第二章 沐浴の英雄
Κύριε ἐλέησον / Rês3
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「───死んだ」
消え入るような、無為な声。
「どうした、ミサ」
無感情な声に、男はすぐに返事を返した。
ミサと呼ばれた少女の声色が、異常だと察知したからだ。
室内にはミサと、男しかない。
まだ年端もいかない少女は、つい先ほどまで休むことなく口に運んでいたケーキにはもう目もくれず、どころかフォークを地面に落としていた。
男にとってそれは、本来吉兆である。
ミサの過食癖によって嵩む特別接待費が、普段よりも幾分かマシになるのだから。
けれど、どうもそうは言っていられない異変が起きたのだと、書類仕事の手を止めて彼女からの返事を待つ。
どれほどそうしていたろう。
ミサは虚空を見つめたまま、やっと男に言葉を返す。
「フェルトちゃんの信号が、消えたの」
か細い声のまま、事態を端的に伝えた。
本来のミサは、制御のしようもない程天真爛漫かつ天衣無縫。弾むようないつもの声とのギャップに、男の中に緊張が走る。
「フェルト…というのは、41629の事か?」
「うん」
「誤作動だろう。確か、今の奴には
「そうだよね!あり得ない…けど、あの子は今旧聖地迷宮の探査に行っているの。もしかしたら、何かあったのかも」
「旧聖地迷宮…あの森人の聖地か。Vllを装備して、負けるような場所ではないだろう」
「けどね、シウバ、フェルトちゃんからの最後の通信で、『守護者』がいるかもって。そいつに負けたのかもしれない」
「守護者、だと?」
シウバと言われた男は顎に手を当てて、思案する。
「なるほど…確かに、もしも守護者がいたのなら、Vllでさえ相手になるまい。六百年前の人災、その再来すらあり得るのだから。
「わからないけど…多分、0番台じゃないかな。フェルトちゃんは、そうそう負けないよ」
「あぁ、だが、死んだとは限らんぞ。機体が破壊されただけかもしれん」
「どちらにしろ、あの子は最下層でコアを回収する任についていた。そこで機体を破壊されたとして、生きて迷宮を出る事は不可能でしょ」
「まぁな」
シウバの返事なぞ聞こえているのか聞こえていないのか、ミサは居ても立っても居られないといった様子でソファから立ち上がり、室長室を出ていこうとする。
「どこに行く気だ、ミサ」
「守護者を殺す」
「駄目だ」
即答すると、鋒鋩とした眼差しがシウバを刺す。
「どうして?」
「守護者の出方がわからん。我々にとって有益となる存在の可能性も捨てきれない。それに、あそこは森人の領域であり、魔界も近い。我々にとって重要な作戦活動中の地域だ。わかっているだろう」
「要するに、魔人にバレなきゃいいんでしょ?そんな下手はうたないよ」
「それだけではない。41629は作戦に失敗した。その時点で、抹殺対象に変わった。その尻拭いを
「なら、私が直々にフェルトちゃんを殺すよ。そのための派遣任務、これなら問題ないでしょ?」
「ミサ、子供じみた反駁はやめろ。守護者に手出しはするな。今は重要な時期なんだ」
「ねぇ、それは
「…命令だ、と言ったら?」
瞬間、空気が変わった。
息が詰まるほどの魔力がミサに集まっていき、その右手に美しいステッキが握られている。
射殺す眼力にさえ、魔力が籠っていた。
「この場で、序列を変えるしかないね。シウバ」
「……はぁ」
ミサのその言葉が冗談でも脅しでもないのだと、シウバは身をもって知っている。
彼女は後先なぞ考えない。その時々の判断で、必要だと思えばこの場でシウバを殺してでも敢為するだろう。
無論、シウバとミサ、戦って負けるつもりなどシウバにはない。
ないが、どちらにしろ人類解放戦線の主力であるミサを失うのは痛手に過ぎる。
その損失は、今ここでミサを行かせる事のデメリットに勝っていると判断した。
「……わかった」
「おっ!わかってくれると思ってたよっ!ありがと、シウバ!」
殺気はどこへやら。
ケロっと笑ってお礼を言う姿は、あまりに底が知れない。
「ただし、くれぐれも守護者と敵対する事のない様に。それと、身分は隠し、決して魔人に悟られるなよ」
「わかってるって!じゃあ行ってきます!」
無邪気に笑って、ミサはスキップをしながら出ていった。
「……はぁぁぁ」
改めて大きなため息を吐きながら、シウバは各所への連絡と伝達を行い始めた
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