神里から昼休憩を言い渡された二人が、千郷たちのことを外まで見送ってくれることになった。


 朱里は珊瑚色の長い髪を払い、千郷の方に振り返った。


「ちーちゃん、本当に気を付けてね? 遠慮して何かあったら嫌だからね」


「うん……ありがとう、朱里。あなたもね」


「私はたぶん大丈夫! 兄様もいるし私だって、忍びの里にいた頃は忍術の修業をしてたんだから」


 巫女服で胸を張った妹の額を朱月が指ではじいた。


「お前ってヤツは……サボってたヤツが何を偉そうに。お前が身につけたのはせいぜい、物陰に隠れることと足の速さだけだろ。嫌なことから逃げるためにしか使わないくせに」


 兄の指はじきでよろめき、朱里は涙目で額を押さえた。


「いったー!!! 兄様は自分が馬鹿力なのを自覚してよ! 修業のし過ぎ!」


「お前に忍耐がなさすぎるんだ」


 朱月は大きな手のひらを妹の頭の上に置いた。呆れた様子で話してはいるが、瞳は優しい。


 彼は千郷と目を合わせるようにわずかに屈んだ。


「青一郎だけでも大丈夫だと思うが……何かあったらすぐに言うといい」


「朱月さんまで……ありがとうございます」


 赤い髪に瑠璃色の瞳を持つ兄妹。千郷とはまた違った神秘さがある。


『朱里はアレだが、朱月は落ち着いている。村のことを相談するのにいい相手なんだ』


 神里は千郷の前でそう話したことがある。朱月のことを心底信頼しているようだった。


「……千郷さん」


「白夜?」


 玄武と朱月にいじられている朱里を見て笑っていたら、少年がいつの間にかそばに来ていた。隣にはその姉である白里。


 彼は言いづらそうにもじもじしていたが、意を決して声を張り上げた。


「あのっ、ボクにもできることがあったら教えてください! ……神里様のおっしゃる通り、腕はたちませんが……」


 音量がブレブレで引き気味になってしまったが、彼の優しさが嬉しい。


 千郷はほほえんでうなずいた。


「気持ちだけでも嬉しいわ。それに白夜には大事なお仕事があるんだから、私もそちらを優先してほしいと思ってるの」


 千郷がほほえみかけると、白夜が名前の文字とは正反対に真っ赤になった。隣で白里が口の端を上げて笑っている。











 昼食は千郷が皆に振る舞ってくれることになった。


 畑で野菜を収穫し、冷たい井戸水で洗う。白夜は女の童たちに混ざって手伝った。


 真っ白な着物の裾を濡らしながら、彼は無邪気に片目をとじた。


「冷たいけど気持ちいいな! 子どもの頃を思い出すよ」


「子どもの頃?」


 黄玉がコマイを洗う手を止めた。


 白玉は白夜の後ろに回って裾を上げ、黒玉が腰紐を使ってたすき掛けにした。


「あ……ありがとう。昔はたすき掛けもなかなかうまくできなくて、姉さんや村の女の人たちに教えてもらったんだ。いっ今は自分でできるからね!?」


 白夜は頬を染め、それを見られないように腕をブンブンと振った。そのせいで雫が飛び散り、女の童たちがキャッキャッとはしゃいだ。


「……あ、ごめんごめん」


「いえ。今度は川で遊びましょうね」


 紅玉は洗い終わった野菜をざるに上げて笑った。


「白夜様は昔にもこのようなことを?」


「うん。僕がいた村は女の人が多くて僕は皆に混ざって食事を用意したり、洗濯をしていたんだよ。まぁ今もなんだけど」


「白夜様が作るお食事はとてもおいしいと、神里様がよくおっしゃってますね。青玉も食べたいです」


「青玉も? いいよ。今度ウチにおいでよ」


 白夜は嬉しそうに歯を見せると、拭いた手で青玉の頭を勢いよく撫でた。そして明後日の方向へ向き、目を細めた。


「……青玉は朱里みたいにとんでもない味変をしないだろうし、作り甲斐がありそうだよ」


「朱里様……ホグの粉ですね」


「そう、いつも持ち歩いてるヤツね」


 白夜は青玉と顔を見合わせると大笑いした。青玉もとろんとした丸目を細め、”ふふ~ん……”と鼻を鳴らした。






 青一郎は千郷の護衛のために家に寝泊まりした方がいいんじゃない? と言ったのは朱里。その顔は心配しているというより、おもしろがっているようで。口元は隠しているが目が笑っている。


