瑠璃コン:サブスト

リの字

アスガルド過去編



赤い部屋。耳障りな警報音。



最悪の目覚めだ。




眉間にしわをよせて体を起こす。

「..............うるさいなぁ」

まだ働かない頭を振る。目の端で黒髪が揺れた。

今も尚鳴り続けるブザー音に思考を邪魔される。

こんなことは初めてだ。避難訓練.......ではないんだろうな。

だとしたら走ることになりそうだ。白衣はやめよう。

まだ寝ぼけているはずだけど、そういう思考はできた。

カッターシャツに袖を通しながら時計に目をやる。8時30分、随分寝た。


もちろんいつもはもっと早い。ただ今日は特別な日のはずだった。


長く続けていた研究がようやく終結した。自分としては実用まで進めてしまっても良かったけど、上は休ませたがった。今日は部屋から出るなとさえ言われていたのに。

何をしたらいいんだろう。状況を把握したい。強盗にでも入られたのだろうか、大した実績もない小さな企業を、どうしてわざわざ。

万一のことを考えて実用性のある薬品をいくつか引っ張り出した。........嫌だな。




____廊下は部屋以上に赤くてうるさかった。



出てきたはいいけど、正直役に立てそうもない。握力は15あったかどうかも怪しい。

「アスガルド研究員!? まだ部屋にいたのですか」

武装した警備員が1人、焦りを浮かべて向かってくる。特に怪我をしているようには見えない。でもかなり汗をかいてる。忙しそうだしほっといてくれてもいいけど、見つけてしまったら無視するわけにいかないんだろう。ここの人間は研究員に対してとても過保護だ。

というより、上が。大事にされているのを感じる。

「さっきまで寝てたのにさ、侵入者?」

「寝........いえ逆です。脱走が」

「脱走?」

脱走なんてする必要がない、誰も閉じ込めてない。どういう状況になればここまで大規模な警戒態勢をとることになるんだ。そもそもなにを基準に脱走としたんだ。建物から出たら。そんな馬鹿な話はない。

「ほかのみんなは?」

「研究室の方たちならとっくに避難されましたよ。朝も通常通り出勤されていましたし」

「..........え?」

そんなはずない。

研究が終わったのは一昨日、昨日全員で最終確認をしたばかりだ。今日は全員部屋に監禁する、と。そういうニュアンスの言葉で休むよう言われた。間違えて外に出てしまうことはあっても、出勤はありえない。


嫌な予感がする。研究室が心配だ。

あそこに何かあったら立ち直れない、立ち直りたいとも思えなくなるだろう。

考えるより先に足が動いた。

後ろで警備員が引き留めようとする声が聞こえる。振り返る余裕は無い。


仲間との関係は良好だと思っていたのに、まさかはぶられてしまうとは。

走りながら嫌われた原因を探る、やっぱり心当たりは無い。



既に息が切れてきた。我ながら底辺の体力。

16年生きてきて運動とは無縁だった。必要も、機会も無かったし。

いや、必要はあったかも。色を求める彼らはここ周辺が1番多いはずだ__当たり前に。

外出する研究員1人にいちいち護衛をあてるより、本人の運動能力を改善させた方が効率は良さそうだけど、結局は動ける人間が2人になるだけだ。そうなればそれは、護衛というより見張り。


あった、エレベーター。....けど反応がない。ああ、非常時のセキュリティ。エレベーターまで止めるなんて、警備員は階段で移動しているのか。あの汗にも納得がいく。胸ポケットに突っ込んでいた社員証のバーコードをパネルにかざす。研究員には非常用のエレベーター制御権とシェルターへの立ち入り権が与えられている。

