異類婚相談所
@rona_615
第1話 白里浜の人魚
昔々、白里浜に阿治という一人の漁師がおりました。ある日、漁に出た阿治は、魚網に捕らえられた人魚を見つけます。
「おう、せっかくの美しい髪が台無しだな。ちょいとばかし大人しくしておれ。すぐに解いてやるからな」
阿治は手早く小刀で網を切ると、人魚を助け出しました。
「ほれ、ここいらは漁師が多いんじゃ。お前さんの仲間たちにも、近付かんように言ってくれ」
海に浮かんだ人魚は、何度も頭を下げたかと思うと、不意に自分の左の小指をちぎり取ります。
「これを食べれば、きっと長く生きられます。助けていただいたお礼です。どうぞ受け取ってください」
阿治が指を飲み込むのを確認した人魚は、尾をひらりと振ると海へ潜っていきました。
それ以来、阿治は全く歳を取らなくなります。彼が血を分けた子供も、他の人たちより少しだけ長生きだったため、阿治は村で大切にされました。
五百年も経ったころでしょうか。いつものように小屋から出てきた阿治がパタリと倒れました。村人たちが慌てて駆け寄ると、阿治はすでに事切れています。
「浜の人魚様にお見せするべきか」
「とりあえず海へ運ぶべ」
阿治を担いで白里浜へ向かった村人たちは、打ち上げられた人魚の遺骸を見つけます。その人魚の左手には小指がありません。
「あぁ、人魚様がお迎えに来なすったんだな」
村人たちは両の手を合わせたのち、二人のための塚を立てたのでした。
(注 〇〇県の昔話より抜粋)
「私の肉を食べくれる方と結婚したいんです。見つけてもらえますか?」
机の反対側で、水槽の縁に両手をかけながら、彼女(Yさんとしよう)は言った。
目がぱっちりとした、華やかな顔立ち。鼻が少しだけ大きいが、それが愛嬌になっているタイプ。水面に広がる真っ黒な髪も美しく、ほっそりとした腕とぷかりと浮かんだふくよかな胸の取り合わせは大多数の男性に受けそうだ。年齢だって人魚にしてはまだ若い二百五十歳。
相手に望む条件も多くなく、すんなりと交際が成立しそうではあるが。
「人魚の肉を召し上がられた場合、お相手の方は不老不死になられるということで、間違いありませんか?」
そう尋ねると、Yさんは「ううん」と首を振った。水滴が床に飛び散るのを、つい目で追ってしまう。
「八百比丘尼だって、八百歳で死んだでしょ?うーんと長生きになることは多いけど、それが幾つまでかは、浜ごとに違っていて。
不老っていうのも、例えば、星松海岸の人魚なんかだと、すっごくゆっくり歳をとるようになるのが、まるで老いてないように見えるってだけでさ。
ほら、ヘビだって種類とか地域によって、毒があったりなかったり、あったとしても全然強さが違うでしょ?まぁ、そんなもんよ」
たっぷりとしたまつ毛に縁取られた瞼を何度も上げ下げしながら、Yさんは言葉を続ける。
「私たちの浜の場合はね、ちゃんと不老にはなるわ。肉を与えた人魚が生きている間は死なないし、大抵の場合は人魚って、他の種族よりは長生きするから、もれなく長寿がついてくるって感じかな。
あ、ただね、人間に捨てられた人魚が、どうしても相手を許せなくって、肉を食べさせた後に自害したって話はあるけどね。そうすれば、いわゆる無理心中ってやつができちゃうのよ。
だから、アプリなんかで相手を探してたときには最悪だったの」
Yさんはそれから三十分も、その“最悪な婚活”体験について語った。
不老だけが目当てで、結婚する気などない水仙の精。
人魚の肉を薬かのように語る薬剤師は既婚者だった。
「吸血鬼になった母親より長くいきたいけど、何回も血を飲むのは嫌だから、一回だけで済むし、我慢して肉を食べるって言ったマザコン男なんかも。
そもそも、不死にはならないって時点で、人魚のイメージとは違うみたい。白里浜の人魚の話をちゃんとすると、あからさまにガッカリされちゃう。
だから、相談所に来たの」
少なくとも、結婚に前向きな人が集まっているからと、仕事仲間から説得されたらしい。
Yさんの同僚に心の中で親指を立てながら、私は頬に力を入れ、口角を上げる。
「それでは、まずはお写真とプロフィールを用意しましょう」
人魚という種族のおかげか、上目遣いが愛らしい写真のためか、Yさんへの申し込みはひっきりなしだった。あらゆる種族OKのホテルのラウンジへと、Yさんはほぼ毎日通うこととなる。
けれども、結果は思わしくないようで、お見合いから帰ったYさんからは、毎度のように電話がかかってきた。
「人魚なのに会ってみたら美人じゃないって言うんですよ!自分はのっぺらぼうのくせして」
