千郷たちの家にも猪肉を届けられ、女の童たちと共にソミ煮込みにして食べた。


 ソミとはこの村に古くから伝わる調味料で、ゆでたダルの実を塩と合わせて発酵させる。淡白なダルの味は発酵させることで、水で薄めたり他の物と一緒でないと食べられないほど濃い味になる。


 他にもダルの実を蒸して搾り取った汁をニカリの葉の汁と合わせて固めてタウカという柔らかい食べ物を作ることもある。搾り取った際に残ったダルの実のカスは味はないが栄養価が高く、肥料にもなる。


「今日の猪肉は一段と脂がのっていて美味しいですね!」


「うん。白玉はくぎょくの味つけもちょうどよくて美味しいよ」


 千郷が口の横についたソミを取ってやると白玉ははにかんだ。その横で青玉は頬を膨らませながら鍋から新しく煮込みをよそっている。食べることが好きな彼女は、普段ののんびりとした性格からは考えられないほどもりもりと食べている。


「玄悟様たちは本当に狩りの達人ですね。いつか黒玉こくぎょくもお供して鹿や猪を狩ってみたいです」


「まぁ……黒玉は勇ましいね。そうだね、お願いしてみようか」


「そうしているのですが、まだ小さいからダメだと言われて肩車をされて終わってしまうのです……。朱月様も隣で笑っているだけですし」


「それは……」


「黒玉がドジをしそうだからだよー。無理しなくても、玄悟様たちが狩ってきてくれるのを待ってればいいのに……」


 青玉はお椀にいっぱい盛ったところでおたまを鍋に戻し、再びかき込み始めた。時々玄米を挟んでそちらもおかわりする。


「青玉みたいに食べるだけが楽しみじゃないの! 黒玉は自然で生きる獣と対峙したい。全力で真っ向勝負したい」


 そう語る黒玉の瞳は、鍋を温めていた炎のようにメラメラと燃え上がっていた。


 千郷は自分のお椀を置くと、黒玉の頭に手を置いて微笑んだ。


「いつか連れて行ってくれるよ。私も一緒にお願いするよ」


「姫様……ありがとうございます! それまで黒玉は、玄武様のように槍で戦えるように特訓したいと思います」


「それはいい! 腕力を鍛えるために薪割りをお願いしようかな」


「お安い御用……って、黄玉! それは当番制でしょう!」


「黒玉の特訓の一環にもなりそうでしょ? ちょうどいいじゃない」


「自分が不得手だからって!」


 ムキになる黒玉といたずらっぽく笑う黄玉の姿に千郷たちは腹を抱えて笑った。











 晩御飯の後、千郷と女の童たちはわらじを作り始めた。畑仕事の合間にもよくやっている作業だ。鼻緒を綺麗な布で作ると、町でいい値段で売れる。

 

 土間に各自で大きな麻布を敷き、その上に座った。


 わらじ作りには長方形の板の先に三本の細長い棒を打ち付けたわらじ台とわら縄を使う。黄玉がわら縄を必要な長さに切っていき、千郷たちがひたすらわらじを編んでいく。


 編んでいくにつれてわら縄からはわらのくずがボロボロとこぼれていく。しかし敷いた麻布のおかげで掃除は簡単に済む。


 各自で黙々と編んでいると、青玉が1つ編み終えて息をついた。


「姫様ー……これで十足目でーす」


「えぇ? 青玉は早いわね……」


「こういう作業は好きなので……」


「青玉は器用だもんね」


 千郷が青玉に微笑むと彼女は嬉しそうに"にへ~……"と笑い、照れ隠しなのか、すぐに次のわらじを作ろうと黄玉からわら縄をもらおうと立ち上がった。


 彼女たち女の童はそれぞれ、得意なことや好きなものがはっきりしている。特に青玉は手先が器用で細かい作業が得意だ。逆にこういった事が苦手な黒玉の分を半分手伝うことがある。


 千郷も自分が今編んでいる分を終わらせるとそばに置き、誰かに話しかけるわけでもなくつぶやいた。


「そういえば……兄様の弟の青二郎せいじろうも相当器用で、弓矢を作る名人だと聞いたことがあるわね……」


「それなら黄玉も聞いたことがあります。青一郎様が愛用しているのは弟君の作った弓だそうですね」


 青二郎は千郷と同じ17歳だが、彼とはあまり話したことがない。そもそも姿を見かけることがないのだ。百里と青一郎の弟だが性格は全く似ておらず、日がな家にこもって弓を作るために木を削っているらしい。


