最期の温もり


 妖精さんの魔法のような光で視界が一瞬で白く染まる。

 そして、つぎにわたしの目に飛び込んできたのは、いるはずのない影だった。




「あおい」


 伊織だ。伊織の優しい声だ。

 わたしはすぐさま伊織のそばに駆けつける。

 伊織はそんなわたしを穏やかに愛おしい目で見つめていた。

 そんな表情が胸を締め付ける。


「伊織……」


 小さく伊織の名前を呼ぶ。

 彼がなにを言ったらいいかわからないと思っていることを悟り、わたしが言葉を紡ぐことにした。


「伊織のばか! なんでわたしなんかを護ったの?

 わたし、わたし、ずっと、伊織にもらってばっかじゃん。  

 なにも返せてないのに、なんで」


 やっとの想いで綴った言葉なのに、わたしの目からはもう大量に涙が溢れていて、視界は思いっきり揺れていて、上手く伊織の顔も見えない。

 もっと大好きな人の顔を見つめていたいのに。


「ちがう! 俺はたくさんもらった。

 充分過ぎるほど葵からもらったんだよ。

 わたしなんかって言わないで。葵だからこそ護ったんだ」


 今度は真剣な顔をして、声を思いっきり上げる。



『自分のこともちゃんと大切にしろよ?』


 わたしにはそう言ったくせに、伊織は自分のことどうなってもいいって思ってたの?

 伊織の生命だって同じくらい大切なのに。

 伊織こそ自分を犠牲にしてるじゃん。




「俺、葵のこと好き。好きで好きでしょうがない」


 その声とともに思いっきり抱きしめられる。

 あったかい。心音もちゃんと聴こえる。

 伊織はもうこの世にいないことなんて忘れそうなくらいわたしは温もりに包まれていた。


「そんなのわたしだって! わたしだって、伊織のこと……」


 好きだよ。

 そんな簡単な言葉が喉の奥に引っかかったみたいに出てこない。


 あのときはすっと出てきたのに。




「わたし、伊織がいないとだめだよ。

 無理矢理笑っちゃうし、自分の気持ち無視して、他人に合わせちゃう」


 いまだにわたしは昔のまんまだと思う。


 うんうん、と頷きながらわたしの話を真剣に聴いてくれる。



「でも、葵はもう俺がいなくても大丈夫だよ」


 なんでそんなこと言うの?

 そんなこと言わないでよ、と見つめる。


「出会った頃の葵はたしかに他人に合わせたり、自分は我慢したりばっかりで、ただただ優しい子だったけど、いまは優しさだけじゃない。

 強さももっていると思うから。

 自分の心の声をちゃんと聴いて行動してる」


 葵はもう大丈夫だよ、ともう一度わたしの耳元で囁く。


 それは全部伊織が隣にいてくれたからなのに。

 伊織がいない世界にいたって意味ないのに。

 そう思ったけど、最後までなにも言わず伊織の話に耳を傾けた。


「葵は気づいていないかもしれないけど、俺にはわかるよ。葵が変わったってこと。

 どんどん成長していく姿を見て、俺ももっとどんどん好きになった」


 伊織の言葉が胸の奥まで突き刺さった。

 伊織はいつもわたしのことを見ててくれて、変わったって言ってくれる。

 そう思ってもいいのかな? 信じていいのかな?

