第22話 失われた月とちるひめさま

 これはひどいな。

 婚約者を襲おうとしていた半裸の男たちは、僕を認識した途端、各々手近にある棒やら石やらを持ち、殴りかかってきた。


 それをいなし、避け、当て身を食らわせる。混戦になって彼女に被害が及びそうになれば、そいつを投げ飛ばしてやる。


 そうして淡々と半裸の男たちをさばききると、燃え盛る篝火のせいか、全身が汗でぐっしょりになっていた。ちょっと臭わないか心配かも。


 ようやくひと息つく。

 伸びた男たちを横目に、彼女のもとへ膝をつく。


「帰ろう、花蓮」


 彼女が僕の婚約者。

 あらためてこの場所を見渡してみれば、なんとも儀式めいたような空間だった。


 ここまで一切、明かりのなかった道とは反対に、この場には異常なほどの篝火が焚かれている。その中央に筵が引かれ、最奥には壁画がある。壁画に描かれているのは燃え盛る赤子を抱く女神だった。


 おそらく赤子は軻遇突智なのだろう。人の道の行き着く先にいたのは、軻遇突智だということだ。いや、火から生まれるもの、といえば良いのだろうか。大山祇神も、山幸彦も、火から生まれるもの。やたらと篝火を焚いているのは、ここで火中出産させる気だったのか?


「……胸糞悪い」


 僕は吐き捨て、虚ろな目の花蓮を抱き上げる。気絶している男たちが追いかけてくる前に移動しないと。


 ここはどこかの道の突き当りのようで、とりあえず道なりに進んでみることにする。篝火から松明になりそうなものを一つ拝借した。片腕に女性、片手に松明。ここが踏ん張りどころだな。


 追手を警戒しながら黙々と進んでいけば、見覚えのある十字路に出た。道の脇には篝火の細工がある。


「火照命の道だったのか」


 〝遠〟の道とは別に、〝照〟の道とも繋がっていたのか。


 面白い構造の洞窟だと思いつつ、木花開耶姫の道ではなく〝勢〟の道へと進んだ。


 気になることがある。並びのおかしい兄弟の順。〝照〟と〝遠〟が繋がっていた。じゃあ、〝勢〟は?


 〝勢〟の道を進んでいくと、水の匂いがした。だんだんと明るくなり、ぽっかりと吹き抜けのように空が見える、断崖絶壁にぶち当たった。


 上を見上げれば天井がなく、満天の星空が見える。


 下を見下げれば深い青の洞窟湖と、中央には岩から生える青い桜があった。


「……ちるひめ、さま……」


 小さな声が耳元で囁かれる。

 花蓮が青い岩桜へと震える手を伸ばしている。


 つまりこれが。


「蒼月の御神体……」


 父神が大山祇神だとして、磐長姫と木花開耶姫の母神は誰だったろうか。大山祇神の配偶者はたしか……いや、待て。


「磐長姫と木花開耶姫の母神の記述はなかった。父神が大山祇神とあるだけで、母神はいない」


 母神のいない姉妹神。

 でも何かが、何かが引っかかる。


「ちるひめ……この……はな……ちる……」

「そうだ、木花知流比売このはなちるひめだったね」


 蒼月教授が教えてくれた、蒼月の祭神。

 木花知流比売。木花開耶姫の姉妹である、花と水の神。


 その系譜を必死に思い出す。蒼月教授が教えてくれて調べてみたものの、古事記に名前だけが載っているだけだった。


 でも十七世神とおまりななよのかみと呼ばれる神の系譜にもその名前が載っていて。


「……さすが専門家だよね。蒼月教授に言われていなかったら、知識不足で死んでいたよ」


 古事記にしかない記述だ。十七世神は速須佐之男命と大国主の系譜を一つに束ねるための系譜とされている。木花知流比売はその系譜に連なる一柱と契り、その系譜の一柱を生んでいく。


 だけど、木花知流比売は速須佐之男命と大国主の系譜が繋がる間の世代だし、速須佐之男命の血と混ざるだけだ。木花知流比売と契るのは、速須佐之男命と櫛名田比売の子、八島士奴美神だったはず。


 系譜を頭に思い浮かべる。

 コノハナサクヤヒメとコノハナチルヒメ。

 

「……あぁ、ソウゲツって、そういうこと。それなら御神体もあれで納得かも。蒼月でハズレくじを引かされるのは下の子のほうだってことも」


 蒼月はおそらく、喪月とも書くのかもしれない。


 コノハナサクヤヒメには多くの表記がある。日本書紀では木花開耶姫、木花咲耶姫と書くけれど、古事記では木花之佐久夜毘売と書く。


 木花之佐久夜毘売命は夜をあらわす名前だ。

 夜の花といえば、月。


「月のない名前。存在をなかったことにされる双子の片割れ。これですべて、繋がったかな」


 木花知流比売は古事記にしか記述のない神だった。蒼月姉妹が日本書紀を指して〝ちるひめさまがいない〟と言うのもよく分かる。


 その上で、今の日本の史実としては、日本書紀が正史として扱われる。で、蒼月神社は国から正式に認められている神社ではない。


 その理由さえも分かってしまった。


「そりゃ皇統から爪弾きにされるわけだよね。国譲りは終わったのに、話を蒸し返されちゃ困るんだもの」


 蒼月家が今もなお、神武天皇を租とする皇統よりも古い血筋を守っていたとしたら、だけど。


 それにしても見事な対比構造だよね。人の道と交わった天津神の血筋である皇統は、山にとっての天敵である火にまつわるうけいの中で生まれる。逆に蒼月は水神の家系だ。十七世神は速須佐之男命から始まり、水神の名が連なる。水神が多いのも、禊だったりして。


 閑話休題。


「で、それが分かったところでどうしようか。ここで行き詰まりだし……戻っても追手がいるしな……いや、あいつらがいるってことは、何かあるはず……」


 〝勢〟が火須勢理命だとすれば、海幸彦として比定される説もある。海幸彦の道がここに繋がったということは。


 崖をのぞく。水流があり、渦をまいている。


「いっそのこと、飛びこもうか。木花知流比売の加護があれば行けたりしないかな」


 なんて。

 上を見た。ぽっかりと空が見えている。


 やっぱり花蓮を連れて水に飛び込もうと本気で思ったところで、崖に小さな足場があるのに気がついた。足場の先は真下に続き、横道が空いている。


 行きにくいけど……まぁ。


「水に流されるよりはいいかもね」


 花蓮を下ろし、背負い直す。以前のように、片割れがいないと何もできないかと思っていたら、すんなりと背負われてくれて、少しだけ嬉しかった。


 そしてゆっくりと崖の小さな足場を伝う。

 落ちないように、落とさないように。

 そうして見つけた横穴の奥へと、僕はさらに進んで行こうとして。


 こつり。

 足元に何かが当たった。


 小石よりも大きく軽いそれに、松明の明かりをかざす。


 明かりが照らしたものに、僕は絶句した。

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