第56話 【回想】波青龍牙という男
全ては怒りから始まった。最古の記憶を呼び起こせば、やり場のない怒りがそこにある。
波青は五歳で母を失った。父親の実力不足が招いた結果だった。波青の父親は霊力が極端に少なく、解呪法を心得ていなかった。自分の身のみ守れる程度。それ故に起きた事故だった。
波青は許せなかった。未熟さを憎んだ。父の未熟さだけではない。自分自身の弱さを憎み、呪った。
それが吉と出たか、凶と出たか、彼は波青家最年少記録を更新し、十歳という若さで青龍に認められた。それまでの努力は言うまでもないだろう。
父の『青龍』の座を実力で奪い取り、祖父の剣を吸収し、神守一門に喰らい付いた彼には、慈悲というものは欠片ほどもなかった。与える余裕がなかったとも言える。殺すことに精一杯だった。それが十八年続き、今に至る。
何故そんな波青が神守優司に固執するのか。それは優司の何気ない一言に由来する。
今まで冷酷非道と言われ続けてきた波青を、優司は笑顔で受け入れた。光司でさえ、波青を避けていたにも関わらず、だ。波青は「私が怖くないのですか」と聞いたことがある。しかし、優司は不思議そうな顔をして「どうして怖がる必要があるのです?」と返した。「波青さんの強さと厳しさは、未熟さと優しさから生まれたものでしょう。素敵ではありませんか」と。
正しく、その通りだった。彼の強さは、己の未熟さを呪った結果であり、厳しさは「弱さが涙を生まないように」という想いを原点にしている。
優司の言葉は、波青龍牙という男を、人間にした。取り繕った強さの本質を見抜き、その上で認められたような気がして嬉しかった。
彼の下で戦えたのなら、どれだけ幸せか。
あり得ないことを願った数ヶ月後、願いは、最悪の形で叶うことになる。
神守家崩壊。神守優司のみが生き残り、他は死んだ。いや、優司も心は死んでいた。
波青は何もできなかった。彼の役に立ちたいと願いながら、そのチャンスを自ら逃した。
だからこそ、今回は譲れなかった。優司を、必ず連れ戻す。そのためなら命など惜しくない。優司の記憶を奪ってでも? いや、そんなことすら許さない。狙うは奪還。どんな手を使ってでも、優司を取り戻す。
波青は確信していた。自分が死んでも、何も心配はないと。波青家でなくとも、青龍の力を受け継ぐことができる者はいる。いや、そんな人間を育てることはできる。そう、例えば……己の弱さを呪い、感情をコントロールして力に変える、武士の心を持つ人間。
神楽秀治のような。
神楽家から受けた仕打ちを、忘れたわけではない。それでも波青にとって、過去のことなど重要ではなかった。優司を救えるのなら何でもいい。利用価値があるから利用しただけ。彼に希望を託したのは、可能性を秘めていたからに過ぎない。
役者は揃った。あとはこの舞台を掻き乱し、悲劇的結末を変えるのみ。
波青龍牙の最期は計画的かつ、安らかなものであったと言えるだろう。
ここまでの物語は全て彼の掌の上であった。
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