 食事を終えた彼らは食後のお茶をすすっていた。白夜と白里の姉弟は食事を終えるなり自宅へ戻った。


 しかし、青一郎は朱里の言うことに首を振った。


「俺は千郷が嫌がることはしたくない。お前のことは心配だが、お前の領域に常に入っているのは違うと思う」


「兄様……」


「お前の家のそばに掘っ建て小屋でも建てて、いつでも駆けつけれるようにするよ」


「掘っ立て小屋!?」


 そんな仮住まいはさせられない。


 千郷はうつむいて顔を赤くした。


「わ、私は嫌ではありません……兄様さえよければ我が家にいらしてください」


 こんな大勢の前で嫁入り前の娘が大胆なことを言うのは恥ずかしかった。だが、彼のことを拒絶する気持ちがないことを知ってほしかった。


「それならそうさせてもらうよ」


 青一郎は爽やかな笑顔と共に提案を受け入れた。


「大丈夫なのか? 理性保つ?」


 朱月は青一郎の肩に腕を回し、皆に背を向けた。


「お前は人をなんだと……」


「幼い頃からの……なんだろ」


 青一郎は口をとがらせると朱月の腹に軽く拳を入れた。”いてぇよ”と文句をつけたが、朱月には大して効いてないようだ。










 千郷は青一郎との間に女の童を挟んで眠りについた。緊張したが、いろいろありすぎて疲れているせいで眠りにつくまで一瞬だった。






 目をとじ、千郷の膝枕で眠る青一郎。恋人同士のようなひと時。


『好きだよ、千郷』


『兄様……私もです』


『恋仲になったんだ、”兄様”はさすがに卒業させてくれよ』


 夢でもいい。彼と甘い時間を過ごしたい。千郷が彼の髪を梳いていると、突然彼の表情が歪んだ。目元も口元も苦しそうにぎゅっと寄せられる。胸元を掴んでかすかなうめき声を上げた。


『兄様……?』


 彼の頬を撫でた。痛みが和らぐように。


 胸元の手にふれ、そっと握るとぬるっとした感触がした。


 なぜ? と自分の手を見つめたら、まるで血のような赤色に染まっていた。否、血濡れていた。


 青一郎の手は床に転がり、胸からは血があふれていた。


『兄様……!』


 自分の手が真っ赤になるまで押さえたが血は止まらない。


(嫌だ……兄様……!!)


 涙が止まらない。すると、視界に落ちてきた黒髪の異変に気がついた。


 毛先から黄色へ、むしろまぶしい黄金色に変わっていく。


 青一郎と千郷の目の前に透明な大きな岩が現れた。反射して映ったのは、変わり果てた姿の自分と兄だった。











 次の日の朝。千郷がいつも通り野菜を時の女神に供えに行こうとしたら、青一郎がついてきた。


「まだ朝早いんですから。兄様はゆっくり寝ていてください」


「護衛なんだから寝こけているわけにいかないだろ」


 野菜を盛った籠は青一郎が持っている。歩いている途中で自ら荷物持ちになってくれた。


 本当は昨夜見た夢が引っかかっているから、彼にはむやみやたらに外出してほしくなかった。しかし千郷が外に出れば彼は自ずとついてくる。彼女も家にこもりっきりになるわけにはいかなかった。


 聖域に到着すると、ご神体に野菜を供えて二人でお祈りをした。


 今日は珍しく青一郎が千郷の作った野菜をつまみぐいしようとしない。いけないことではあるがそれがないと寂しい、と感じる自分に驚いた。


 自分はそれほどまでに彼を。


 彼への想いを自覚して胸が高鳴る。顔に出てなければいいけど……とうつむくと、彼の手が伸びてきた。


 しなやかな手がゆっくりと千郷の頬をなぞり、髪を耳にかける。その瞬間に彼女は勢いよく顔を上げてしまった。


 誰よりも慕っている彼の手が、自分の耳をなぞって優しい顔で見つめている。瞳は朝焼けの空よりも柔らかな色合いをしていた。


 こんなことをされてはダメだ。顔に熱が集まっているのを見られてしまう。しかし、再びうつむくことはできなかった。


「……これを、お前に」


 顔を上げる前に耳の上に何かを挿し込まれた。


「やっぱりよく似合ってる。俺の目に狂いはなかったな」


 挿し込まれたのは棒状のもの。それにふれると、青一郎がうなずいた。そっと外して顔の前に持ってくると、それは美しい白木のかんざしだった。よく見ると乾燥させた花びらが舞っている。


