物の怪祓いの御仕事

九十九一

男一人女二人

 四畳半の一室。

 ちゃぶ台に書棚、それから布団を敷いてしまうと床面積の2/3を占拠してしまう、

この人間が健康で文化的な最低限度の生活を送ることができる、最低限の空間に男女が三人。


 一人目は口にするまでもない。

 この私、四畳時半の王として君臨するモノである。我が領内で起こりうるあらゆることは私の独断と偏見を持って裁定される。

 部屋に紛れ込んできた哀れなカナブンを、何の気の迷いか私が忌々しきGだといえばそれはGなのである。誰がこの冤罪を立証できようか。

 つまり何が言いたいかというと、この四畳半の中で私が一番偉いのである。

 しかし悲しきかな、誠に不本意ながら一番偉いからといって、実権を握っているかといえばそうではない。いつの世も頭はお飾りだと相場が決まっている。

 四限目の講義を終え帰宅した私の目に飛び込んできた現実は、私の強靭な精神を以てしてもいささか受け入れ難いものであった。

 王の留守中に一体何が起こったのか、誰か説明してはもらえないだろうか。



「少し理解が追い付かないのですが、そちら御方は一体?」


「ちょいと古い知り合いから芋焼酎を貰ってな。鹿児島の逸品だぞ、鹿児島」


「焼酎に敬称を使うわけがないでしょうが」


 山田さんは納得しかねる様子で、「それならこっちか?」と、これまた大きな一升瓶をどこからともなく懐から取り出した。いったいどこにそんなスペースが。


「これまたちょいと古い知り合いから泡盛を貰ってな。沖縄の逸品だぞ、沖縄」


「それでもないわこの呑兵衛さんが‼」


「のんべいさん? 余の名は山田さんだぞ」


 そんなこと知っとるわい。

 二人目は口にするのも忌々しい。

 隣人の山田さん、我が安息の地に土足で踏み入り、領内を我が物顔で闊歩する謎多き美人なお姉さんである。

 私もこの四畳半に越してきたばかりの頃は、美人な隣人さんというなんとも美味しいシチュエーションに、あんなことやこんなこと、破廉恥極まりない想像を掻き立てられたものである。しかしそんな旨い話が現実にあるわけもなく、山田さんの化けの皮が剥がれるのも時間の問題であった。

 というか、越してきたその晩に事件は起こった。

 なんと隣人の美人なお姉さんが一升瓶を片手に扉を蹴破り、我が新居に土足で踏み入ったのである。あまりにショッキングな出来事に唖然とする私を尻目に、べろんべろんに酔っぱらった山田さんは一人宴会を開始してしまったのである。

 訳の分からぬことを喚き散らし、罵られ、笑い転げ、泣き叫び、挙句の果てに新居に吐瀉物をまき散らしたところで──部屋の片隅の方で、生まれたて小鹿のようにブルブル震える私をひとり残して山田さんは我が家を後にした。

 翌朝我に返った私は、昨晩の愚行を抗議するべく右隣の扉を叩いた。

 気怠そうに現れた山田さんに昨晩の惨劇を嘘偽りなく熱弁したところで、山田さんは一切の悪びれる素振りを見せることなく一言、「記憶にない」と。

 伊勢湾の如く広い心と大山の如く大きな器を持つ、まさに現世に舞い下りし釈迦と親しみを込めて皆がそう呼ぶこの私でさえ、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

 私はあらゆる理論武装を以てして、目の前で欠伸をするこの女を叩きのめしてやろうと猛攻を仕掛けた。沸点上昇によりに真っ赤に染まった私の顔を見た山田さんは、「なんだかかよくわからないが、すまんな。これで許してニャン」と言って、私の口に接吻した。


ファーストキスはレモンの味がすると誰かは言った。

レモンにしてはいささか苦かったが、何はともあれ──許す。


閑話休題


「ですから、私が聞いているのはその芋焼酎でも泡盛のことでもなくて」


 でもなくて?


「ほらその、そこで横になっている。そこの彼女のことを聞いているんですよ」


 どうして彼女がこんなところにいるのかと。


 山田さんは大切に抱えていた芋焼酎の栓を恭しく開けると、焼酎グラスに注ぐことなく、そのままぐびぐびと音を立てながら直接胃に注ぎ込んだ。

 いくら酒豪と名高い薩摩の人間であっても、この豪快な飲みっぷりを目の当たりにすれば卒倒するに違いない。

 みるみるうちに酒嵩は減っていき、あっという間に一升瓶を開けてしまう。

 大事なことなのでもう一度言っておこう、一升瓶をである。

 ぷはぁ~とご満悦なご様子で、空いた酒瓶に頬擦りしている呑兵衛は、さっきまでのもったいぶりがまるで嘘であるかのように簡潔明瞭に答えた。


「道で拾った」


 はて?

