3
この日も千郷は採れたての野菜を持って時の女神に捧げた。
しばらくすると青一郎がやってきて彼女の野菜をつまみ食いし、姉の百里に頭をはたかれた。昨日と全く同じ、というかほぼ毎日繰り広げられる光景だ。
「あんたは全くもう……」
「百里さん、私は大丈夫ですから」
「ごめんね千郷ちゃん……。
「はい!」
百里の提案に千郷は嬉しそうにうなずく。ちょうど、秋用に着物を仕立てたいと思っていたところだった。
あざやかな紅葉色か、美しい桔梗色か。彼女に頼めば想像の何倍以上もの素晴らしい染め物を仕上げてくれるだろう。
一人取り残されそうになった青一郎は、姉の肩に手を置いて割り入った。
「じゃ、じゃあ! 俺の新作かんざしも千郷にあげるよ。姉ちゃんの染物で仕立てた着物に合うように作るからさ」
「いいんですか……?」
青一郎の提案に百里がうんうんとうなずく。
愚弟だとののしることも多いが、認めているところはあるようだ。
「いいに決まってるじゃない! コイツはタダ食いのバカなんだから」
千郷は職人姉弟のやりとりに笑いながらも嬉しくなった。百里の美しい染物で着物を仕立てることも、青一郎にかんざしを作ってもらえることも。
きっと青一郎は普段のお礼とかそういう理由なのだろうけど、好きな人から贈られる装飾品は、千郷にとっては特別だ。
「今度のかんざしは白木のシバミを使ってみようと思ってるんだ。あと乾燥させた花も。千郷、お前は何色が好きなんだ?」
「色……」
突然聞かれて千郷はアゴに手を当てた。家にいる女の童たちの名前の色がすぐに思い浮かんだ。どれも好きだがどれかと聞かれたら。
「白……。白が好きです」
千郷の答えに二人は固まり、つい百里が本音をもらしてしまう。
「それは色なのかしら……」
「野暮なことを言うんじゃねぇーよ姉ちゃん。千郷が好きって言ってんだからいいだろ。それに白と一口に言っても二百色あんだよ」
「そっ、そうね。私も白はいいと思う! 白い生地を見るとどんな色に染めようかってワクワクするもの」
「染物師の職業病かよ……。まぁ、とりあえず分かった! 白だな。実を言うと使ったことない色だが挑戦してみるよ。楽しみにしててくれよ」
「ありがとうございます! 兄様」
嬉しい。青一郎が自分のためにかんざし作りに取り掛かってくれる。しかもまだやったことがない方法と材料で。
千郷の顔がぱぁっと明るくなると百里はわずかに目を見開き、妙に何度も深く頷いた。
「それじゃあ……千郷ちゃん。青一郎と染料探しに出かけて来るわね」
「は……はい! お気をつけて」
「じゃーなー千郷。またな」
「はい……兄様」
彼を見送る彼女の表情は寂しそうだが、見つめる瞳からはあふれ出しそうなほど愛しさが詰まっていた。
二人が山に向かったのを見送り、千郷もそろそろ家に戻ることにした。きっと女の童たちが起きて朝食を準備している。
大きな岩に頭を下げて後ろを振り返ると、白い着物と青い袴を身につけた少年が固まっていた。
丸みを帯びた髪型と大きな瞳。姉によく似た顔立ちで、少年にしては可愛らしさがある。
「白夜? おはよう」
「お……あ……おはようございます!」
音量調節ができていない大きな声で挨拶をされて驚いたが、千郷は柔らかく微笑んだ。
「今日は随分と早いんだね。一人?」
「は、はい。早く目覚めてしまって。朝日を浴びながら時の女神様にご挨拶に伺いました」
次期神里候補である覡の白夜は、日中はほとんど神里と行動を共にしている。そこには同じく候補の朱里も。そのどちらとも一緒でないのは珍しい。
それ以上会話が続くことはなかったので、千郷は気まずくなる前に"じゃあね"と短く言って手を振るとその場から去った。
「……はあぁぁぁ~…………」
千郷の後ろ姿を見送った白夜は盛大なため息を吐き、その場に座り込んで顔を覆った。
驚いた。千郷が早起きで、毎日時の女神に野菜を供えることは知っていたが、まさかバッタリ会うとは思っていなかった。心の準備をしてなかったので心臓はバクバク、話し方も不自然でまともに目も顔も合わせられなかった。
