友だち


「みーつけた!」


 屋上の隅でお弁当を広げようとすると上から心地よい声が降ってくる。


「伊織、なんで?」


「葵が教室にいなかったからどこ行っちゃったのかと思って」


 伊織も自分のお弁当をもってお日様のような笑顔でわたしの近くへとやってくる。



「なんでこんなとこで弁当食べてんの?」


「今日は由乃お休みだし、それにわたし、寂しいけどひとりが好きなんだ。

 こういうだれもいなくて隅っこが落ち着く」


 嘘だよ。ひとりが好きなわけない。

 でも、こう言わないと。伊織が気を遣っちゃう。

 伊織はいつもだれかとお弁当を食べている。

 それを邪魔したくない。


 由乃がいないとわたしはお弁当を食べる友だちさえいない。

 自分が由乃以外にクラスで同姓の友だちをつくろうとしないのが悪いのだけれど。

 でも、いらない。

 あとで裏切られるようなら友だちなんていらない。




「じゃあ俺もここで食べよかな」


 わたしの隣に座り、お弁当箱を広げようとする。

 自然な流れにびっくりして、


「え?」


 思わず、お弁当を口に運ぶ手の動きが止まった。


「あ、迷惑だった?」


「いや、全然!」


 伊織はなんで、なにも言わなくてもわたしの気持ちわかってくれるのかな。

 わたし、伊織に救われてばっかりだ。

 わたしもなにかを返したい。



「ねぇ、玉子焼き好き?」


「好き!」


 訊いてみると、即答で返ってくる。


「じゃあ……あげるよ」


 はい、と伊織のお弁当箱の蓋にわたしの玉子焼きをトンと置く。

 たまご焼きだけはわたしが毎日つくっている。

 喜んでくれるといいな。


「え、いいの?」


「一緒にお弁当食べてくれたお礼だよ。

 ほんとはひとりいやだったから、伊織が来てくれてうれしかった……よ」


 自分の気持ちを正直に言ってみる。

 伊織の顔を恐る恐る見てみると、少し目を開いていたみたいだけど「それならよかった」と目を細めて笑ってくれた。


「おいしい! 葵の手料理はやっぱ最高だな!」


「……ありがとう」


 おいしそうに食べてくれてうれしかった。

 でも、わたしの手料理だって言ってないのに。

 変なの。




 暖かくて過ごしやすかった春も終わり、ギラギラとした暑い夏が近づいていた。

 今日も雲ひとつない空に太陽だけが光り輝く。


 もうすぐプール開きの時期になっていた。

 その前にプールサイドの掃除をうちのクラスが頼まれた。

 放課後に掃除するとか正直いってめんどくさい。

 こんな暑い日は、はやく家に帰ってクーラーのきいた部屋で涼みたかったのに。



 プールの中はべつのクラスが掃除してくれたみたいで綺麗だった。

 透き通ってる綺麗な水が太陽の光で反射していて思わず手を伸ばしたくなる。

 こういうきれいなものは昔から好きだ。




 モップを使ってプールサイドをみんなできれいにする。


 始めはみんな真剣に取り組んでいたけど、暑さのせいもあって、だんだんだらけ始めていた。


「……つかれた」


「もう帰ろ帰ろ」

 

 中にはもうモップを片付けて帰っていった人もいる。

 その中には西森さんもいて、クラス委員が勝手に帰っていいのか? なんて思う。





 だいぶ綺麗になって、男子は冷たいプールの中に入って水をかけ合っている。

 まぁ、冷たい水に浸かって涼みたくなるのもわかるけど。


「ほんと男子って子どもよね」


 あんなにびしょびしょになって制服どうするのよ。

 髪の毛まですっかり濡れていて乾いてからじゃないと帰れなさそう。

 絶対お母さんとかに怒られると思う。




「なぁ、葵も!」


 わたしが見ているのに気づいた伊織がこっちに近づいてくる。


「やだ! 濡れたくないもん。

 だから、ここから見てるだけでいいの!」


 伊織の近くのプールサイドにしゃがんで、水に触る。

 ここから見たり、水に触ったりするだけで充分涼しさを感じられるのだから。


「いいからいいから!」


 伊織がぐいぐいと手を引っ張る。

 それとは反対に伊織に離れようと立とうとすると、水溜まりに足が滑って、バランスが崩れる。


「え、ちょ!」


 ばっしゃーん!!!


