第二十八話 悟りの怪物

人はかつて、彼方の星を求めた。彼等は己の理知と知性の光で照らすことのできる領域をこの惑星から失いつつあったから。


そして人は今、彼方の世界を求めた。数多の虚構と異界の法則に彩られたこの世界は再び未知を彼らに与えたから。


この星はそれを許さない。この星に満ちた虚構を、この星にはない概念を、きっとこの星は許さない。



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過ちというものは引き返せる地点を遥かに通り過ぎてから初めて気づくものだ。


まぁ実際、その行いが過ちだと気づいていれば多くの場合において人はそれを回避すべく諸々の手段を取るわけで。よって、過ちを犯したと気づいた時にはもう遅いという事が大半なのは致し方ない事だと言える。


だがそれはもう過ちを犯した事はどうしようもないけれど、それでも何とかリカバリーが出来る状況にある人間だから言えるのだ。


もうどうしようもない選択ミスをした後に、その結果取り返しのつかない事態を引き起こした絶体絶命ナイナイ祭り状態の様な人間は致し方ないなどと割り切れる筈がない。だって、致し方あるから絶体絶命なんだから。


前置きが少々長かったが、結論として今の俺は致し方ありまくる状況下に置かれていた。


『右脚【歳殺】左脚【歳破】を再起動中……しばらくお待ちください』


網膜に映し出された仮想ディスプレイ。それが告げるは俺の両脚の───移動手段であり、武器でもある義足が現在使用不可能であるという事実であった。


そしてその犯人を俺はよーく知っている。ヒントはよく吠える、氷が大好き、名前にお菓子が入っているの三つ。もう分かっただろうか?


学名、厄介ネタミルフィーユ氷結チワワ。多分狂犬病。保健所は一体何をしているのか。


またの名を氷峰裁歌であり、あろう事か俺の同僚である。奴の突然の乱心により瞬時に凍りついた俺の両脚は無理な反重力機構の展開により、目下再起動中の憂き目にあっているという訳だ。


俺を殺しにきたのかそれとも任務の為に来たのかイマイチ分からん厄ッフィーだが、今はそれを責める時間ではない。というが、責めたところでメンヘラグナロクを引き起こされても敵わん。


そして、まぁ。


なんとか最後の吐息というか、必死の最後っ屁の様な出力での無重力機構の発動によって一応命を保ったまま此処に降り立ったわけだが、俺の眼前には早急に解決すべき問題が立ち塞がっていた。


「う、動かないで!」


HAHAHA、動けねぇんだよ。

足が棒になった───文字通りの意味として───感覚の中、俺の前に立つその少女は明らかに焦燥に満ちていた。


桃色のショートボブの髪に、その身体に纏うは騎士甲冑を魔法少女チックにデフォルメした戦闘服。少女らしい細く柔らかいその手に握られているのは、巨大なクリスタルからそのまま切り出したかの様に無数の色彩を内包した水晶の大剣。


彼女の事は知り過ぎるほどに知っている。何故なら、俺は彼女の人生を“プレイ”したのだから。羽曳春音、この物語の主人公。きっとこの世界は───彼女の為にある。


そして朱羽亜門という存在はその敵である事を俺は理解している。それ故に彼女はきっと俺を殺すだろうし、それに対して俺は抵抗できない。


異能というものはつくづく、規格外だ。この身体が如何に現代科学のその先にある異界由来の技術の髄を凝らした闇鍋だとしても、到底彼等には及ばない。


五体満足ならばまだしも、両足の使えない状況では立ち向かったところで蟷螂の斧と言ったところだろう。


故に、積み上げる。理論上という脆い白紙の上に存在する可能性に辿り着くために、0とコンマの先に無限個続く0の先にある1を掴み取る為に。


────死の巡礼を始めよう。生き残る為に、この狂った世界の先にたどり着くために。死を積み重ねて生を掴むために。


「取引をしないか、羽曳春音。」


両脚が動かない事など匂わせず、俺は脱力した姿勢で少女へと言葉を放つ。レジスタンスと法務省、反体制派と体制派の走狗。その間で交わされるはずの無いその言葉を前に少女は顔を顰める。


「………言っている意味が分からない。」


まぁ意味なんてない。時間稼ぎの為に適当に口から吐いただけの言葉だが、それでも食い付いてくれただけありがたいという物だろう。


「此処はお前の知る神宿駅の最下層ではない。違うか?」

「だから何?」

「我々は今、完全に未知の領域に居る。」


まぁそれは事実だ。下に落ちて来たはずなのに、最下層とは明らかに装いが異なる。少なくとも何らかのイレギュラーが発生している事は間違いないと見て良いだろう。


「だから協力しましょう?信じられるわけないじゃん……!」


少女が大剣の柄を両手で握りしめ、その翼を広げた瞬間に俺の視界には血を噴水の如くに吹き出す首のない胴体と、余りにもあっけない幕引きに目を見開く少女の姿があった。まぁこうなるよね!