どもってしまって気持ち悪がられなかっただろうか。寝癖も大して直してこなかった。
(今日も千郷さんは綺麗だったな……)
ご神体の前で手を合わせる彼女の姿は美しくて。朝日を浴びた後ろ姿は神々しかった。
彼女が何を祈っていたのかは分からない。ただ、その時の彼女には声をかけてはいけない雰囲気を持っていた。
白夜は手をずらして目だけ出すと視線を落として小さく息を吐いた。
(僕なんてずっと……いや、永遠に想いを伝えることなんてできないだろうな)
いくら好きでも千郷とは心の距離が遠いまま。どんなに近くで話しても彼女は手が届かない場所にいると、昔から感じていた。
青一郎は森で木の枝を拾っていた。
シバミの木はこの時期になると樹皮を真っ赤にさせ、枝が落ちていく。落ちている枝はどれも大人の手足くらいの長さと太さだ。
真っ赤な樹皮は簡単に剥け、中からは白い木肌を見せる。以前から気になっていた木だが、かんざしの材料として目をつけたのは最近だ。
枝を拾っては背負った籠に放り投げていく。地面を見て枝を探している間も、思い浮かべるのは愛しい人の顔。
妹だとずっと思っていたが、あんなに美しく成長していく千郷を見て心が揺らがないわけがなかった。
しかし、想いを伝えるわけにはいかない。彼女のことを思う少年のことを知っているからだ。おそらく自分と同じくらい長い期間。
(歳の近い白夜と結ばれた方が幸せだろうか……)
千郷の気持ちは知らない。彼女が誰かに恋うる姿はなぜか想像できなかった。隣に誰かが並ぶ姿も。
そろそろ身を固めたらどうだ、と神里には言われている。姉も結婚するしめでたい話が続くのは悪くないだろうと。
だが弟のことも心配だ。いつも弓作りに没頭して一日が終わってしまう、誰よりも職人気質な弟の
両親は青二郎のことは自分たちが見てるから安心しなさい、と言ってくれている。だが、二人には早く楽になって子どものことは気にせず生きてほしいと思う。三人も育てたのだ。そろそろ二人だけで仲睦まじく過ごすのもありだと思う。
『青二郎にはそろそろ独り立ちしてもらわねばな。いつまで経っても引きこもらせておくわけには』
神里は以前から青二郎のことを気にかけていた。というよりは外に連れ出したがっているようだった。取りに行ける距離なのに自分で材料を採取しない内は一人前の職人とは認められない、と彼女は厳しい顔をする。
自分たち家族が甘やかし過ぎたのだろうか。色白で線が細くて、幼い頃は少女にしか見えなかった末っ子が可愛くて仕方なかったのだ。だからよく遊んでやったし、おやつも分け与えた。
青一郎は背負っていた籠を地面に下ろして草鞋を脱ぎ、シバミの木に足をかけた。玄吾の手足のように太い枝を選んで足をかけ、するすると登っていく。周りの木よりも一回り小さな木なのであっという間にてっぺんにたどり着いてしまった。
太い枝に腰かけると、近くにぶら下がっている白い木の実を取った。親指の第一関節ほどの大きさで楕円形の形をしたそれは、中に甘い実が入っていて食べられる。硬いが、力のある男なら素手で割ることができる。毎年この時期は落ちているシバミの実を大量に拾った子どもたちが、狩りから帰ってきた玄吾の周りに群れているのを見かける。
自分が子どもの頃も、幼い時から筋肉バカだった友に割るのを頼んでいた。しかしいつからか自分でできるようになった。
手の中でバキッと派手な音を鳴らすと、綺麗に真っ二つになった殻を下の籠に入るように落とした。堅い殻はかんざしの装飾に使えそうだ。軽く彫って模様をつけ、色をつける。きっと娘たちの目をたちまち奪うだろう。
(千郷に似合うかんざしを……楽しみだな)
想い人に髪飾りを使ってもらえる。そう考えるだけで浮足立つ。
シバミの実を口に放り込むと、まだ熟しきってないのか甘さの中にほろ苦さを感じた。
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