ディストピアゲーに転生したら行政側だった件について

@Yuuganarisisamawowiruya

第1話 二度目の人生はディストピアで

サイバネティック技術によって強化された腕が発砲の衝撃を押し殺し、人工の骨が軋む振動を感じながら短く息を吸う。暗闇にマズルフラッシュが瞬くと同時、相手を殺さず無力化する為に調整された銃弾が先程までホログラムのスコープで覗いていた脚部に命中し、走っていた男を苦悶の声と共に転倒させた。


「ぐあぁぁぁっ!!!」


廃墟に響き渡るその絶叫を聞きながら、俺は沈黙を保ったまま崩れたビルの柱の影に身を隠す。即座に先程まで俺が今場所へと放たれた光がコンクリートをいとも容易く溶解させるのを尻目に手に握った黒く仄かな熱を帯びる銃が狙撃状態を解除し、駆動音と共に銃口を短縮した通常形態へと変化したのを確かめる。


左手に取り付けられた腕時計型のデバイスに目を走らせるが、まだ己の望んだ結果は其処には表示されていない。


【現在審議中 調整局職員規定に則り、非致死性装備にて無力化すべし。】


黒々とした夜の空間に網膜に投影された白い無機質な文字がいつも通りの無理難題を刻んで踊る。相手は此方を殺すつもりに満ち満ちているというのに、何をどう無力化すれば良いのだ。


己の手に全てを解決する手段が握られているというのに、其れが十全に振るえないというのは酷くもどかしい気分だが、組織───それも秩序を是とする政府に属している者としては致し方ないと言えよう。



「追っ手か……!しかも手練だな。」

「ダメです!逃げましょう、柊原さん!」

「そうしたいのは山々だがな……。」



黒い身体にフィットするスーツに、幾何学的な蛍光色のラインが走る旧世代式の密着型パワードスーツを纏う少女がこちらに向けた銃口の先から致死性の光線の名残である白煙が立ち登る。悔し紛れに此方へと更に少女が撃ち込んだ数発の光線が体を掠め、バイザーに覆われた頬に冷や汗が垂れた。


この身体を覆うスーツによる光学迷彩、そして他者の意識の端に無理やり自らを誘導するサブリミナルが施された紋様がこの夜の闇により一層俺を紛れ込ませてくれている。もし此処で俺を見つけたければそれこそベタベタと手で触りに来るしかないが、殺すとなれば闇雲に此処に攻撃を撃ち込んでいればいつかは当たる事となる。


図らずとも最善手を打った少女だが、直ぐに己の傍から響く苦悶の声に銃を投げ捨て、蹲る男へと駆け寄っていくその背中へと恨めしげに俺は視線を送った。


クソ、あいつらが着ているのは大戦時に使用されていた旧式とは言え軍の支給品だ。また何処かのアホが目先の欲に駆られて横流ししたらしい。馬鹿な奴だ。この国で不正を行う事は自殺行為に過ぎない。そいつは上手くやっているつもりだろうが、ただ泳がされているだけだという事に気付かぬまま、いつの間にかブタ箱にぶち込まれていることだろう。


全く、そいつは小金を貰って一時の得をしたかもしれんが、此方はそれで死の危険が倍増するんだ。もし視線で人が殺せるならば少女を貫通して男ごと串刺しにしているであろう程に怒りと恨みを込めた視線を少女へと送り、そしてその視線を感知したバイザーが彼等の拡大映像を俺の網膜へと投射した事でその怒りは遮られることとなる。


視界の半分を覆う身体のラインが浮き出た二つの人影に俺はゲンナリとしながら視線を逸らした。少女の身体ならば有料級の垂涎映像だが、其処にむくつけき男のガチムチ肉体美が挿入されればその限りではない。


辟易としつつあった俺はAIが映像の口の動きから解析した彼等の言葉が合成音声で紡がれているのに気づき、耳を傾ける。



「聞け、いいか香織。恐らく追っ手は文部科学省の連中じゃない。奴等の威力部隊にしてはやり方が些か“陰湿”だ。法務省の介入か、はたまた古巣国防軍の新部隊かは知らんが、屑共がご丁寧に銃弾の一発一発に探知用の小悪魔を仕込んでやがる。どちらにせよ俺は遠くへは行けん。お前は逃げろ。俺が此処で足止めをする。」


