桜の妖精さん


「ここわたしの家! 神社なんだ。びっくりした?」


 じゃーん、と見せるように手をきらきらさせる。

 驚いてくれるかな。

 よく友だちを家に連れてくると「すごい!」って言ってくれるから伊織の反応もひそかにたのしみにしていた。

 けど、


「まぁ、うん」


 びっくりしてくれると思ったのに、伊織はなんともない顔で呟く。

 まるで、そんなことはじめから全部知っていたかのように。



「全然びっくりしてないでしょ?」


「バレた?」


 あはは、と伊織が笑う。

 そんな顔を見てたら自然と口が緩んじゃって、わたしも思わず笑みが零れた。


 なんでだろう。

 伊織といると自然と笑える。


 伊織とはだいぶ仲良くなれたし、伊織の前だけならほんとに思ってることを少しだけ言える。






 今日の課題はわたしの大嫌いな数学で、得意だという伊織に教えてもらうために家に呼んだ。



「ここはこっちの式を使って……あ、でも葵はここ先に計算したほうが理解しやすいかも」


 伊織は頭がよくて、教え方もうまい。

 わたしにあった教え方を考えてくれる。

 きっと将来は賢い大学へ行って立派な大人になるんだろうな。


「え、できた! ありがと! 

 伊織は教えるのが上手いね」


 特に苦手な問題だったのにすぐ理解できて、解けた。


「そう?」


 伊織は反対の方向を向くけど、耳が少し赤くなってるのに気づく。


 照れてるのかな。なんかかわいいかも。



「ふふっ」


 思わず笑ってると、伊織がこっちを向く。


「なに笑ってんの?」


「なーんも!」


 たのしいな。嫌いなはずの勉強なのに。

 伊織が傍にいてくれると心が軽くなる。

 だから、思ったことも思ったまんま言える。



「伊織は先生になったらどうかな?」


「え?」


 伊織みたいな気持ちを汲みとってくれる先生がいたら、わたしみたいな児童生徒は救われるだろう。


「教えるのが上手いし、きっと向いてるよ」


「俺より葵のほうが向いてるよ」


 真剣な顔で伊織が言う。

 勉強嫌いなわたしが先生に向いてるとは思えないけど、向いてる、その一言を言ってくれたのがうれしかった。


「……そんなことないけどありがとう」



 それから将来の夢の話になって、わたしは自然と自分のことを話していた。



「わたしね、大人になったらこの神社継ぐことになってるの。

 もう最初から決まってる、運命みたいな? 

 でもね、わたし……」


 言葉を続けようとすると、襖が空いた。






「おや、お友だちと宿題かい?」


 おばあちゃんが買い物から戻ってきたみたいでお菓子を手にもって微笑んでいた。

 伊織はすぐ姿勢を正して「お邪魔してます」と慌てて頭を下げる。


「あのときの男の子かい?」


「え?」


 おばあちゃんの言葉に首を傾げる。

 もしかして伊織のこと知ってるの?

 面識ないはずなのに。



「あのときの男の子って?」


「たしか、あれは葵が……」


 おばあちゃんが話し出そうとすると、伊織が「あの、はじめましてだと思います!」と大声で叫ぶ。


「……そうかい。わたしの勘違いだったかね」


「そうですよ! あはは」


 伊織が苦笑いしている。変なの。

 なにかを隠してるみたいだった。






「桜にはね、不思議な力が宿っとるんよ」


「またその話ー? もう聞き飽きたよ」


 昔の人からそう伝えられてきたらしく小さい頃から、よくおばあちゃんがわたしに話してくれた桜の妖精さんのお話。

 どうせ、おとぎ話かなんかだと思うけど。


 はぁ、とため息をつくと、横で伊織が目を輝かせていた。



「それ詳しく! 教えてください」


「まぁ、きみも……」


 おばあちゃんがなにかを悟ったみたいに優しく笑った。




「願いの強さによっては引き寄せることができる桜の妖精さん。

 おばあちゃんも、一度会ったことがあるんよ」


 なにそれ。わたし、初耳なんですけど。

 いつもはそんなこと言ってないのに。

 おばあちゃん、桜の妖精さんになにを願ったんだろ。


 伊織は真剣な顔しておばあちゃんの話に耳を傾けている。


 わたしも妖精さんと会った話については少し興味ある。

 参考書を見てるふりをしながら耳だけを傾けた。


「おばあさんはなにを願ったんですか?」


「ふふ。なんだったかしらね。昔のことだから忘れちゃったわ」


 おばあちゃんの顔は変わらず、にこにこしている。


「でも、運命は変わらなかったんだよ。

 それはもう変えることができないものなのかもね」


 昔の想い出をなぞるように話すおばあちゃんはどこか哀しそうにも見えた。



「あの、もうひとつだけ教えてください」


「なんだい?」


「おばあさんはいまを後悔してませんか? 