____。

だけど反応がないどころか画面に表示されたのは赤いエラーの文字。こんなの見た事ない。

何回やってもパネルは同じ赤しか示さない。どうして。

アスガルド・エンジェライトの社員証を見つめる。黒髪の少年がこちらへ笑いかけている。これより上の権限を持っているのは社長....あとは分からない、もういないかも。

警報音も影響して頭痛がする。

言いようのない不安感が襲ってきた。みんなに会いたい。シェルターにいるのだろうか。

会いたい、が。研究室の様子を見に行かなければいけない。あれは、あれだけは。


理由は分からないけど使えないものは使えない。........階段。

3階分降りなければ。頭痛がする。

..........放送室、この階にあったはずだ。まだ寝ているやつがいなければ、この非常事態には全員気づいているだろう。消そう。みんなしんどいはず。

体力は階段用に残しておきたかったけど、警報を切りたい気持ちが勝った。



反対側まで走って放送室のかたいドアを押した。無人では無かった。


「ロダ」

「アス___!?」

彼女は長い黒髪を揺らして振り返った。かなり驚いている。

「どうしてここに___早くシェルターに行ってください」

ロダは作業の手を完全に止めた。

「警報を切りたいんだ、いいかな」

壁のスイッチを指さすと、彼女はなんの躊躇もなくスイッチを叩いた。ようやく騒音から開放される。

「消しました、早く避難してください」

「さっきの人も避難って言った。出ていきたいならもう追わなきゃいい」

出ていきたくなる理由があったんだろう。悩みなら聞いたのに。

「そんなに簡単な話じゃありません、とにかくシェルターに行ってください」

「分かってるよ、先に研究室を見に行きたいんだ___ 」

「だめです! 絶対に、だめ。あそこにだけは入らないで」

動揺したロダはおれの腕を掴もうとして、ハッとした。行き場のない右手が宙で止まる。

「なにがそんなに、エレベーターも使えないし、研究員の権限が..........みんな、ちゃんとシェルターにいるんだよね」

彼女の表情が読み取れない。なんだろう、不安だ。

「安全は確認しています、だからあなたも合流してください」

「完成品を5つ全部回収したいんだ」

ロダは首を振っている。

「......行かせられません。それに、部屋の前には警備もいます。入るのは無理です」

「この状況で無人の部屋に警備?」

自分の失言に眉をひそめたロダは、タイトスカートの左ポケットに手をあてた。

どうやら本気で研究室に行かせたくないらしい。

そうまでされると絶対に行かなくちゃならない気がしてしまう。

........仕方がない。


ポケットに手を突っ込んで、細長いアンプルの先を折る。

前を向いたまま、一歩下がってドアノブに手をかけた。

ロダがスティック型のスタンガンを抜いた。電気の走る嫌な音がする。


自分の身体能力を考えれば本当、奇跡的に。それが体に届いてしまう前に、ロダの首筋に麻痺剤を打つことが出来た。驚愕に彼女の目が開く。スタンガンが音を立てて転がった。

加減できなかった。かなり痛かったはずだ。色々調合しているのですぐに眠ってしまうだろう。ごめんね。

顔を歪ませて、膝をつき肩で息をしている。名前を呼ばれた。

ごめんね。



____ロダと罪悪感を置いて放送室を出た。......嫌われたかな。


それにしても騒ぎの割に人とすれ違わない、どこかに固まっているのだろうか。それこそ脱走者のところに。

そんなにここで働くのが嫌だったんだろうか、待遇に不満を感じたことは無いけど、それは研究員の立場だからか。


階をひとつ降りた。走って疲れるよりもあとのことを考えていつものペースで向かうことにした。

そこまで時間はかからない。

もうひとつ、降りた。人の声がしない。

目的の階についた。静かすぎる。

けど、人はいた。


研究室の前に銃を持った警備員が8....9人いる。

彼らは研究員を視認すると道を塞ぐかのようにすっと前に出た。

かなり体格が良くて圧がある。

隠れていた壁が見えるようになった。

影だと思っていたその暗さは、灰色の液体だった。ベッタリと張り付いてもう乾いている。擦ったかのように伸び、床まで続いている。