「そんな……!柊原さん、やめて下さい!まだそうと決まった訳じゃ─────」


「馬鹿野郎!お前じゃ法務省が出張ってきた場合にゃ勝てねぇよ!実利の話で考えろ。衰えた異能力者か、適合者か。ここで生き残るべきはどちらだ。」



柊原と呼ばれた男の方は脚部のパワードスーツにめり込んだ緑色に淡く発光する弾丸を手に取り、そのまま握りつぶす。弾丸は小さな煙と共に『キー!』という甲高い絶命の声を残し、地面へとその無惨なひしゃげた亡骸を落下させた。


弾丸には小悪魔……まぁ、そう名付けられただけの異界の生物なのだが、まぁそういったものが封入されている。撃ち込んだ対象と簡易的な契約を強制的に交わす事で位置情報は丸わかり、という訳だ。


神秘工学部門のマッドサイエンティスト連合がメガネをシンクロさせながら光らせ語っていた内容を思い出しながら、俺は男の放った陰湿という言葉に眉を顰める。陰湿とはなんだ、陰湿とは。敵をあえて殺さず負傷させ、仲間に治療や後方へと運ばせるなどの労力を強いるのは立派な作戦だろうに。


映像の中でも映える特徴的な青い髪をした少女が、その可愛らしい顔を焦燥に染めながら男の肩を揺さぶる。だが男は固い決意を滲ませたまま少女の腕を跳ね除けた。


しかし、適合者か。つまりは丁度『原作』が始まる一年前?随分と長い時間がかかったものだ。

そんな事を考えながら俺が左腕を見ると、デフォルメされた笑顔のマークと共に丁度俺が待ち望んでいた物が表示された。



To 朱羽亜門調整官

治安維持活動特別措置法第二条、及び異能調整における簡易裁判に基づき非協力的な市民の完全排除を許可する

異能調整局統括AI【JDACS】



全く何が『許可する』だ。こっちがやりたくて堪らないとでも思っているのだろうか?いや、AIにそんな事を考える機能はないか。


AIが機械的に死刑判決を下し、形式的に法務省の大臣がそれに目を通し、なんだかんだとありがたいお言葉と共に通過の印を押す。国家に与えられた『国民を殺す』機能は今や、子供の一生のお願いレベルで乱発される代物となっていた。


頭は愚痴やら理屈を垂れ流すが、薬物投与による訓練で鍛え上げられた身体は流れる様に手にした近未来的な銃の引き金へと指を伸ばす。先程、男の足の方を撃った銃はまだ少し熱を帯びており、柄にも無く銃も敵を撃ちたくて辛抱堪らんのだろうか、等と下らない事を考えてしまう。


横に広いトリガーに指を這わせ、センサーと無学な俺にはよく分からない諸々の機械が銃を握るのが果たして俺であるかどうかを認証しているのを銃が放つ僅かな振動で感じる。数瞬の空白の時間が経ち、俺の脳内で俺にしか聞こえない機械的な女性の声が響き渡った。


『ユーザー認証及び調整局統括AIからの許諾を確認。全セーフティを解除します。』


さて、仕事の時間だ。

俺は脚部へと指を這わせ、埋め込まれたブースターを起動する。脹脛から現れた噴射口から青白い燐光を放ち、俺は音も無く飛翔し廃墟の一際高い瓦礫へと降り立った。


本当ならば此処から気持ち良く弾丸を二発お見舞いし、双方の息の根を止めたい所なのだがそうもいかない。


1度狙撃について意識を割かせてしまったからには、もう同じ手が通用する相手では無い。このまま狙撃を繰り返したとしても片方は仕留められるがもう1人が確実に俺を狙うだろう。


更に此処で彼女を取り逃せば俺の評価は落ちてしまうだろうが、此処で彼女を殺してしまえば俺の持つ『原作』の知識が通用しない可能性が高い。俺の知る未来とこの世界の現状の乖離はなるべく最小限にしておきたいのだ。