「だから協力しましょう?信じられるわけないじゃん……!」


先程の焼き直しの様な光景。少女が不信感を露わにその両手で大剣の柄を握りしめたその瞬間、俺は次の行動を押さえつける様に言い放った。


「───交渉を受け入れるなら、お前の父親について話そう。」


その瞬間、加速の為に広げようとしていた翼が背中で中途半端にその動きを硬直させた。ああ、そうだとも。俺は知っている。彼女がレジスタンス活動にその身を投じた発端が彼女の父親の失踪事件である事も、そしてその顛末も。


「……貴方が知っている筈がない。」

「何故そう思う?」

「貴方達のデータベースにもお父さんの事は何も無かった!まるで……いや、もう良い!何を狙っているか知らないけれど────!」


ふむ、レジスタンスの異能保持者に電子戦を得意とするキャラが居たが、きっと彼女を頼ったのだろう。電脳遊戯なる稀有なインターネットに介入する異能を持つ彼女ならば、日本政府のデータベースを漁る事も可能な筈だ。


何かを振り切る様に再びその翼を大きく広げ、煌めく大剣の残光と共に生じる超高熱の光線を纏った一閃に切り裂かれながら、俺は激痛と共にその意識を暗転させるのだった。





「貴方達のデータベースにもお父さんの事は何も無かった!まるで────」

「まるで最初から居なかったみたいに?いいや、お前の父親は確かに存在していた。お前に遺されたその遺産が何よりの証拠だろう。」


再びその行動を中断させる様に、俺は言葉を放つ。これは時間稼ぎでもあるが、春音の戦意の起こりを挫く為でもある。彼女は元一般人である事が信じられない程に喧嘩っ早いが、それでもその精神は年相応のものだ。彼女に縁のある話題に関して此方は圧倒的な知識のアドバンテージを持っている。


つまり此方へと飛びかかろうとする狂犬の鼻先をその都度抑え、戦意を削ぐのが今回の目的ということだ。狂犬多くない……?


「な、なんで知って」

「良い指輪だったが、それは生憎と身に付けるだけの装飾品では無かった。」


彼女の能力のトリガー、魔神の亡骸セフィラ・ツリーは水晶の指輪。“王国”を指すマルクトを司る彼女の力は他の魔神の亡骸セフィラ・ツリーを従え、それらを取り込む事で自らの力を増幅させていく。


まぁ主人公にありがちなストーリーを進めていくとスキルツリーが広がっていく感じの奴だが、今回それは重要ではない。必要なのは揺さぶる為の物語だ。


「それだけを娘に遺して父親は消えた……物理的にだけではなく、あらゆる記録からも。」


彼女の手は震え、その目には怯懦の色が浮かぶ。人の心を読む妖怪、さとりが怪談として語られる事があるが、きっとそれに遭遇した人間は今の彼女の様な心境であったに違いない。


どこまで知っている……いや、父について何を知っているのか。

気になって仕方がない筈だ。だって彼女はそれを知る為にこの国に反旗を翻したのだから。


「………何を言ってるのか分からない。」

「そうか?ではお前の父が最後に残した言葉でも誦じてみようか。」


俺は知っている。何故なら、俺はこの少女を通してこの世界に触れていたのだから。彼女にまつわる劇的な全て。ゲームにおいて語られたその全てを今、目の前の少女の戦意を挫き、すり潰す為に投入する。


それは彼女しか知らない筈のモノ。この物語のキーワードであり、物語の最後までついて回る言葉。きっとこの世界では父親から直接聞いた彼女と、前世の記憶チートを持つ俺しか知らないであろうその言葉は、彼女の何かを打ち砕いた。


散発的な呼吸により吐き出す荒い息と共にその額には汗が浮かぶ。自分だけの秘密が、自分しか知らない筈の記憶が、まるで立ち読みをしながら雑誌のページを捲る様に容易く相手の口から発せられるこの非現実。


「う、あああああああああッッッッ!」


次いで発せられる言葉を断ち切る様に、獣の叫び声の様な咆哮が響き渡る。感情の発露のままに解き放った魔神の力が七色の光となって吹き荒れ、万物を焼き尽くす極光となって俺の身体を刹那の瞬間に焼き尽くした。





「う、あ─────」

「“チェス盤をひっくり返せ”。それがお前の父親が失踪の前日の夜に言い残した言葉だ。」


そうして俺は、咆哮の直前に彼女しか知らない父親からの遺言となったその言葉を叩きつけた。力無く震える手から大剣が滑り落ち、空中で無数の光となって霧散するその光景を見届けながら俺はそっと胸を撫で下ろす。


全ての攻撃の出鼻をくじき、此方が持つ原作知識というアドバンテージで殴りつける。それも、相手のトラウマを抉る形で。まぁ余り気分が良いものではないが、だからと言ってその戦法を選ばない理由にはならない。


少女が震える手で人差し指に嵌められた水晶の指輪を握りしめる中、俺はトドメとばかりに言葉を放つ。


「まぁお前は家にあったチェス盤をひっくり返し、暗号でもないかと妄想を巡らせていた様だが。」


ゲーム開始直後に流れるムービー。それは少女が父親の部屋にあったチェス盤をひっくり返し、何やら物を探すシーンから始まる。まぁ彼女は結局、そのチェスボードから何も見つけることはないのだが、これはまぁミスリードというやつだろう。


「何を、知ってるの。」

「何もかもを知っている。」

「……お父さんが何処にいるかも?」


勝った。その確信と共に俺はピクリとも動かない脚と遅々として終わらない再起動に苛立ちながら、地面にペタンと座り込んだ少女へと告げる。


「それはお前次第だな。この未確認領域からの離脱にお前が協力するのなら、その情報は対価として支払われるだろう。」


少女は力無く頷き、光の無い目でこちらを見上げる。

レジスタンスの仲間を裏切った罪悪感、そしてこの俺への不信感と、それでも父の居場所を知りたいという原初の欲求。全てが渾然一体となったドロドロの感情が見て取れるその瞳へと俺は目を合わせ……


「………。」

「………まだ、なにかあるの。」


まだ何かあるかと言うか、まだ終わってないから動けないと言うか……!つーかいつまで時間かかってんだ!


『右脚【歳殺】左脚【歳破】の暖房システムが復旧しました。』


舐めてんのか?


俺はこのまま動く事もままならず、春音はあらゆる気概が挫けてしまった様でその場から動く気配を見せない。足から立ち昇る生暖かい感覚を感じながら、あともう少しは続きそうなこの膠着に対して俺は暗澹たる気分に染まるのだった。

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