 自分は変われたって。



「俺の願いごとは葵がただ生きててくれること。

 きみが生きてさえいればいいんだって。

 毎日普通に平凡に過ごして、なにがないことで笑っててくれるだけでいい。

 それが俺の幸せだから。

 だから、俺の願いきいてくれる?」


 わたしの手を取り優しく包んでくれる。


 ずるい。

 伊織にそんなこと言われたら生きないわけにもいかないじゃないか。

 受け入れるしかないじゃないか。

 わたしが生きてることが伊織の幸せにつながるなら、わたしはちゃんとこれからの毎日を大切に生きるよ。


 もう涙は乾いていて、代わりに笑顔を零す。

 伊織が大好きだって言ってくれた笑顔を。




「伊織はいつまでいられるの?」


 そう訊くと、伊織は妖精さんのほうを向く。


「それは葵ちゃんのお誕生日が終わるまで。

 それが終わったら伊織くんは完全にこの世からいなくなる。……もう二度とあうことはできない」


 妖精さんはゆっくり悲しそうに話してくれた。


 時計を見ると23時30分。

 伊織がこの世界にいられるのはあと30分もない。


 無駄にしたくない。

 伊織がまだいるこの世界の一分、一秒も。





「妖精さん。お願いします」


 わたしは必死に頭を下げる。

 最期だから。もうあえなくなるんだから。

 いちばんの想い出のあの場所に行きたい。


「でも、葵ちゃんはまだ安静にしてたほうが」


 妖精さんはわたしの体調を心配してるみたいで少し不安そうだった。

 わたしなら大丈夫です、と笑う。


「最期に伊織と見たいんです。あの綺麗な星空を」


「……わかった。僕は願いを叶える妖精さん。

 女の子のお願いごとを叶えないわけにもいかないからね」


 そう言うと、妖精さんの姿が見えなくなって、光に包まれた。

 一瞬で世界が白くなったみたいだ。

 それがだんだん視界があってきてそこは星空公園だった。

 わたしと伊織が小さい頃はじめて出逢った場所でお互い大好きな場所だ。


 いつものようにブランコに座って、満天の星空を見上げる。




「なぁ、憶えてる? 俺が葵をプールに落としたの」


 いきなり想い出話が始まった。

 伊織の声は明るくて想い出をなぞるように明るく話し出す。


「忘れるわけないでしょ」


 間髪を入れずに答える。

 懐かしいなと自然と笑みが溢れる。


「あのとき、はじめて葵に怒られたっけなー」


「え、だって、わたしだってお母さんにめちゃくちゃ怒られたもん」


 全身びしょ濡れで帰ったからもちろんお母さんに怒られた。

 でも、なんかたのしかったんだ。

 伊織には秘密だけど、水を浴びた瞬間、いやな気分も一緒に流れたみたいで、少しすっきりした。

 あの喧嘩があってこそもっと仲良くなれた。




「葵が颯太と仲良くなるとは思わなかった」


 少しムッとしたような顔をみせる。

 そんな顔しなくてもわたしが好きなのはただひとりだけだ。


「ええそうかな?」


「だって前の世界はさ、颯太と葵は話をすることもなかったからさ」


「……そっか」


 前のわたしは勿体ないことしてるな。

 颯太くんと友だちにならなかったなんて。


「だから、未来が変わるかもって思ったらちょっと心配だった」


「でも、変わらなかった……んだよね」


「……うん」


 じゃあいまを変えてもわたしは結局交通事故に遭うことになってたんだ。

 やっぱりわたしはそういう運命だったんだ。


 でも、伊織が変えてくれた。

 自分の身を捨ててまでわたしの生きる毎日を護ってくれた。




「颯太はいいやつだよ」


「うん、知ってる」


 いつもその場を明るくしてくれて、わたしの恋も応援してくれて、颯太くんは最高の友だちだと思ってる。


「葵のこときっと幸せにしてくれると思う」


「え……」


 そんなこと言われると思わなくてきょとんとする。


「もし葵が前を向けて、新しい恋をするなら颯太がいいな、俺は。

 颯太だったら胸を張って応援できる。」


「な、なんで? 伊織はいいの?」


「俺の幸せは、葵の幸せ。

 この先ずっと恋をしないなんて俺のせいでそんなふうにさせたくないよ」


「……」


「それにだってさ、葵はひとり嫌いでしょ? 

 明るくて優しい颯太なら葵を寂しくすることはないと思うから」


 なにそれ。

 わたしがどんなけ伊織が好きだと思ってるの?

 そんな簡単に揺らぐ気持ちじゃないよ。


「わたしは、伊織が伊織だけが好きだよ。ずっと」


 今度はすんなり出てきて自分でも少しびっくりする。

 伊織は少し驚いて、でもすぐに笑って、ありがとうと涙ぐみながら言った。




「海もたのしかったな。でも、颯太のやつほとんどひとりで焼きそば食べやがって」


 海の話になり、あの頃聴いた波の心地よい音がイメージされる。


「それ、まだ根に持ってるの?」


「あたりまえだよ! 

 海で食べれる焼きそばはそのときだけじゃん?」


「あはは。相変わらずだね、伊織は」


 こんな風になっても変わらないで話してくれる。

 そんな伊織の優しさがどうしようもなく好きだ。



「あと、葵に好きって言われたの正直めちゃくちゃうれしかった。

 俺、言うつもりなかったから」


「……」


 言うつもりなかったってどういう意味だろう?

 すると、わたしの疑問を読み取ったように話す。


「彼氏にはなれなくてごめん。嫌だろ? 