「ドワーフだけど年下だし、同じくらいの余命だから問題はずなのに、あなたがうっかり死んだら巻き添えですか?って」
「同じ人魚なら、あっちの浜の方が長生きできそうですね、ってたかだか四十年しか生きられない小人からしたら、どっちも大して変わんないでしょ!」
「エルフって、自分たちの方が寿命が長いからって偉そう。確かに、私の肉を食べると早く死んじゃうけどさぁ……」
月に一度の面談でも同じ愚痴は繰り返され、私はその一々に、共感してみせたり、宥めたりしなくてはならなかった。
Yさんに一通り話してもらった後で、ようやくこちらからのアドバイスができる。
「肉を食べていただきたい、というのは譲れないのですよね?それでは、他の条件をもう少し緩めてみませんか?」
一ヶ月、二ヶ月と時が過ぎるうちに、Yさんは自分の“どうしても譲れない条件”が、あまりにも厳しいことに、ようやく気づき始めた。
髪型や服装をお見合いする種族好みに毎回変え、可能な限り海から離れた場所にも出向く。可愛らしいパッケージのえびせんを用意し、手土産として渡す気遣いも忘れない。相手への条件だって、初めの半分くらいまで抑えた。
その甲斐あってか、何度かデートする相手もできるが、どうしてもそれが続かない。
「やっぱり、肉を食べてほしいってのがネックみたい。仲が良くなると、こう、抵抗が出てくるってパターンもあって……」
口元が隠れるほど水に沈み込んでしまったYさんに、私は一枚の紙を掲げてみせた。
「それでは、この方に会ってみませんか?」
それは一人のエルフの身上書だ。
彼は、バツイチではないものの、七十年近く連れ添った人間のパートナーがいた。その相手と死別したことがきっかけで、相談所の扉を叩いたという。
「お相手を亡くされたときに、自分も後を追おうかと考えたそうです。けれども、パートナーの方が残された手紙に『次はもっと寿命の長い人と、結婚して、ずっと幸せでいて』とあったため、思い止まれたとのことですよ」
それでも、すぐには心を切り替えることができず、入会したときには、それから百年も経っていたという。
「すでに八千歳を超えられており、エルフとしても若くはないですが、とても穏やかで素敵な方だと、あちらの仲人さんもおっしゃられておりました」
身上書と共に送られてきた写真の中では、スラリと背の高い男性が、スーツ姿で微笑んでいた。
薄い金色の少しだけ長めの髪は、紺色のスーツによく映えている。金色の瞳を細めた表情は、とても優しげだ。
「見た目は、とっても好みです。けれど、私が生きられるとしても、せいぜいあと七百年くらいです。エルフの寿命は一万歳を超えると聞きますから、その、私の肉のせいで、早く死ぬことになってしまうのは……」
Yさんはますます深く水に潜る。水面で反射する蛍光灯の光のせいで、もう目より下は、どんな形を作っているのか、私からは見て取れない。
「もう十分に生きたので、年月に未練はないそうですよ。それより、相手に残されること、相手を残すことの方が辛いと、同じくらいの余命の方を希望されていたんですが……エルフほど長命な種族もなかなかいないですからね、難航されていたそうです」
Yさんはお相手の方の髪の色に合わせた、薄い黄色のリボンをつけ、お見合いの場に臨んだ。お相手は、写真以上の見た目の相手が来たと内心びっくりしたそうなので、準備の甲斐はあったのだろう。
八千年もの間、世の中を見てきたエルフでも、海の奥深くのことは知らず、Yさんの話をとても楽しそうに聞いてくれたという。
相手がYさんに聞いた質問は、ただ一つだけ。
それは『貴方をいただけるのは自分にとっても有り難いことだが、痛くはないのか?』というものだった。
「優しそうってだけじゃなくって、私のことをちゃんと考えてくれてて。あんな風に言ってくれた人、他にはいませんよ!」
「デート中にちょっとだけ怪我しちゃったんですけど、すぐに治してくれて」
「私がやってみたい!ってお願いすると、ちゃんと調べて実現してくれるんです。ただ長く生きてるってだけじゃなくて、すごく物知りだから……こないだなんて、水槽ごと観覧車に乗せてくれて、で、そこで花束まで!私、誕生日でもなんでもないのに!」
Yさんからの電話は、弾んだ声のものばかりになった。順調に交際は続いているようだから、きっと、こんな話を聞けるのも、後少しの間だけだろう。
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