 大きな音を立てて、わたしは水の中へと落ちていた。




「あおちゃん! 大丈夫?」


 由乃が慌ててこっちに来て叫ぶ。


 最悪。

 髪も制服も全部びっしょり濡れた。


「ごめん、葵! 俺、そういうつもりじゃ!」


 伊織は咄嗟に謝る。

 そういうつもりじゃないならどういうつもりで引っ張ったの? とわたしの中にはふつふつと怒りが芽生えてきて、


「いーおーりー? もう絶対許さない!」


 わたしは伊織の顔に思いっきり水をかける。


「あおいっ!」


 伊織の声なんて無視してプールの中から急いで上がった。

 制服も髪もすごく濡れていて、雫がぽたぽたと落ちる。


 それからすぐに由乃に声をかける。


「……由乃、帰ろ」


「あ、うん」


 由乃が持っていたタオルを優しくかけてくれた。

 幸い、体操服を持っていたからそれに着替えることができた。

 そして由乃になだめられながら、重たい足を引きずるように家に帰った。






「葵、ごめん! ほんとごめん」


 次の日、教室に入ってからずっとわたしの席の前に立って謝る伊織。

 だけど、わたしは無視を続けた。


 知らない。知らない。伊織なんて知らない。

 わたし、昨日お母さんにめちゃくちゃ怒られたんだからね。





 昨日のお母さんを思い出す。


「なにをしたら制服がこんなに濡れるの?」


「ちょっとプールの掃除を……」


「はぁ……。夏だから、洗ってもすぐ乾くからいいけど、もうちょっとちゃんとしなさい! 

 もう高校生なんだから!

 あとあと、ついでだから言わせてもらうけど……」


 それから勉強がどうのこうのって最終的には制服濡れたことと全然関係なくなったんだけど。

 それでも30分は聞かされた。

 お母さん、話し出すと止まらなくなるから困る。

 わたしが悪いから口答えするわけにもいかなく、ただただ苦痛な時間だった。





「葵、課題終わってる? 

 終わってないなら見せてあげようか?」


「由乃ー、ここの問題教えてー」



「葵、よかったら今日お弁当……」


「由乃、一緒に食べよ!」


 こんな感じでわたしは今日伊織を避けまくった。


 その結果、今日一日放課後まで伊織と話すことなんてなかった。

 こんな話さなかった日なんていままでなかったからはじめてのことだった。

 伊織は時々こっちを気にしてくれたけど、わたしは応えられなかった。


 散々謝ってるのに許さないで無視し続けるなんて最低だってわかってるのに。

 こういうときにどうやって話せばいいのかわからない。

 普通に? でも、普通ってなんだ?


 でも、もう帰るんだし、今日はもう話せないな。

 このまま話せなくなるなんて絶対いやなのに、伊織に話しかける勇気はどうしてもない。


 もうわたしのことどうでもよくなっちゃったかな?

 謝ってるのに許さないいやな奴って思ったかな?

