第21話 神代の火中出産

 神域といっても、洞窟は洞窟でしかない。

 少し湿気が多いようで、足元がぬかるんでいた。奥に進むにつれて肌寒くなっていき、松明の明かりが心の頼りになる。


 一寸先の闇にも怯むことなく進んでいけば、やがて分かれ道にたどり着いた。


 明かりを掲げる。

 さて、どっちだろうか。


 彼女が向かった先の手がかりがないか、周囲を見渡してみる。分かれ道の境の足元に、不自然な岩があることに気がついた。


 松明を近づけてみる。岩に文字が綴られていた。


「磐、可、行、左。花、可、行、右?」


 どういう意味だろうか。

 普通に読むと『岩は左に行け、花は右に行け』ってことだけれど。


 僕は文字をなぞる。


「……これ、いくらでも深読みができちゃうから怖いね」


 岩と花で真っ先に思いつくものがある。

 それは吾田にまつわる伝承だ。古事記や日本書紀にも記されているほど、有名な話。僕が、蒼月姉妹のひと言をきっかけに図書館で見つけたものの一つでもあり、ついさっき蒼月詠の祝詞にも出てきた言葉。


 吾田の長屋の笠沙の碕。

 そこで天孫瓊瓊杵尊と吾田の姫である木花開耶姫は出会った。


 そして、木花開耶姫の嫁取りといえば。


「瓊瓊杵尊のもとに嫁いだのは二人の姫だ。木花開耶姫と、姉の磐長姫」


 磐長姫は長寿の象徴、木花開耶姫は繁栄の象徴として、瓊瓊杵尊の元に嫁ぐ。だけど磐長姫はその醜さを理由に、追い返されてしまった。


 だから人間は寿命が短い、というのが記紀神話での話。ゆえに長寿を得たかったのなら選ぶべきは磐長姫で。


「……いや、彼女が選んだのは木花開耶姫か」


 帰ってこなかった蒼月花蓮は人の道を選んだと言っていた。瓊瓊杵尊と結ばれたのは木花開耶姫。神と交わり人の租となったのは、木花開耶姫だ。


 僕は花の道を選び、進む。

 またしばらく進むと、今度は三叉路に出会った。


 来た道合わせて十字路になっている。これは、来た道に目印を付けておかないと帰れなくなるな。


 何か目印がないかと明かりを翳してみれば、道脇に小さな篝火の台があることに気がつく。来た道には篝火はないので、これが目印になりそうだ。


 僕は遠慮なく三叉路の空間に進むと、篝火の台をじっくりと見る。よく見ると篝火の鉄細工の軸に文字が書いてあった。


〝此明也、其山子也〟


「此レ明カリナリ、其レ山ノ子ナリ……かな? 篝火だから明るくなるのは間違いないよね。山の子ってどういうことだ」


 正しい道はどれだろうか。近づいているなら物音くらい聞こえてこないだろうかと耳を澄ましてみるけれど、あまり意味はない。


 やっぱり謎を解くしかないだろうか。彼女が正しい道を選んでいれば、必ず会えるはず。会えなくても、そこから虱つぶしに探すだけだ。


 他に手がかりがないか、篝火をじっくりと観察してみる。篝火の位置や大きさはまちまちで、ちょっと奥にあったり、一つだけ妙に大きかったり。松明の明かりはだんだんと頼りなくなってきているから、急がないと。


 目を皿のようにして見ていると、網目のような鉄細工に隠されて〝照〟の文字が浮かび上がった。急いで他の篝火の細工も確認する。


「左から、照、遠、勢の字か。……また何かの暗号か」


 こうなると、位置に違う篝火にも意味があるように思えてくる。


 〝照〟の字は背が高い篝火。〝遠〟の字は奥のほうにある篝火。〝勢〟の字は全体的に大きい篝火。


 〝遠〟の字の通路を前に立ち、後ろを振り向く。


 背後には木花開耶姫の道。人の道。篝火。火。


「火中出産か」


 となると、この道が示すのは火の神たちの名前だ。ただ、この火の神たちの名前が厄介で、日本書紀では幾つもの表記があったし、生まれた順もばらばらだったり、兄弟が増えたり減ったりしている。


 ただ、ここに記されている文字を見る限り。


「蒼月家は古事記寄りの可能性があるな。火照命ほでりのみこと火須勢理命ほすせりのみこと火遠理命ほおりのみこと。炎が燃えて、盛り、落ち着く様子から生まれた火の神たち」