それにこれまで俺はこのブラック企業……いや、ブラック国家で馬車馬の如く……いや、一応命の保証みたいなものがされているアイツ等よりも働いてきたんだ。それなりの実績も残しているし、この程度で首は飛ばないと信じたい。


課長からはどやされそうだが、もう慣れた。それよりもとっとと任務を終わらせて帰ろう。確か今日は甲金フーズの新作メニューのデータの配信日だった筈だ。


そんな事を考えつつ俺は下で敵地だというのに未だに悠長に話を続けている人影へと銃口を向け、俺の顔を覆う黒いバイザーに搭載されたハイライトで相手を鮮烈な光で照らし出す。



『法務省異能調整局だ。異能管理法第一条、異能申告義務違反、及び緊急事態宣言に基づく国民管理宣言への抵抗の疑いで執行する。無駄な抵抗はよせ。』



バイザーに搭載されたボイスチェンジャーが俺の声を耳障りな合成音へと変換する。銃口と共に目も眩む程の閃光を浴びせられた男は、手で顔を庇う様な仕草を見せながらも傍で己を抱き起こそうとしていた少女へと叫んだ。


「逃げろ!香織ぃ!」


そして叫びながら自身が握り込んでいた、硬化樹脂に包まれた何かを少女の手に握らせ、小さく頷く。


「これを持って基地に帰れ。ポータルが閉じる前にな。リーダーに『悪くなかった』と伝えろ。」


少女は暫し迷った様な素振りを見せたが、それも一瞬。涙を拭いながら深々と男へと頭を下げ、此方を一瞬睨みつけた後に走り出す。その背中を見ることもなく、男は此方へと向き直った。


「感動な別れを待ってくれててどうも。見物料は払わねぇのか?」

『三文芝居に払う金はない。三途の川の渡し守には弾丸でも差し出していろ。屑鉄として売れるかも知れないからな。』


その言葉に思わずといった様子で笑みを漏らした男は腰のポーチから何かを取り出し、自らの首へと押し当てる。


「防衛省だか警視庁だかしらんが、狗にしちゃ口が軽いじゃねぇか。だが此処は通さねぇよ。」

『違法な薬物の使用か。罪状が増えていくな。まぁ、罰はこれ以上に増えようがないが。』


バイザーに表示される情報によれば、男がたった今空にした注射器に入っていたものは数年前に出回っていた、人工養殖されたフェニックスの涙。その粗悪品だ。


接種者に一時的に異常なまでの治癒効果を与えるが、効果が切れれば肉体が炎になって燃え尽きるという代物。かつては不死をもたらす薬としてブラックマーケットに流通していたが投与した人間が突然燃え上がる事件が多発し、大規模な摘発の後に厳重に禁止された薬物。それを使う事は即ち死を意味する事となる。


『……再度警告だ。司法取引を受けるならば人道的な────』

「笑わせんな。人の道はみ出してタップダンス踊ってるようなテメェらの何処に人道を期待すりゃ良いんだよ。」


言えてるな。交渉決裂を告げるその言葉と共に俺は引き金を引き絞る。光学兵器が用いられる昨今においては珍しくなった炸薬による弾丸が頭部めがけて発射され────そして、その全ては本懐を遂げる事なく火花と共に廃墟の床を撫でるだけに終わる。


男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増すと共に、その身体は地面にひび割れを走らせながら跳躍により夜の闇を切り裂きながら飛翔を開始する。


そして瞬きをする間もなく、奴は俺の目の前へと轟音と共に着地し俺へと凄まじい勢いで蹴りを放った。否、最早それは蹴りと形容する事も躊躇われる“砲撃”であった。


この身体は無数の薬物投与による神経の鋭敏化、及び反射神経の向上だけではなくサイバネティック技術による最新鋭のセンサー類による感知機能が施されている。だがその全てを男の蹴りは優に置き去りにし、男の脚はバイザーを貫きその奥にあった俺の顔面をぶち抜くのだった。