「今日の狩りでは朱月様が青二郎様の弓矢を使われたそうです。少し小さめだけど威力は十分で、山や森を駆けながら使うのにちょうどいいとおっしゃっていました」


 黒玉は苦労しながらわらじを編み終えた。彼女は朱月たちが猪肉を届けにきた時、熱心に狩りの話を聞いていた。


「青二郎は職人気質なのかしら……そんなに素晴らしい武器を作れるなんて」


「黒玉はいつか、青二郎様に弓矢を作って頂きたいです!」


 夢を語るも白玉にわらじのダメ出しをされた黒玉は作り直すことになり、青玉の膝に泣きついた。






 わらじを何足か作り終えると片付けをして風呂に入った。千郷が手ぬぐいで女の童たちの濡れた髪を拭っていると、戸を叩く音がした。


「こんな時間にすまんな」


「神里様。こんばんは」


「いかがいたしましたか?」


 髪を乾かし終えた黄玉が神里を出迎えた。彼女は"土産だ"と言ってフランの実をいっぱいに詰めた籠を渡した。


 フランというのは黄色に橙色の斑点がある甘い果物だ。斑点が多いほど甘みが強い。


 籠ごと受け取ると花のような甘い香りが漂い、黄玉は嬉しそうに神里に座布団を持ってきた。


 同じく髪を乾かし終えた白玉は土間に下りた。甕からひしゃくで水をすくい、土瓶に流し入れて火にかけた。湯を沸かしている間に急須に茶葉を入れ、人数分の湯のみを用意する。その隣で黄玉がまな板と包丁を用意し、フランの実を半分に切って種を取り除き、くし切りにした。


 二人がお茶の用意をしている間に神里は千郷の隣に座ると、手ぬぐいを持った黒玉を手招いた。彼女は嬉しそうにはにかむと神里の膝に座ってお行儀よく手を重ねた。


「まぁ……ありがとうございます」


「構わん。一人では大変だろ」


 神里が黒玉の髪を拭う様子に千郷は微笑んだ。


「お前の黒髪はいつ見ても美しいな。手入れをちゃんとしてるのだな」


「神里様の紫水晶のような御髪も綺麗です! 黒玉の憧れです」


 本当だったら子どもや孫がいてもおかしくない年齢の神里。彼女を見上げる黒玉が屈託のない笑顔を浮かべていることに気がつくと、"こいつめ……"と目を優しく細めた。わしゃわしゃと勢いよく手ぬぐいを動かすと、黒玉がはしゃいで高い声を上げた。


 神里は"この身と魂は神に捧げる"と言って誰とも結ばれない道を選んだ。歴代の神里で既婚者は何人もいたし禁止されているわけではない。


 しかし、この神里は恋にうつつを抜かして霊力を弱めたくないと言って、想いを寄せてくる男に目もくれなかった。


 二人で女の童たちの髪を乾かし終えると夜食の時間にした。


 女の童たちは今日の仕事を終えた安堵感から寝転んだり好きな姿勢でくつろぎ始めた。その様子を眺めながら、千郷と神里は少し離れた板の間で熱いお茶をすすった。


「そういえば白夜と朱里は一緒ではないんですね」


「流石にこんな時間だからな。もう家に帰したよ」


 正座をする千郷と片足を立てて座る神里。


 神里は黄玉が切ったフランの実を口に運ぶと、果汁がついた唇を軽く指で拭った。


「ところで千郷」


「……? はい」


「お前はこの一族の誰よりも美しい。多くの男がお前のことを想っているだろう」


「はぁ……」


 突拍子もない話だが一応褒められているから礼を言うべきか……と迷っていると、神里は湯呑みを床に置いた。そして千郷の顔をじっと見つめるとわずかに声を潜めて早口になった。






「千郷は誰か、想い人がいるか」


 千郷の目が開かれ、膝に乗せた湯呑みを握る手に力が入ったのが分かった。神里は彼女から感情が流れ出すか集中して瞳をのぞき込む。


 神里の髪と瞳よりも濃い紫紺の瞳。輝きはあるが落ち着いた色合いで、まるで盾のような影を持っている。


(やはり無理か……)


 不思議さと神秘さをたたえた瞳は、昔から何も見抜くことができなかった。千郷の頬は微かに色づいたのに、瞳は何も漏らさまいと壁を作り上げる。


 神里に選ばれるくらいの巫女なので人の感情を見抜くのはお手のものだ。


「私には、そのような人はいません」


 千郷がそう口にした途端、彼女の周りに固く高い盾が立ち並んだように感じた。村の長である神里を拒絶するように向かい風が吹き、彼女の髪がわずかに浮いたような気さえした。


