大嫌い

たかさば

 

 俺がハナタレ小僧だった頃、毎日遊んでいた隣の空き地に家が建った。


 隠れ家にしていた土管も、バッタ取り放題の草ッ原も、雨上がりにいつも長靴で突撃していた水たまりスポットも、全部なくなってきれいな家が建った。




「隣に引っ越してきた川島かわしまです、よろしくお願いします。」




 俺の宝物をすべて奪った、憎い家族が引っ越ししてきた。


 うちの父ちゃん母ちゃんとは違う、きれいなお母さんとかっこいいお父さんの後ろには、ちびっ子い弱弱し気な奴が見え隠れしていた。




佳純かすみ、ご挨拶して。悠君は来年保育園なんでしょう?同じ年ね、仲良くしてもらえると嬉しいな。」


「……。」




 俺よりも頭一つ分小さい奴が、涙目で見上げてきた。




ゆう!男だったら守ってやんな!!公園案内して来い!」


「ええー?!」




 よくわからんが、俺は不愛想なチビを連れて、すぐ近くの斜め向かいにある公園に行くことになってしまった。


 手を繋いでやって、公園内を案内してやった。




 ブランコにシーソー、けんけんぱコーナー、水飲み場にトイレ、滑り台の王様。


 出来たばかりの公園はずいぶんハイカラな遊具があって、街中にある小ぢんまりした場所なのに人気があった。


 とりわけ、滑り台の王様はらせん状の滑り台とローラー滑り台、吊り橋なんかもあって子供たちが屯っていた。




「……。」




 大勢の子どもたちが並んでいるのを見て、チビは一歩も動けないようだった。


 仕方がないので、手をつないだまま、一緒に滑り台の王様に並んでやろうとしたんだけどさ。




「いい。こわい。」


「こわくないって!」




「やだ、こわい。」


「だいじょうぶだっていってんだろ!」




 あんなに楽しい滑り台なのにさ、遊ぼうとしないんだよ。




 腹が立った俺は、無理やり滑らせてやろうと、手を引っ張ったんだな。




「ッ……だいっきらい!!!」




 そしたら、思いっきり突き飛ばされちまってさ。


 俺はしりもちをついたまま、泣きながら走り去っていくチビを見送ることしかできなかったんだな。




 ……思えば、それが、初めて俺が聞いた、「大っ嫌い」だったんだ。




 保育園に入って、チビは同じクラスになった。


 いつもスケッチブックに絵を描いてばかりいる、おとなしすぎるチビは、いわゆる強気ながきんちょどもにいじられるようになった。




 俺には描けないようなきれいな絵をクレヨンで塗りつぶされては泣いてさ。


 そのたびに俺はいじめっ子を徹底的にいじめてやったね。


 給食で嫌いなもんが出て食べられずに泣いてた時は、さくっと奪って食ってやったさ。




「ゆうちゃん、カスミのこと好きなんだろ!!」


「やーいやーい!!けっこんけっこん!!!」




 いつもチビをかばってたらさ、つまんねえこと言いだすガキがいたんだよ。


 うっとおしかったからさ、俺は一掃してやったのさ。




「うっせえ!こんなチビきらいだよ!!」




 そしたらさ、チビが俺の後ろにいたらしいんだな。




「あ、あたしも、だいっきらいだもん!!ふ、ふえええええん!!!」




 ド派手に泣きだしやがってさ。


 泣き過ぎておもらしまでしやがってさ。




「ゆうくんがかすみちゃんいじめた!!」


「せーんせー!!!」


「ゆうくん、ダメじゃないの!!!」




 盛大にまゆみ先生に怒られた俺は、チビに頭を下げて、握手をして仲直りをさせられたんだな。




 ……なーんか、気が付いたらさあ、俺はちびの保護者的位置に立つようになっちゃってたんだな。




 遠足で弁当ぶちまけて泣いてるのを見つけた時は、俺の握り飯を食わせた。


 運動会の徒競走で転んで泣いた時は、ゴールまで肩を貸した後救護テントに直行した。


 合唱コンクールでピアノをミスって目に涙を浮かべた時は、アカペラで歌を歌ってやった。


 卒業式で泣いてた時は、しわしわのハンカチを差し出した。




 ……泣き虫だったチビは、いつの間にかすましたお嬢さんになったわけだが。




 ……俺はガキの頃から変わらず、ガサツでやんちゃでさ。