男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増し、地面にひび割れを走らせながら跳躍した。


先程の焼き増しの光景を認識するよりも早く俺は瞬時に姿勢を低くし、頭上の空気を凄まじい音と共に男の足が削り取るのを感じる。冷や汗と共に己の顔面を貫くはずであったその一撃が齎す衝撃に顔を歪めた。


直撃していなくてこれか。最先端技術の感知の全てをすり抜ける速度、そして当たらずとも感じ取れる───否、当たったからこそ感じる事のできる必殺の威力。


網膜に映し出される各種センサーの数値は全てが真っ赤なアラートサインを示すばかり。舌打ちと共にそれ等のセンサーを切り、少しでも距離を取ろうと低い姿勢のまま後ろへと跳躍する。


されど目の前で蹴りを放ち終えた体勢のままだった筈の男の身体が一瞬で掻き消え、俺は凄まじい衝撃と鋭い痛みを背中に感じ、腹の中から現れた男の腕を見ながら息絶えた。




男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増し、地面にひび割れを走らせながら跳躍した。


なんだこのチートは!戦闘補助のパワードスーツを身につけているとはいえ、この男は既に肉体と異能の全盛期を会えているはずだというのに。


アラートを見る事なくセンサーを解除し、前回と同様に俺は身を屈めながら転がりながら手にした銃を徹甲モードへと切り替え瞬時に後方へと放つ。


「ぐおッ⁈テメェ────!」


……なぜ話せる。技術開発局のお墨付きの破砕弾だぞ?そのパワードスーツを貫通して余りある威力の筈だ。苛立ちの込められた驚愕の声の方向へと咄嗟に振り向けば、痛々しい穴の空いたパワードスーツの下から覗く肌がまるで早回しの様に回復している男が、俺の顔面へと拳を叩き込もうとしている最中だった。




男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増し、地面にひび割れを走らせながら跳躍した。

クソッ!明らかにこれは異常だ。あの再生能力は先ほど摂取した薬物による物だろうが、かつて流通したフェニクスの涙はあくまで傷の治りが早くなる程度の物だった。タングステンすら貫く弾丸の傷すら治せるものか。


この銃弾はそもそも人体に向けて撃つものではない。異界に存在する敵対的な生物の装甲を貫く為の弾丸であり、これを人体に向けて故意に発砲する行為は諸々の形骸化した国際条約で禁じられている。


まぁ、此処は独裁国家兼覇権国家だ。国際法なぞ今この瞬間もダース単位で違反している事だろう。まぁ流石に脳幹に当てたら即死だろうが、そんな狙いをつけているような時間は間違いなく無い。AIによる弾道制御も奴の速度を捉えられない以上、意味をなさないだろう。


しかし、その速度も相手の動きが事前に分かっていればどうと言うこともない。………いや、どうと言うこともあるが、対処できないほどではない。極限まで身を屈め、前方へと転がりながら後方を見ることなく銃口だけを向けて弾丸をばら撒きつつ、左手で思い切り地面を殴りつけた。


「ぐおッ⁈テメェ───!」


先程、下から此方まで男が跳躍してきた時の着地で此処の床は崩壊寸前だ。俺の腕であればこの程度ならば粉砕できる。


生身の肉ではない、無数の機構とマニュピレータによって制御されたその腕が人体にあるまじき加速と共にその拳を床に叩きつければ、極大の亀裂と共にこの廃墟は崩落を開始した。


空中ならばお得意の速度も意味をなすまい。此方の銃弾を避ける挙動もたかが知れているだろう。相手の拳も蹴りも届かない。勝利の確信と共に空中で身体を捻り、銃口を向けた先にあったのは男が頭上から蹴り出した、俺の顔面の3倍はある瓦礫の破片だった。




男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増し、地面にひび割れを走らせながら跳躍した。


あの男……!空中で咄嗟に瓦礫の破片を俺に蹴り出したのか!瞬時に身を屈め、転がりつつ後方へと徹甲弾ではなく閃光弾をばら撒く。そしてそのまま、今度は足に力を込め頭上へと跳躍した。