それがなんなのか想像もできない。

「中に用があるんだ」

1番前に出た警備員が首を振る。上の階にいた警備員とは違いヘルメットを全ておろしている。


「通して、くれないかな」

にっこり笑いかけたけど、向こうは無表情。

全員のヘルメットを見回す。防弾性に優れた良いものだ。........通気性も、かなり良い。

こうなれば1度も2度も同じだ。ぱちぱちと瞬きする。

警備のひとりが下がらせようと近づいてきた。触られる寸前、息を大きく吸う。


呼吸を止めるのと同時に、薬品の入ったガラス玉を床に叩きつけた。

中身が気体となって周辺に充満していく。空気よりも軽い、青く色付いた気体は想定通りに昇っていく。丁度、成人男性の頭付近に。

身を低くして警備の間を抜ける。肩を掴まれたけど力が入っていない。次々と倒れていく。振り返っている暇はない。

扉に手をかけた瞬間、襟を掴まれた。まずい、衝撃で少し吸ってしまった。くらっとする。

だけどこの人も掴む手に力が入っていない。

振りほどいた勢いのまま、研究室へと転がり込んだ。








__足元で水の音がした。


白く清潔なスニーカーが赤く染まっていく。止められない。

薬が回ってきた。ふらついて奥の机に手をつく。

また、水の音がした。

顔を歪めながらゆっくりと、部屋を見回した。


___見知った______よく見知った人間が赤や灰色の液体にまみれ大勢倒れている。


ほとんどが色を無くして。

頭の上から足の先まで、灰色の。血液すらも。


ひとり、呻いた。指を動かし起き上がろうとしている。

彼のそばに立ちアンプルを何本も手にしているのは。


「ドー___ティス___社長」

「......役に立たない警備だ」

人員の見直しが必要だな、と。その人はこちらを振り返った。



社長の足元で倒れる彼に目を向ける。ぞっとした。

白衣から覗く肌には爬虫類特有の鱗が浮かび赤や黄色が混ざっている。

少しくすんだあの黄色は、まるで彼女の瞳のような。

「さっき鎮静剤を打ったところだ、ようやく効いてきたようでね。.......ふらついているな、君は体を大事にしなさい。他の奴らとは違って優秀なのだから」


何を言われた。

視界がぼやけてきた、あんな少量で。もろに吸った警備員たちはまる2日起きないかもしれない。

なんとか顔を上げて社長の手元を見た。自分の目が開くのを感じた。

「それは......まさか」

一昨日完成したばかりの____レスレプトの色盗能力を人間に付与するための。


彼らに色が無いのも、君が鱗を宿しているのも。

その瞬間全て理解した。


ドーティス社長はスーツが汚れるのも気にせず、彼のそばにかがみ込んだ。

「だめだ、そんなやり方で適合するはずがない 」

思わず声を荒らげてしまった。

だけどそれは、あまりにも。


ドーティス社長は注射器を引きながら、焦るこちらに顔を向ける。

感情は無い。


「お....応急処置をさせてください.....まだ助けられる......それに___それはおれが引き受けるって話で___ 」

「君にこんなリスクを負わせるはずがないだろう。なんとしてもこいつに制御してもらわねばならない」

薬のせいか、ふらついた。

いつから..........初めから......。待って、だめだ。


ドーティス社長が彼の腕を掴む。耐えられなくなって近くにあったフラスコを投げつけた。

力は入っていなかったけど、それは社長の肩にあたって鈍い音と共に割れた。

顔をしかめられてどきっとした。もうあとには引けない。

「..........アスガルドくん」

「それは........譲れません。渡してください」

机から手を離して、ドーティス社長に近寄っていく。彼も警戒し立ち上がった。

「君のことは大事にしたいと言っているだろう」

「渡して....ください」

もっとアンプルを持ってくるんだった。今更後悔しても遅い。

「本当に傷つけたくはないんだが........少し大人しくしていてもらおうか」

そう言って彼は内ポケットから折りたたみナイフを取り出した。どうしてそんなものを持ち歩いているんだ、取締役。この状況じゃ避けられない。奇跡は2度も起こらないから奇跡。