 彼氏がこの先いなくなるなんて。

 だから、俺はこの関係に名前なんて付けたくなかった」


「……わたしのため、?」


 たしかに、関係に名前を付けてしまったらきっとわたしは前に進めなくなる。

 一生彼氏つくれなくなる。

 いまでも当分はつくれないと思うけど。

 ずっと、引きずってしまう。


 でも、この先もし好きな人ができても、伊織は特別な好きな人というのは変わらない。


 全部わたしのためだったんだ、と知る。




「でも、いちばんたのしかったのはやっぱり?」


「「花火大会!」」


 ふたりで声を合わせて笑いあった。


 わたしたちやっぱり同じこと思ってた。

 花火大会。めちゃくちゃたのしかったな。

 もう一度あの頃に戻りたい。



「花火大会の金魚すくい、俺めちゃくちゃ上手かったよな?」


「それ自分でいう?」


「ほんとのことだし!」


 伊織は空の星を眺めながら、明るい声を出す。

 最後までわたしを笑わせようとしてくれている。




「あと、花火。俺、一生忘れない」


「……わたしも」


 あれはいちばん忘れたくない想い出。

 めちゃくちゃ綺麗だった。

 もうたぶん同じ花火は見られないんだろうな。



 想い出に耽って目線を下に下げていると、名前を呼ばれる。

 なに? と伊織の方を向く。


「お誕生日おめでとう。

 葵のお誕生日を最悪な日にしてごめん」


 ううん、とわたしは首をふる。


「わたしのほうこそ、伊織の未来を閉ざしてしまって……」


 ごめん、ごめんなさい、と謝る。

 いくら謝ったってもう起きたことは取り消せない。

 伊織の未来は戻ってこない。


 しんみりとした顔になっていると、伊織がわたしのことをじっと見つめる。

 そして、手をほっぺにあてて「ほら、笑ってるときっといいことあるよ。って葵が教えてくれたことだよ」とにっこり笑った。


 だから、わたしも頷いて同じように笑った。



 不思議。伊織と出会ってからまだ半年も経ってないのに、数え切れないくらい想い出が溢れてくる。

 このままずっと話していれるくらい。








「伊織はわたしと出会ったことあったんだね」


「え?」


「桜の妖精さんから見せてもらった夢で見た」


 小さい頃、男の子と会ったことは憶えていた。

 話した内容までは思いっきり忘れていたけど。

 それに、わたしはその子の名前を聞かなかったし、転校しちゃったからこの街に戻ってくるとは思ってなかった。



「……すぐわかった。葵、変わってなかったから」


「どうせ、成長してないですよ」


 少しむくれた顔をする。

 そんなわたしに伊織は少しおどけて笑う。



「あの頃から、葵の笑顔が大好きだった。

 俺はあの笑顔に何度も何度も救われた」


 なんでそういうこと普通に言うかな。

 はずかしくて、少し顔を赤く染めた。




「あと、これよかったら読んで」


「手紙?」


 ゆっくりと封筒を渡される。


「そう。どうしても形に残したくて。

 俺からの最期の願いが書いてあるから。

 俺がこの世界から消えたあとに読んでほしい」


 消えるなんて言わないで。

 ずっとわたしのそばにいてよ。


 この願いは叶わないし、伊織を困らせるだけだからわたしは言葉を飲み込んで、ちがう言葉を振り絞る。


「……わかった」


 伊織からもらった手紙は、水色の封筒に入っていた。

 わたしのいちばん好きな色だ。


『わたし、水色が好き。この海みたいに綺麗で透き通ってるものが好きなんだ』


 海に行ったときのことを、憶えててくれたんだ。





「もうすぐ終わりだね」


 伊織が悲しげに呟く。


 時計を見てみると、針はもうすぐ12時を指す。

 つまり、わたしの誕生日は終わりで、伊織はもうこの世界から本当に消えちゃう。


 でも、あと少し。もう少しだけでいいから。

 まだ終わらないで。  

 まだ伊織の隣にいたい。


 そう願っても、わたしの願いなんか無視して時計の針は確実に進んでいく。




「やっぱ時計は止められないな」


 伊織が時計の針を見ながら苦笑する。


 いつの日か伊織が言っていた願いごと。

 やっぱりそれだけは叶わない。


 あのときは、そうなったらいいなって軽く思っていたけど、いまなら強く思う。

 この瞬間を止めて永遠にしてくれればいいのにって。






「あおい」


 優しく名前を呼ばれた瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。

 いままでとはちがう強さで少し苦しいけど、いまはこれくらいがちょうどいい。

 伊織の体温が温かくて心地よくて泣きそうになる。


「葵の人生最期のときまでずっと傍にいられなくてごめん」


「……うん」


「でも、俺の人生最期のときに葵が傍にいてくれてよかった」


 桜の妖精にも感謝しなきゃな、と呟く。



「ずっと葵の幸せだけを願ってるから」


 伊織、ごめんね。

 わたしまだ思ってること上手く伝えられてない。


 伝えないとって思ってもまた涙が頬を伝ってきて、なにも言えない。

 でも言わないと。


『伝えたいことは言葉にしないと伝わらないよ』


 そうだ。

 伊織と過ごせるのはたぶんあと一分もない。

 言わないと。最期に伝えたいこと。


「伊織! わたしのことを護ってくれてありがとう。

 正直言って、伊織がもうこの世界にいないんだって実感ない。だけど、わたしちゃんと前を向くから。

 親に本当は先生になりたいってちゃんと伝える!

 周りのことだけじゃなくて自分のことも大切にする」


 必死で言葉を紡ぐ。


 伝えたいことはちゃんと伝えられた。


 だけど、あと少し。もう少しだけ。待って。

 まだこの温かい腕の中にいたい。

 まだ伊織の鼓動を聴いていたい。

 伊織がまだ生きてるって感じたい。



「いかないでよ……伊織」


 最後にぽつりと出た本音。



 そんなわたしの声を聴くと、伊織は優しく笑って、


「これからもずっと笑ってて」


 耳元で伊織の優しい声が聞こえた。



 気づいたらわたしを抱きしめる力強い腕はなくて、温かい温もりだけがわたしの胸の中に残っていた。

 かすかに甘い匂いを残して。



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