「ぐおッ⁈テメェ─────」


周囲から夜を引き剥がす化学反応による閃光。

バイザー越しにその光を遮断した俺は既に聞き飽きつつある相手の悪態を聞き流しながら銃口を向ける。


如何に卓越した戦士であれ、人間である以上は許容を超える光には多かれ少なかれショック反応を示す。そしてその間隙を俺の目────その奥で全てを補足するAIは見逃さない。刹那であれど動かぬならば、それはもはや的と同義である。


腕に備えられたマニュピレータにより制御された狙い澄ました一撃は男の脳天を寸分違わず撃ち抜いた。閃光弾の残光の中で脳漿と鮮血が闇夜に演出した惨劇の徒花が咲き誇り、それは何処か美しくこの光景を彩っていて─────


そんな俺の思考は頭から血を流し落ちながらも、男が蹴り出した瓦礫が頭部を粉砕する事で中断された。




男の身を包むパワードスーツに走る光が輝きを増し、地面にひび割れを走らせながら跳躍した。


あり得ない。あり得てはならない筈だ。これでは謳い文句通りの不死ではないか。恐らくは首から上を失った事で視覚に依らない外界認識手段───触覚だろうか。そういったもので此方を把握し、脊髄反射的に攻撃を行ったという事だろう。


………致し方ない。奴を殺すにはその全身を瞬間的に破壊し切るだけの火力か、回復を阻害する何かが必要だ。そして前者の火力を俺は用意できない。所詮俺は、全身を改造しているとは言え人間の範疇を出ない。単身での破壊規模には限りがある。


だが、このままでは埒が明かない。そろそろこの死の螺旋に始末をつけよう。


俺は瞬時に身を屈め、転がりつつ後方へと破砕弾をばら撒く。そして勢いよく跳躍した。


「ぐおッ⁈テメェ、予知系……⁈」


相手が言い終わる前に銃口を向けると共に肉体を駆動させていた全エネルギーを己の存在を強制的に意識の外へと追いやるサブリミナル信号を発する機関へと集中させた。その瞬間に俺の身体の8割を占める機械部分が最低限の生命維持を除いて停止し、同時に唯一の生身である左手に握られた銃の引き金を引き絞る。


今度は徹甲弾では無い。そんな物では一時的にとは言え不死鳥の力を手に入れているこいつを殺せないのは身をもって実証済みだ。


彼には申し訳ないがかなり惨たらしい死に方をしてもらおう。


『レメゲドン、開帳。第零空想領域接続。シークエンス偽典・七十二柱の悪魔を開始。No.43、サブナック。対象を執行します。』


放たれた銃弾は青ざめた燐光を放ちつつ、男の脚へと着弾する。強制的に俺から意識を逸らされた瞬間に創り出された間隙に齎された痛痒に顔を顰めつつも勝利を確信した笑みを浮かべる男。


此方へと跳躍せんと力を込めたであろう男の脚はぐちゃり、という不快な水音と共に崩れていく。


「なっ……!」


驚愕に顔を歪める男を意にも介さず、その腐敗は更なる獲物を求めて這い上がる。男の身体に宿った不死鳥の因子が宿主を生かそうとするが、再生した端から崩れ落ち腐敗していく。


「─────執行。」


その言葉だけを残してろくに狙いもつけずに放たれた無数の弾丸が廃墟の床を穿ち、そして崩壊が開始した。


何処から来たのだろう。傷口から白い蛆が顔を覗かせ、蠢く重力に従い男と共に落下していく。

男が地面に到着する頃には、それが人間であったという証拠は何処にも残っておらず、腐敗臭を放つ腐肉と蛆の塊がそこにはあった。


その光景を俺は眺める事もせず、荒い息を吐きながら脚部に取り付けた非常ブースターを起動する。俺の身体は地面に叩きつけんとする重力へと弱々しく抗えば些かの衝撃と共に地面へと着地した。


辿り着いたと同時に俺は地面へと倒れ込み、青ざめた顔で喉奥から迫り上げる血の塊を吐き出した。

俺の切り札である『コレ』は、血液を対価とするだけでなく俺の身体を内部から破壊する。


医療が高度に発達した社会であるにも関わらず、俺の身体をサイバネティック化のままにしているのはコレが原因でもある。全く、給料が良くなかったらこんな仕事辞めている。


俺は正直『原作』なんてどうでも良い。レジスタンスもこの国も知ったことでは無い。


俺の目的はただ一つ。とっとと金を貯めて、何処か遠くの異界にでも高飛びするのだ。出来ればビーチがある異界が良い。そこで金を豪快に使いつつ、諸々の理由で崩壊するであろうこの独裁国家を肴にトロピカルジュースをしばく!