ここで気を失ってしまったら今までやってきたことが全て無駄になる。

後ずさった。灰色と赤を踏む音がした。


ドーティス社長が詰め寄る。無表情で。怖い。本気だ。

ああもう、ほんと_____。


ナイフがシャツに触れた。

その瞬間、発砲音とともに目の前で赤が跳ねた。



社長の体が前に傾く。ナイフが床に転がった。

支えてあげるべきだったのに。その思考に至る前に、自分の体は彼の手から落ちそうになる注射器を受け止めた。

ドシャ、と。彼は液体の中にその身を浸す。


ようやく振り返った。

入口にもたれかかって息を吐いたのは___ロダ・ドーティス。



「....こいつ......信じられない。怪我してないですよね」

ロダは、自身と同じ姓を持つ彼を見下ろし舌打ちした。

服装は特に乱れておらず、戦闘した様子はない。なのに右脚から血が流れている。

自分でやったのか。気つけのために。

「ロダ」

「あなたには言いたいことがあります」

拳銃をホルダーに戻してこっちを睨む。

「でもその前に、もうすぐ次期社長が____社長達が来ます。やりたいことがあるなら今のうちです」

社長。足元で倒れているこの人は、もう何者でもなくなってしまったらしい。


手元に視線を移す。

八分目までしっかりと入っている。

床に散乱した空の注射器を見るに、これが最後の1本だ。

まだ動揺している。

「......なにか手伝いましょうか」

思考を読まれる。

「....倒れそうになったら....支えて欲しいな」

もう今更迷ったりはしない。

左袖のボタンを外して捲る。鱗の彼は見ない。


口をきゅっと結んで。

一瞬、少しだけ痛んだ。勝手に息が止まる。


すぐに視界がチカチカしてきて体を前に折った。空の注射器が落ちる。

背中に手を置かれて息を吸った。

「アス、深呼吸を」

名前を呼ばれてはっとした。大丈夫、だ。


正しく呼吸をする。それほど時間はかからず落ち着いた。

落ち着いて、自分の行動に嫌悪した。..........優先順位が。


ゆっくりと息を吐き顔を上げて、目の前に広がる惨状を思い出した。

体がピクっと痙攣した。

本棚にもたれかかって灰色を流す君は、乱雑に倒れ動かない君たちは。

ロダの肩に掴まって立ち上がった。

試験管は何本も倒れ、薬品が混ざり合い煙をあげている。あれは、まずい、酸だ。

机の上から垂れたそれは、倒れる研究員に容赦なく落ちていた。

椅子の脚が折れている。書類も汚れて解読できない。


みんな、自身から流れた液体のせいで傷口を確認できない。

汚れていない1人に近寄った。外傷はない、だけど動かない。

全身灰色だ。


後ろで布を裂く音がした。

ロダが汚れていない白衣で脚の止血をしている。

「消毒......した方がいい」

「私は反省しているんです。まさか____」

華奢な3歳下の運動不足に、か。

それにしたってたくましすぎる。10分も足止めできなかった。


不機嫌そうなロダの後ろで虫かごの中の蝶が羽を大きく動かした。

そうだ、まだ。


もう足元の音は気にならなくなった。

ゆっくりと棚から虫かごをおろす。

試さなければ。

蓋を開け、灰色でベタ塗られた蝶を両手で掴んだ。

ロダが立ち上がり見守っている。


何故か、できる。と思った。心まで侵食されてしまったのだろうか。


特に力を込めてもいないのに、掴まれた蝶にじわじわと黒が広がっていく。自分の体に違和感は無い。

1分も経っていないだろう。その現象をじっと見つめていた。

蝶は黒く染まりきって、逃げようともがいた。

短く息を吐く。目の端で灰色の髪が揺れたのが分かった。


もうひとつ、灰色の虫かごを取り出した。

さっきのよりはひと回り小さい。弱らせないように、両手で優しく触れた。

ふと、全身灰色の彼が頭をよぎった。2度目は。


思わず振り返った。ロダがじっとこっちを見ている。ワインレッドの目はなんの心配もしていなさそう。後ろに広がる惨状を見たはずなのに、こっちを信頼しきっている。

その態度に拍子抜けした。....何も緊張することはない。とっても優秀なアス。



蝶に視線を戻す。

先程同様、水彩画のようにじわじわと黒が広がっていく。瞬きしてみた。何も感じない。

特に不調もない。

色の侵食が止まった。



「アス」

ロダが身をかがめ顔を覗き込んでくる。近いよ。

視線を逸らした。ロダの首筋に血が固まっている。

「体は平気ですか? 最悪2度目の脱色で死ぬんじゃないかと思ってました」

全然、信頼されていなかった。


ロダの横を抜けて、割れた壁掛け鏡の前に立った。

頭を振ると目の前で灰色の髪が揺れた。開いた目も、灰色。

「....なるほど」

「私は好きですよ」

「......そうかな。ロダに嫌われてないならなんでもいいや」

へへ、と笑いかけた。

あれ、ロダも笑ってる。珍しい。いいな。


「それはそれとして、まずはこの__ 」

ロダが倒れる研究員達を部屋の隅へと引きずっていく。

ためらいがない。

「あ、待って。そこは酸が」

ぼーっとしていられない。引き出しから手袋を引っ張り出して、自分と、ロダに投げる。


障害物をまたごうとして気づいた。

足元で倒れる彼の鱗まみれの手を握った。涙は出てこない。

しばらくそうしていた。


パンパン、と手を払う音がして我に返る。

既に全員の移動を終えたロダが彼らを見て眉をひそめている。

この光景は忘れられない。

全員..........あれ。

変わり果てた仲間をひとりひとり見て、違和感を感じた。

やっぱりそうだ。1人足りない、1番仲が良いのに全然気が付かなかった。

「ねえ、ここに呼ばれたのはおれ以外______ 」


歩み寄ろうとした瞬間、背筋に悪寒が走った。

大きな音をたてて机に手をつく。

耳鳴りが、頭痛が。汗が浮かぶ。立っていられない。

肩で息をして、膝から崩れ落ちた。

薄れる意識の中でロダが駆け寄ってくるのだけが見えた。

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