それを知っていたのか。自然と情報が入ってくる訳がない。ならば、気になって色々な人に聞いて、回ったのかもしれない。その時は、どんな心境だったのだろう。考えたこともなかった。

 

「それに、親の大多数は、基本的に子供に親の心配を背負わせたくないって思うものなんだと思う。子供に余計な心配させたくなくて、明るく振る舞っていただけってことも、あるかもしれないよ?」

 藤原の言葉は、青天の霹靂だった。親の立場なんて、今思い返してみれば、一度も考えたことはなかったかもしれない。高校までは、友達や学校のこと。学生の頃は、バイトや単位、就職のこと。今は、仕事のことで精一杯。

 今まで、時折、母が愚痴を溢してきたことはあったけれど、それほど重大な相談をされたこともなかった。

 これまでで唯一、母が一番に苦しそうな顔をしてたのは、父と離婚するといった時だ。その時も「お母さんは、けじめはついていていいのだけれど、彩芽には申し訳ない」と言っていた。

 私もその事実だけで頭がいっぱいになって、母がどんな思いでいたのか、真面目に考えてあげようとすら、しなかった気がする。

 

「ね? 心当たり、あるでしょう? 自分中心に世界が回っていたのは、お互い様かもしれないよ。親って、気楽そうにみえるけど、実は色々大変なんだよ」

 藤原は、自分の薄い頭をなでる。正に、僕も大変なんだよというような顔で。彩芽は、何度も心に刻むように頷いていた。


 彩芽の様子に、満足そうに藤原は笑うと、さて、と影の薄くなっていた人物へ気遣うような視線を送っていた。

 相変わらず、心ここにあらずの関口に「関口君、大丈夫かい?」と、声をかけ始める。

 藤原との会話に夢中になりすぎて、すっかり忘れていたが、関口の様子はずっとおかしい。彩芽も、声をかけた。

「関口君……どうしたの?」

 彩芽の問いに、無言のままの関口の代わりに藤原が答えた。

「そりゃあ、関口君は、ずっと高島君のこと好きだったからねぇ」

「え?」

 叫び声と一緒に目を丸々と見開く彩芽。負けないくらい、藤原も目を大きくさせていた。

「知らなかったの?」

 心底驚いて頷く彩芽に、藤原はあれで気付かないとは、と藤原は、目を見張る。

「……だって、そんな感じ欠片も……」

 彩芽の呟きに「関口君も、不憫だねぇ……」と、藤原は漏らす。

 

「藤原さん、傷口を広げるようなこといわないでくださいよ……」

 項垂れたまま、恨めしそうにいう関口。藤原は、下がっている肩を叩いた。

「もういいじゃないの。不倫はダメでしょ。その気持ちを供養した方がいいよ。でも、仕事はきっちりね」

 藤原は笑顔で爆弾を落とすだけ落として、処理もせず行ってしまう。二人の間に、微妙な空気が漂っていく。


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