月明かりが照らす中、俺は瓦礫にもたれ掛かりながら将来設計へと思いを馳せるのだった。







異能。或いは奇跡、或いは魔法。

国によって呼び方は様々だが、この存在が世界に知れ渡った日から世界は変革を余儀なくされた。

混乱に次ぐ混乱に、いつの間にか世界に無数に発生したポータルを通り異界から侵攻してきた怪異達。混乱の渦に叩き落とされた世界が第三次世界大戦を選ぶ迄にはそう時間は掛からなかった。


日本はいち早く異能を発現させた人材を蒐集し、自衛隊を解散、国防軍へと名を変えた組織へと編入。圧倒的なスピードで憲法を改正し、安全保障の名目で『国防』軍は国境を超えて世界へと侵攻を開始した。


近代兵器はもはや異能の前では有効な手段とは言えず、日本を始めとする異能を初期から活用していた国家が戦争を優位に進め、開戦から僅か2年後にインドで開かれたデリー講和会議によって過去の国際体制は崩壊を迎えた。


アジアの多くは日本の保護国となり、多額の賠償金と環境資源の優先的採掘権を手に入れた日本は間違いなく第三次世界大戦の果てに構築された世界秩序において覇権国家の一つと言って問題ないほどの栄華を誇った。


だが、第三次世界大戦に伴う軍拡、そして臨時内閣による独裁体制は戦後も続き、それに反発する保護国内、及び敵勢力残党によるテロは後をたたず。


法務省は異能調整局を立ち上げ、異能を用いて国家へと叛逆する人間を厳しく取り締まり、AIによる簡略化裁判により死刑となった人物に対しては完全排除、つまりは法務省に所属する調整官による死刑執行が行われる事となった。


日本国民の畏怖と国家の暴力装置としての威信を背負う法務省異能調整局は、東京のかつて某巨大国が外交館を置いていた地に黒くそびえるビルを拠点とし、日本のみならず、日本の勢力圏にある各国で活動を行なっていた。

そのビルの一室。『異能調整局第一課・課長室』のプレートがかけられた部屋の中で彼は少女の呆れ顔を受け止めていた。



「出動理由は相変わらずの自己判断……まぁ要するに勘でしょ。懲りないわねアンタも。」


「で、未許可の完全武装の上で出動し、文部科学省特殊技術開発室を襲った襲撃犯の一人を簡易裁判の後に執行なされた備品クンにおかれてはご機嫌どうなのよ。」



業火の如き色合いのツインテールを靡かせ、その色合いに負けず劣らずの赤をその目に湛えた少女は呆れた様に手元の資料をペチペチとボールペンの先で叩く。


一見、中学生の様に見えるこの少女は正しく法務省異能調整局の武闘派である第一課の課長であり、日本で5本の指に入る異能保持者である。

彼女に見つめられれば大抵の人間は恐怖を隠さないが、彼女の感心の対象となっている男は無表情を崩す様子は無かった。


中肉中背、黒髪に黒い目のその男は無表情のまま、静かに頭を下げながら、手にしたアタッシュケースを開きその中で冷凍保存されている朱色の液体を取り出した。


「此方、現場で確保した薬剤アンプルです。成分組成は従来のフェニクス・アンプル……不死鳥の涙と類似していますが、これは蘇生の領域にまで到達しています。我々のデータベースに存在しないものです。」

「んな事は聞いてないのよ。それを襲撃犯が持ってたからって……ああ、そういうこと。」

「はい。これは我々が認知していない未解明領域に位置する異界へとアクセスし得る組織による犯行です。」


それを受け、少女は空中に並ぶホログラムの一つへと指を滑らせる。


「柊原光之助……国防軍の元大尉とはね。北米大陸消失テロの主犯格の一人にお会いできるとは思ってなかったわ。まぁ死んでるんだけど。」


この男は過去に重要参考人として手配されていたが、既に死亡したものとして一度は手配が取り下げられていた。その男が再び現れ、そしてその背後には何かしらの影が動いている。その事実を持ち帰った事は独断専行を認めるに値するだろう。