 なにを願ったかは知りませんが、結局運命は変えることはできなかったんですよね」


 伊織はなんでそんなことを訊くのだろう。

 疑問はあったけど、わたしも静かにおばあちゃんの答えを待つ。


「……するわけないじゃない」


 おばあちゃんは静かにそう断言する。



「たしかに哀しいことがあって、自分を責めたりもした。

 でも、いまが幸せで、あのときも幸せならそれでいいって思えるようになったんよ。

 そのときにできる精一杯をやった。だからなにも悔いることはないね」


 伊織はそれを聴いてほっとしたようなうれしそうな表情を見せた。



「どうか、あなたも自分のした選択に後悔だけはしないようにね」


「……はい」


 おばあちゃんはなんで伊織に忠告みたいなことをするのだろう。

 わからないことだらけだけど、わたしはなにも聞かなかった。

 おばあちゃんを困らせるようなことはしたくないから。






 それから課題を終わらせて、わたしと伊織は家の近くをぶらぶらすることにした。

 少し歩いたあと、伊織がぽつりと零す。


「俺、実は、小6までこの街に住んでいたんだ……」


「そうなの?」


 じゃあ、この街のことよく知ってるんだ。

 ぶらぶらしながらここを案内しようかと思ったけど、それは必要ないとわかる。


「親の転勤でさ……。俺はこの街がだいすきだったから、離れたくなかったけど」


 過去のときの気持ちを思い出すように話す。


 わたしもこの街がだいすき。

 わたしの家は神社だし、転勤なんてないと思うけど、もしあるとしたらわたしも絶対離れたくないって思う。


「でも、戻ってこれたんだよね」


「うん。転校する前、ある子に出会って、その子が俺には決められたものに抗うことを最後まで諦めてほしくないって言ったんだ」


 抗うことを諦めない。

 その言葉がわたしの心にも響く。

 わたしははじめから諦めているけど、抗うっていう選択肢だってあるんだよな。

 なんて、自分の将来について思う。


「だから、俺は自分の気持ちを親に正直に話した。

 そしたらさ、どうなったと思う?」


「え?」


 急に質問されて、戸惑う。

 わたしがわからないという顔をしていると、伊織は空を見上げて笑う。


「がんばるって言ってくれたんだ。

 また戻ってこれるようにできる限りの努力はするって約束してくれた」


「じゃあ……その子のおかげなんだね」


 

 その子がいなかったら、伊織はこっちに戻ってくることはなかったかもしれない。

 そうすれば、わたしと出逢うことなんてなかった。

 わたしもだれかわからないその子に感謝したくなった。






「うん! その子が俺の初恋だった」


 伊織の一言で相手が女の子だってことを知る。

 わたしも感謝するべきなのに、少しモヤモヤして、いままで感じたことのないような変な気持ちになった。

 なんだろう、これ。


「伊織はいまでもその子のこと……」


 気づいたら声に出ていて、咄嗟に口を抑える。

 でも、伊織の耳にもちゃんと届いていた。


「……好きだけど、好きじゃないよ」


 言っている意味がよくわからなかった。

 好きだけど、好きじゃないってなに。

 結局、どっちなの?

 心に浮かんだ疑問はあったけど、奥底に沈めた。







 外を歩いていると、あの桜の木に出会う。

 おばあちゃんが言っていた桜の木だ。



「桜の妖精さんなんてほんとにいるのかな?」


 桜の木を見上げて問いかける。


 おばあちゃんが嘘ついてるなんて思ってないけど、現実的にはありえない話だ。

 漫画、アニメの中の世界じゃないんだから、簡単には信じられない。


「いるよ」


 伊織が桜の木にゆっくり手をあてて言う。


「え? なんで?」


 なんでそんな断言できるの?

 なんでそんなまっすぐな目で言うの?


「……だって、そう思ったほうが夢があるじゃん!」


 それだけ言って、伊織はまた歩き出す。


 その後を追う前に桜の木をもう一度見て、伊織がしていたようにわたしもこっそり手をあてる。


『運命なんて変わらない。変えられないんだよ』


 いきなり声が聞こえた。

 なにかを諦めたような哀しい声。

 それが桜の妖精さんかはわからないけど、ちょっと怖い。


「葵、どうした?」


 わたしがついてきてないことに気づいた伊織が振り向いてこっちを見る。


「いや、なんでもない!」


 忘れよう。さっきのはきっと幻聴だから。

 そう言い聞かせて、伊織の隣まで早足で駆けていった。




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