 だめだ。どんどんネガティブ思考になってきた。


 廊下から走ってきた由乃の声でその思考は一旦止まる。


「あおちゃん! 伊織くん。ひとりで花壇の手入れしてるよ」


「え、どうして?」


 伊織はそんな委員会も係もやってないはずなのに。


「昨日、プールの中に入って遊んだの先生に見つかって、怒られたみたい。

 それで俺が最初にふざけましたって言ったんだって。ね、颯太くん」


 由乃の返事に横にいた松永くんが頷く。


「そう。俺も手伝うって言ったんだけど、ひとりでやらせてってあいつ言うから」


「……そうなんだ」


 それを聞いて、正直迷った。

 手伝いに行こうかな。

 こんな暑い日に、伊織がひとりで花壇の手入れをしている。


 そう考えてると、わたしの足は既に校庭の花壇の先へ向かっていた。






「大変そうね」


 汗を流しながら、草抜きをしている伊織の姿をみて胸が痛くなる。

 ごめんね、と心の中で先に謝る。


「あおい……」


 捨てられた子猫のようなか弱く、わたしの名前を呼ぶ。

 そこにはいつもの伊織の元気さはなかった。



「手伝うよ、なにすればいい?」


 伊織の横にゆっくりと座る。

 すると、後ろから声が聞こえた。


「俺も俺も」


「わたしも!」


 由乃も松永くんもわたしの後をついてきたのか、笑顔を浮かべて隣に座る。



「みんな、ありがとう!」


 泣きそうになりながら笑う伊織の顔が見れて少しほっとした。





「じゃあ水かけまーす」


 ホースを持ってきて、花壇の花たちに水をあげる。

 水を浴びたお花たちは、太陽の光で輝いている。

 そして、うれしそうだった。




「由乃、見て! 虹だよ!」


 お花に水をあげる。

 ホースの水が太陽の光に当たって虹色に輝く。


「わぁ! きれい」


 ちょっとふざけるくらいならいいよね。

 わたしは由乃としばらく綺麗な水を眺めていた。



 由乃が片付けをしに向こうへ行くのと同時に伊織がわたしの傍へと来る。


「あのさ……葵。昨日は」


 また謝るつもりだな。それはもう散々聴いた。

 だから、わたしはそんな言葉もういらない。


「えいっ!」


 ホースから出る水を少し取って伊織の顔にかける。


「つめたっ!」


 少し濡れた顔の伊織を見ていたずらっぽく笑う。


「昨日のお返し。もう怒ってないよ」


 散々謝ってくれたんだ。

 それに、伊織と話せなくなるほうがいやだって気づいたから。


「ほんと!」


「わたしも水かけちゃったし、今日だってずっと無視し続けちゃった。

 ごめんね」


 そう謝ると伊織はぶんぶんと首を横に振る。


「俺が話しかけても喋ってくれる?」


「うん」


「よかった……」


 そう呟く伊織は一瞬泣きそうに見えた。

 その顔を見て、ごめんね、と心の中でまた謝る。




「水原さん、優しいな。なんなら俺がぶっ飛ばそうか?」


 横から聞いていたらしい松永くんが手をグーにして悪魔のようにほほえむ。



「じゃあ、また今度なにかあったらお願いします」


「もうしない! 絶対しない!」


「あははっ!」


 伊織の必死な顔を見てまた笑みが零れる。

 たのしいな。

 こんなに心から笑えるなんて。






「由乃ちゃん。スコップ貸して」


「いいよ、はい」


「ありがとう!」


 ふたりの会話を聞いて、ふと思ったことを口にする。


「伊織って由乃のことちゃん付けで呼ぶんだね」


 由乃も「そういえばそうだね」と頷く。


 前はたしか佐倉さんって呼んでた気がするけど、あれから仲良くなったのかな。

 そうだったならうれしいな。


「うん。葵の親友だし、なんか由乃ちゃんは由乃ちゃんって感じじゃない?」


「なにそれ!」


 横にいた由乃がおかしそうに笑う。

 伊織が言ってることはちょっとわからないけど、わたしもつられて笑った。


「えっと、やっぱ佐倉さんて呼んだほうがいい?」


「ううん。苗字で呼ばれるよりそっちのほうがいい」


「じゃあ変わらず由乃ちゃんって呼ぶ」


 うん、と由乃が頷く。

 すると、松永くんがいきなり手を挙げる。


「じゃあ俺も由乃ちゃんって呼ぼかな」


 いきなり松永くんが冗談混じりなことを言う。

 由乃はそれを聞いて、ちょっと嫌そうな顔をする。


「颯太くんはやめて! 変な感じするから」


「なんで俺だけ……」


 松永くんがわざとらしく落ち込む。

 その姿を見て、みんなで笑いくずれた。


 わたし、この4人でいるの好きだな。

 みんな優しくて、面白くて、一緒にいるとたのしい。

 あったかい居場所だ。

 なんかふいにそう思った瞬間だった。





「ゴミ捨ててくる」


「わたしもこれ片付けてくるね」


 伊織と由乃が居なくなって、松永くんとふたりになる。

 そういえば、松永くんとふたりだけで話したいことない。


 でも、せっかくなら仲良くなりたいな。

 由乃の塾友だちで、伊織の親友。


 勇気を振り絞って声をかける。



「あの、松永くん。わたしと友だちになってほしい」


「え、俺はとっくにそのつもりだったけど?」


「あれ、そうなの?」


 呆気なく返ってきた答えに少し動揺した。

 でも、驚きと同時にうれしさもあった。

 松永くんがわたしのことをもう友だちだと思ってくれていた。

 それだけですごく心が温かくなった。



「うん。てか、颯太って呼んでよ。友だちならさ」


「わかった。颯太くんね」


 由乃もそう呼んでるし、これでいいよね。

 なぜか、伊織のときのより名前で呼ぶの緊張しなかった。



「改めてよろしくな、葵」


「うん」


 いきなりの名前呼びに少し恥ずかしい。

 流れで握手を交わすことにした。


「はじめてかも。男子の友だち」


 わたしが感激していると、颯太くんは不思議そうな顔をする。



「え、伊織とはちがうの?」


「伊織はなんていうか……」


 わたしにとって友だちっていうより特別な存在だった。

 いつもわたしのことを救ってくれて、わたしにはもうなくてはならない存在だった。


「……親友かな」


 特別っていうのはなんだか照れくさくてちがうことを言ってしまった。


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