 古事記のほうが分かりやすくて良かった。表記も分かりやすかったから、こうしてきっかけになる文字で見れば思い出せた。


 とはいえ気になることがある。


「並び順がおかしい」


 古事記準拠の生まれの順であれば、〝照、勢、遠〟の順になるべきだ。だけど、これでは第二子と第三子の並びが違う。


 これだけじゃまだ、道を選べない。

 彼女がどの道を選んだのか。その答えを探さないと。


「火、火……いや、待て、軸の文字」


 僕はもう一度、篝火の軸に書いてある文字を読む。


〝此明也、其山子也〟


 これは明かりで、それは山の子。

 山の子。


「海幸彦と山幸彦か……?」


 火中出産から山と連想できるのはこれだけだ。


 海幸彦と山幸彦は、この火中出産で生まれた兄弟の別名だ。海幸彦は火照命だったり、火須勢理命だったり。ここも通説が多く、解釈がごちゃごちゃだった。


 だけど、彼女が人の道を選んだとしたら。


「海幸彦を探せじゃなくてよかった。山幸彦は唯一人だけ。火遠理命。この道か」


 〝遠〟の文字が書かれた篝火のある道を選ぶ。


 道を進みながら、やっぱりどうしても並び順のおかしい〝照、勢、遠〟の文字について考えた。


 日本書紀において、火中出産の段は一書が多かった。とはいえ書いてあることはだいたい同じで、木花開耶姫が三つ子を産んだことが書かれている。


「……そういえば、二人だったり、四人だったりする説もあったな」


 詳しく覚えていないのが悔やまれる。

 でも進むしかない。憶測だろうとなんだろうと、正解の道を選べば、その先に彼女がいるはずだから。その一心で奥へと進む。


 松明の明かりを持つのもそろそろ限界に近い。枝にゆっくり燃え広がった炎は、もうすぐ僕の手に触れそうだ。


 だけど。


 炎の熱を感じながらたどり着いた先は、行き止まりだった。


 ぽっかりと開いた空間に、首のない不気味な石像が一つだけ。ここには、誰もいない。


 愕然とした。


「この道は間違いだったのか……? やっぱり上の子……海幸彦を選ぶべきだった?」


 焦りのせいか、心臓がやけに早く鼓動を打つ。ゆっくりと呼吸を整えながら、石像へと近づいた。


 ぱきりと、何かを踏む。

 明かりを足元に向ければ、燃え尽きた枝の屑。

 まだそんなに湿気っていない。新しい燃えかす。


 ――彼女は、間違いなくここにいた。


「それなら、これが次の謎かけか」


 石像へと視線を上げる。

 首のない石像。仏像のような柔らかい質感の衣装が掘られている。体系的には男性、だろうか。


 石像を探ってみるけれど、首がないこと以外、細工は何もない。


「やっぱり石像自身が何かの意味を持っている? 誰かの首を置けとか? 物騒だな」


 ここにいるのは僕だけだ。首を切って置くなんて冗談でもない。自分で思いついて、自分で悪態をつく。


 時間がない。松明の火が手を炙る。それでも我慢する。まだ、この手を離せない。彼女を見つけられていない。


 考えろ。首のない像。山幸彦。火中出産。木花開耶姫。日本書紀。古事記。ウケイ。祝詞。


「山、火、桜、首……もしかして大山祇神オオヤマツミノカミか!」


 天啓が降りる。

 大山祇神は木花開耶姫の父神だ。伊弉諾神いざなぎのかみ伊弉冉神いざなみのかみが生んだ、神のうちの一柱。


 だんだんと思い出してきた。大山祇神は山の神なのに、火の神から生まれたんだ。日本書紀では、伊弉諾神が軻遇突智かぐつちを切り捨てた時に生まれた神の一柱とされていたはず。


「軻遇突智から生まれた神っていっぱいいたけど……切り捨てられた部位ごとに生まれた神が違う」


 なるほど。そういうこと。


「軻遇突智の頭から生まれたのが大山祇神だとするなら……こういうことじゃないかな」


 今にも燃え尽きかけていた松明を、首の上に置いてみる。


「あ、あんなところに」


 すごく絶妙な位置に横穴があるのを見つけた。石像の首の位置に明かりを置いたときだけ見える、ネズミ返しになっていて見えない高所の道。


 普通に腕を伸ばしただけでは手が届かないけれど。


 当たり前のように松明を払い、石像によじ登る。罰当たりだけど石像の首を踏んで道を掴み取る。


 よいせっと、高所の横穴へ登る。松明の炎が尽きて、明かりが消えた。


 闇に目を慣らそうと、しばらく瞬きをする。両手を伸ばしながら、足元を探りながら、闇の中、さらに奥へ奥へと進む。


 視界が不自由になると、他の五感が鋭くなる。進む方向から頬を撫ぜる風を感じた。どこからか風が吹き込んでいるということは、外に通じる道があるということ。


 風に気がつくと、今度はそれが運んでくるものにも気がついた。


 何かを燻したような匂い。

 嗅いだことのない匂いに、眉を顰める。

 そして声。

 これは、もしかして。


 ゆっくりと足音を忍ばせて進む。下り道。ぼんやりと明かりと影が見えてくる。


 登ってきた時と同じで、通路の先はねずみ返しのようになっていた。足元で声がする。ねずみ返しの上から覗き込むように下を見れば。


 たくさんの火が焚かれていた。火には何かが焚べられており、強い匂いが鼻を麻痺させていく。その明かりの中央では、何人もの半裸の男が一人の少女を囲っていた。少女はぼんやりと焦点の合わない瞳を彷徨わせている。


 力のない様子の彼女の巫女装束を、男たちが恭しく剥がしていて。


 思考が止まった。

 でも身体は動いた。


 飛び降りるようにして、真下にいた男を蹴り飛ばす。流れるように彼女の最後の砦である単の帯を緩めていた男を昏倒させれば、周囲にいた男たちがざわついた。


 僕はゆっくりと彼らを見渡す。


「――君たち、運がなかったよね。僕が相手なんだもの」


 自分でも聞いたことのないくらい、低い声。

 殺気立つ男どもを前に、中段で構えた。

 これでも僕、合気道の心得があるんだけどさ。


「手心は加えられないから」


 あまりの所業に、怒りで全身が沸騰しそうだからね。

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