「綺麗……」


「約束のかんざし。アザリーの花を乾かして貼り付けて、うわぐすりで仕上げた。どう?」


「嬉しいです! ありがとうございます……」


「うん」


 朝日に照らされた青一郎は目を細めて笑った。明るい顔は昼間の太陽よりもまぶしい。


 千郷は再びかんざしを見つめた。


  何度か彼からかんざしをもらったことがあるが、一番のお気に入りになりそうだ。


「……千郷」


 名前を呼ばれ、顔を上げたら彼の腕の中にいた。かんざしを大切に握る手ごと。抱きしめる腕の力は瞳の色のように優しい。


「好きだよ」


 青一郎の告白に力が抜けた。


「俺にとってこの一族で……いや、この世で一番大切な女はお前なんだ。千郷」


 嬉しい。


 死んでしまいそうなほど嬉しかった。青一郎から見たら自分なんてまだまだ子どもだろうと思っていたから。


「お前はどうだ? 千郷」


 青一郎の声が頭の上から降ってきてどきんとした。


(私も……)


 あやうく自分の心の内をさらけだしてしまうところだった。


 今朝見た夢がちらつく。そのせいで彼を抱きしめ返すことことも、気持ちを伝えることもできなかった。


 自分の恋が、破滅の引き金になってしまうのではないかと。


「どうした? 俺はお前がいつも俺のことを見ているのを知っているぞ」


「……!?」


 彼のことを見上げ、慌ててうつむく。きっと顔から火が噴き出ているに違いない。


 そんなに彼のことを見つめていたのだろうか。彼への想いを外に出さないようにしていたつもりだが。


 すると彼は、子どものような得意げな表情で鼻を鳴らしてみせた。


「俺はお前の兄様だぞ? お前のことで知らないことはないよ……それ以上に見ていたのは俺だけどな」


「え?」


 最後の一言が聞こえず聞き返そうとしたら、顔がぐっと近づいた。


 初めて会った時はあどけない少年だったのに、今は面影を残しつつ立派な青年になった。誰よりもかっこいい。


 もちろんいいのは顔だけではない。彼のいたずらっぽい、大人になっても無邪気をのぞかせる性格が好きだ。


「お前の気持ち、いつか聞かせてくれよ」


 唇がふれそうな距離で青一郎がほほえむ。千郷は拒否することも瞬きをすることもできず。無言で何度もうなずくことしかできなかった。

 





「あらら白夜、派手に失恋しちゃったね」


「うっ……」


 朱里と白夜は御神体を綺麗にしようと、掃除道具を持って聖域に訪れた。先客がいるのに気づき、しかもそれが青一郎と千郷だと分かると、二人は低木の影に隠れて覗いた。


 朱里なんかは巫女服が汚れるのも構わず、茂みに顔を突っ込んで千郷たちのことを見入っている。


 青一郎が千郷が育てた野菜をつまみぐいするのは有名なので知っている。今日も食べるのか……と祭壇の野菜を見つめていたら、彼は千郷のことを抱きしめた。


 千郷はこちらに背を向けていて表情は分からないが、いい雰囲気であることだけは分かる。


「ちーちゃん、青一郎さんみたいな人が好みなんだ」


 朱里は低木から身を乗り出しそうになりながら、二人のことを食い入るように観察している。


「何をのんきなことを……」


 心に大打撃を受けた白夜は声の張りを無くしていた。


 これ以上、青一郎が千郷を抱きしめているのを見ていられない。低木の影に沈むと、目の前の光景をかき消した。


 青一郎は白夜が敵う相手ではないのは分かっている。身長が高くて優しくて、顔が整っている彼は若いおなごたちの憧れの的。千郷だって惹かれるだろう。


 もう恋なんてしない……。こんな思い、二度としたくない。


 女々しいことを考えていたら、朱里が白夜の背中を勢いよくひっぱたいた。


「誰かのこういうのっておもしろいよね! 白夜が大好きなちーちゃんと話す時にあたふたしてるのを見るのも好きだよ?」


「おもしろがりやがって……」


「事実おもしろいからでーす」


「このやろー!」


「慰めてるんだけど?」


「どこがだ! バカにしてるだろ!」


 人が傷ついている時に茶化す朱里を見ていたら、不思議と大きな声が出た。


 もしかして彼女なりに元気づけようとしているのだろうか。


「ねぇ、二人の雰囲気ぶち壊しそうだから黙って??」


「お前のせいだろ……!」


 どうやら特に深い意味はなかったようだ。彼女らしいっちゃらしいが。


 悔しくなった白夜はせめてこれだけは、と恨みをこめて腕を小突いた。


 ついでに思いついた悪態を吐き出しておく。


「……辛党女には縁のない現場だろうね」


「白夜がモテない理由が分かった」


「なんでだよ!」

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