更にこれ一つで日本の医療業界がどれ程の進歩を遂げることか。下手に握りつぶせば、この変革した日本でも有数の権力を持つ日本武装医師会からの圧力は免れまい。少女は溜息を吐きながら、課長室に備え付けられた豪奢な椅子へともたれかかると共に引き出しから透明なカード型のデバイスを取り出す。


「簡易検査開始。」

『スキャン……特異法則接続痕跡なし。源流秩序濃度、98%。異能保持の疑いはありません。』


カードを透かすようにして少女は眼前の手のかかる部下───厳密には部品───の解析結果を見ながら更に大きなため息をつきながら手を振り退席を促した。


「下がってよろしい。局長にはいつも通りに報告しておきます。整備として技術室に顔出しておきなさい。マッドサイエンティスト連中が股座をおっ勃てて貴方の帰りを待ち侘びてるわよ。」


男が僅かに嫌そうに歪めた口元を残した無表情のまま頭を下げ、退出するのを愉快げに少女は見送りながらクルリと椅子を旋回させ、課長室の窓から見える何処までも広がる東京の街へと目をやる。


「全く恐れ入るわね……。異能無しでアレとは未だに信じられないわ。あの馬鹿どもが“異能科学最後のフロンティア”なんて言ってたのが分かる気がする。」


朱羽亜門調整官。法務省異能調整局唯一の無能力者にして、最大の切り札。


反動が大きく、適合者以外の精神を狂わせる神学部門が開発した産廃、『レメゲドン』の唯一の実戦使用者であり、過去の戦闘の影響で全身の65%を機械化している。


多くの過酷なミッションを成功させる。最早捨て駒として用意されたような戦場でも生還し、危険度の高い対象を多く執行。行動から分析される忠誠値はA+級。そして時折、このような独断専行の果てに何かしらの成果を持ち帰ってくる扱いにくい忠犬である。



「何回見ても未来が見えてるとしか思えないわよね……驚異的なセンス、って事かしら。」



パワードスーツを纏った男が跳躍し、スローモーションカメラですら捉えきれなかった初見殺しの蹴りを恰も知っていたかの様に回避。

瞬時に転がり、背後へと回り込んだ対象へと正確に銃撃。その後、空中に跳躍した後の執行……通常の徹甲弾を使用しなかったのは、急所に当てても意味が無いとの直感なのだろう。


「私はこの異能調整局最強の異能保持者、なんて呼ばれてるけど、あいつに勝てって言われたらちょっと困るわね。まぁ、負けはしないでしょうけど。」


無表情に、冷酷に。何処までも国家に忠実な法務省異能調整局が誇るエージェント。彼女は今回の報告書をどう書いたものかと頭を悩ませるのだった。







「ようやくボードに手をかけたか。待ち侘びたよ、実に待ち侘びた。まぁ、そのお陰で得難い出会いもあったわけだが。」


少女は笑う。かつての現実を超常が押し流し、虚構が、幻想が、妄想が、実体を持って蔓延るこの世界の中枢の一つである東京の中心に聳え立つ内閣府の頂上に座す一室に愉快げな哄笑が響く。


「多少の邪魔が入ったがその程度の予想外があった方が良い。特に私達にとってはな。」


少女が手元にあった黒いチェスのポーンを持ち上げ、白いナイトの駒を弾き飛ばす。たちまちに腐り落ちるかの様に崩れ去った駒の残骸へと息を吹きかけ、チェスボードから痕跡すら残さず消し去った少女は愛おしそうに手元のポーンを撫でる。


「長らく遅れたが、頂上決戦だ。」


「──────此処まで盤上の整理に拘ったのだ。飽きない試合を期待するよ。」


超常と異能と異形と独裁が蔓延る灰色の箱庭で少女は笑う。怪物達の遊戯が今、誰に知られることも無く開始されようとしていた─────。

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