 今なんと?


「ちょっと何を言っているのかわからないのですが」


「道で拾ったといっておろうが」


 これは一体なんの冗談だろうか。

 センスの欠片もない。微塵もない。


「つまり、そこの女性を道で拾ったと?」


「つまりも何も、最初からそうだと言っている。このお馬鹿さんが」


 四畳半で起こる一切を私の権力を以てして不問に処すと約束しよう、だからそこで気分良く酔っぱらっている女を、勇猛果敢な勇者よどうか一思いに切り伏せてくれ。


「あれだけ命あるモノだけは持ち返って来ないでくださいとお願いしたのに、犬猫を飛び越えて人間ですか⁉ 見て下さいよこのガラクタの数々を‼」


 怒りに身を任せ押入れを開けたところで私は激しい後悔に襲われた。


 ──がらがら、どっかん。


 勢いよく襖を開けた反動で絶妙なバランスで保たれていたガラクタの山が決壊。

 濁流の如く怒涛の勢いでガラクタが四畳半に雪崩れ込んできた。

 一瞬の出来事である。

 逃げる暇なく雪崩を一身に受け止めた私は、気が付けば深い海の底にいた。

 ガラクタと畳にサンドウィッチにされた私の身体は限界まで圧縮される。

 小さな水槽に詰め込められた金魚のように口をパクパクさせて何とか酸素を肺に供給しようとするも、肝心の肺がガラクタに押しつぶされて上手く膨らまない。


 薄れていく意識の中、昔飼っていた愛犬のポチが川の向こうで尻尾を振っている。

 今行くよ、ポチ……


 ふとそんなことが脳裏に過ぎったところで、何者かが私の右足を探り当て掴むと、そのまま私を釣り上げた。


「元気にしておったか?」


「お、おかげさまで」


 言うまでもなく、その何者かは山田さんであった。

 山田さんは女性を小脇に抱えた状態で雪崩から逃れ、ガラクタの海に沈む私を左手一本で探り当て釣り上げたようだった。レディに片足を掴まれ、真っ逆さまで宙ぶらりんになっている私の姿はさぞ滑稽であろう。


「そろそろ下ろしてもらっても?」


 一瞬キョトンとした山田さんは、「ん? ああ、すまんすまん」と左手を唐突に解いた。

 それがつまり何を意味するかというと、何の準備もしていなかった私は、物理法則に従って頭頂部からガラクタの海に自由落下することとなった。


──がっしゃん。


 冗談抜きで頭が凹んだのではないかと疑いたくなるほどの激痛に思わず涙が流れたが、頭を撫でて確認すると、大きなこぶが出来てこんもり盛り上がっていた。


「手を放す前に一言くれてもいいじゃないですか‼」


「注文の多い奴だな。それが恩人に対する態度か」


 私の苦言も虚しく一蹴されてしまう。

 いつまでも無様に醜態を晒すわけにもいかず、私はその場で胡坐をかく。

 山田さんは女性を小脇に抱えたまま相も変わらず仁王立ちである。

 ガラクタの王は能天気に「案外床は抜けないものなんだな。感心感心」とかなんとか言っているので、そこら辺にあった熊さんのぬいぐるみを投げつけてやった、が。


「あっ……」

「あっ……」


 後悔したときには既に遅かった。

 私は一体、つい先刻何を学んだというのだろうか。

 一時の激情に身を任せ投げてしまった熊さんのぬいぐるみは、狙いの山田さんではなく、その小脇に挟まれていた女性の頭頂部──つむじへと吸い込まれていった。

 

 それも不幸なことに、

 ふわふわのぬいぐるみで唯一固い鼻の部分が、

 直撃。


 これほど自身の制球力を恨めしく思ったのは、小学校の頃の草野球以来である。

 こつん、と軽い音が部屋に響く。

 私と山田さんの視線は女性一点に集中した。

 これまでいかなる騒音振動でも目を覚まさなかった女性は、まるでつむじに電源スイッチがあったかのように、山田さんの小脇でもぞもぞと活動を再開した。


「……んん、ん?」


 まず顔を上げた。目の焦点は定まっていない。

 部屋全体をゆっくり見回す。次第に焦点が定まっていく。

 部屋全体を見回し終え、真正面を向いた。

 必然的に、どっしり胡坐をかいて鎮座する私とばっちり目が合った。


「え、あ……こ、こんにちは」


「こ、こんにちは」


 これが私と彼女──鳥飼彩音とりかいあやねが出会って以来初めて交わした挨拶であった。

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