「……そうか。今のは気にするな」


 千郷の霊力はかなり強い。神里は気圧されるのに近い"気"を感じ、気づかれないように細長く息を吐いて首を振った。


 神里が湯呑みに口をつけると、袖を引かれる気配がして視線を下げた。


「神里様……久しぶりに時の女神伝説を聞きたいですー…」


「おぉ、青玉。お前は昔話が好きだな。よし、いいだろう。皆こっちにおいで」


 神里に頭をなでられた青玉はコクッとうなずき、他の女の童たちと同じように神里の前に布団を敷いた。彼女たちははしゃぎながら布団の中に入ると目を輝かせ、神里の顔を見つめる。


「今朝も千郷は時の女神様に供物を捧げたようだな」


「はい。採れたての野菜を」


「お前は本当に熱心だね。きっと時の女神様はお前のことを特別見守ってくださると思うよ」


「もし本当にそうなら……嬉しいです」


 千郷も足を崩して微笑んだ。


「……先代の神里のさらにずっと前の、初代の神里が生まれた頃の話だ。時の女神だと名乗る女人を見たのだと。だが、その話にはあまり根拠がない。文献には残さず、口伝として語り継がれているだけ。もしかしたらどこかで話が盛られたり削られた部分もあるかもしれぬ」


 神里も幼い頃に親から聞かされた、御伽噺のような時永一族の歴史。文献が残っていない時代もある。


 彼女は一番そばに寄った青玉の頭を撫でながら、静かな声で語り始めた。


「時の女神だと名乗った女人は大層美しかった。それは人間だとは思えないほどらしい。輝き放つ黄金の髪、空と海よりも透き通った碧い瞳。手には黄金に輝く懐中時計を持っていた。近づきがたい雰囲気を持った時の女神を、初代神里がもてなそうとすると涙をこぼし、その涙があの大きな岩に変わって姿を消してしまった。初代神里は大きな岩を時の女神のご神体とし、それを囲うように屋根を作って祀った。誰が言い出したのかはわからないが毎日、誰かしら供物を捧げるようになった。特にこの村は職人が多い。自分の作ったものを捧げてその日の成果を報告し、これからも精進しますと決意表明をする者も多い」






「……私は職人ではないけど、おいしい野菜を時の女神様にお供えするとこれからも頑張ろうって思えます。村の皆に喜んでもらえるのも嬉しいですし」


「そうだな、千郷の作る野菜は美味くて私も大好きだ」


「ありがとうございます……」


 今朝、青一郎に言われたことが脳内にこだまして照れ臭さが蘇って来る。顔が熱くなってきたが、きっと燭台の柔らかな火で誤魔化せていると思う。


 すると神里が優しい声になって千郷に向き合った。


「さぁ、もう寝なさい。明日も朝早くから畑仕事をするのだろう。ちびたちはもう寝落ちてしまったぞ」


「あら……いつの間に」


「かわいいものだな……一生懸命働いて笑ってよく眠る。本当によい子たちばかりだ」


 それぞれぐっすり眠っている女の童たちを見つめる神里の目は一等優しくて。愛おしそうに柔らかな頬を撫でる様子は母親のようだ。


「神里様は……子どもが欲しいと思ったことはありますか?」


「なんだ? 薮から棒に」


「あっ……すみません」


 生涯、誰とも結ばれないと決めている彼女に不躾な質問をしてしまった。


 彼女はいつも村の子どもや女の童たちを見る目が優しいが、時々うらやましそうに感じられる時があった。


 神里は気分を害した様子はなく、女の童たちの布団を掛け直しながら小さな声になった。


「……あるよ。突拍子もなく襲って来るものだ、あれは。相手もいないのに子どもが欲しいなんて、病気だと思ったこともあるが生殖機能が訴えてきたんだろう。今しか使えないぞ、って」


 短く語った彼女の横顔は、投げやりと仕方ないという感情が相まって寂しそうだった。しかし千郷と目を合わせると目を細めた。


「だから千郷。お前は好きな男ができたら後悔しない内に結婚しなさい。子どもも早い内がいい」


「神里様は後悔なさってないのですか……」


「少しはしてるさ。頑なに結婚するのを拒否しなければよかったとか。でも、それも人生だ。様々な選択の上で人生は成り立っている。その選択に後悔しようが正解だったと喜ぼうがどちらでもいい。全部ひっくるめて、そういうのが人生だと割り切っているのさ」


 やはり歳を重ねると達観するのだろうか。後悔していると漏らしたのに彼女の表情は晴れやかだった。


(好きな男の人か……)


 妹として見てくれているであろうその人の名前は、たやすく口にはしたくなかった。

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