 チビにちょっかい出してきた、つまんねえクソガキとケンカになっちまってさ。


 ……多勢に無勢ってね。情けねえことに、俺は負けちまったのさ。




「こんな、こんな無茶する悠君なんか、嫌い、大っ嫌い!!」




 病院のベッドで、うんうん唸ってる俺の横で、チビがわんわん泣いてるんだよ。


 骨の一本や二本折れた痛みなんざ大したことはないんだがな、実にこう、……染みたんだな。




「……俺、お前の『大っ嫌い』、苦手なんだよ。聞くとこう、タマヒュンするっていうかさ。」




 わんわん泣いてるチビが、目を丸くした。


 その隙に、俺は折れていない方の手で、ぎこちなく、頬を拭ってやった。




「た、たまっ……?!もう、そういうこと言わないで!!だいっ・・・「ちょっとまった!」」




 チビの口元を、涙を拭った手で抑え込む。




「お前さ、なんかいっつも……俺の事嫌いって言うたびに泣いてんのな。悪いんだけど、もう二度と聞きたくない。」


「じゃあ、もう、こんな無茶はしないで!!……お願いだから。」




 目に涙をためて、俺をじっと見つめる……佳純。




「これからは、俺のこと、嫌いって言わずに、好きって言えよ。そしたらずっと、笑ってられるだろ。」




 折れた右手と、折れてない左手をのばし……、小さく震える、愛しい人を抱きしめた。




「こういう事する俺の事……嫌い?」


「ッ……!!!大好きだよぅ!!!!!」




 おかしいな、何でこいつは、いつも泣いてばかりいるんだ。


 ……俺は笑ってる佳純が一番好きなんだけどなあ。




 わんわん泣きじゃくる佳純の唇を奪ってやったらさ、真っ赤になって、ようやく泣くのをやめてくれたんだけどさ。


 そのあと、思いっきりポカポカやられて、折れた肋骨が痛かったのなんのって。


 思わずポロリと、涙がこぼれちまったんだよなあ。




 ……あれから一度も、『大っ嫌い』を聞くことはなかったんだ。




 大っ嫌いと言われないよう、俺はいつだって彼女のそばでナイトを務めたさ。


 大っ嫌いと言われてたまるかってんで、俺は死に物狂いで学んださ。




 大っ嫌いと言わせないよう、俺はいつだって嫁を一番大切にしていたさ。


 大っ嫌いと言われないよう、俺はいつだって嫁の味方になっていたさ。




 大っ嫌いと言われないために、俺はいつだって嫁に大好きと言い続けていたさ。




 俺の言葉に、何も返さなくなった嫁を見ても。




 俺は、嫁に、大好きだよとささやき続けたさ。


 俺は、嫁を、愛しているよと言いながら、抱きしめたさ。




 小さな泣き虫が越してきた家は、ずいぶん前に建て替えられて、今は孫たちが住んでいる。


 俺の家はすでになく、草ぼうぼうの空き地になっていて、虫たちの楽園が広がっている。




 俺がかつて隠れ家にしていた土管はないが、バッタ取り放題の草ッ原も、雨上がりにいつも長靴で突撃していた水たまりスポットも、ここには、ある。




 ……ただ、俺の愛する、嫁だけが、いないのだ。




 嫁を抱きしめることができなくなった俺は、持て余している両手で、足もとの雑草をちぎった。


 ただ無心に雑草をちぎっていると、俺の中で薄れつつある思い出ってやつがさ、どんどんあふれだしてくるのさ。




 ……思い出せるうちはさ、嫁の事を、たくさん思い出したいじゃないか。




「じいちゃーん!ご飯できたってー!」


「ほーい!!」




 泣いてばかりいた、幼い日のチビそっくりな孫が、俺を呼びに来た。




 手に持っているのは、……はは、へびの皮だな。


 見た目はチビそのものなのに、ずいぶん気の強い、男勝りな孫なんだ。


 繊細で穏やかで優しくて泣き虫だった嫁に似ず、ガサツで強引で喧嘩っ早い俺に似ちまったんだな。


 どうなることやらってね、心配しているような、いないような。




 ……よし、今日も覚えていたな。……思い出せて、よかった。




 俺は尻の土と軍手の土を払って、昼飯を食べるために、家へと、向かった。


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