珠玉の贖子/L


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 千年前、この世界は地獄だった。


 天人が紅塵舞う空を割って進み、魔人が汚染された沼を渡る。


 人類が築き上げてきた栄華は天と魔の光によって瓦解し、百年に及ぶ戦争は生きとし生きるあらゆる生命を変容させた。


 世界が汚染され、魔物が生まれた。

 戦争は科学を兵器に変えて、星を膿んだ。


 人類には、何もなかった。

 天人のようにプネウマを生成する事は出来ない。

 魔人のように魔力に耐えうる抗体も持ち合わせていない。


 物理法則に縛られたままの、旧生命体。

 他種族が軽く払えば死んでしまうような、か弱き命。

 見下され、世界の果てに追いやられ、踏み躙られてきた彼らは、与えられた知恵だけで足掻き続けた。

 ただ勤勉に科学を探求し、近代都市を築き上げた。

 それはまさに人類の誇りそのもので、見捨てられた者達の願いの結晶だった。


 けれどそれを、驕れる者達は許さなかった。


 自分達よりも遥かに劣った劣等種が栄耀詠歌の限りを尽くし、その建造物が天にまで届こうと発展し続ける様はあまりに不遜で、あまりに求心的。


 科学を葬り去るために天人と魔人は手を取り合い、「無謬戦争」が始まった。

 人類の尊厳は奪われ、矜持は嘲笑うように超常的な力の前に屈していった。『人類を浄化するこの戦争は、無謬である』、天人と魔人が共同して掲げたその理念によって、この戦争は無謬戦争と呼ばれ、人類が滅びるまで続いた。



「パパ……パパも、人を殺したの?」


 戦争は終わった。

 民族浄化によって虫の息となった人類に、残った全ての科学技術と兵器を新しく設立する中立機関『三権調停機構』に納めさせ、完全にその尊厳と知識を奪う事で溜飲を下げ、戦争は終わりを迎えた。


 けれど結局、勝者と敗者に与えられたのは平等な荒野で、文明の多くが淘汰されて消え去った。


 そんな、あくる日に。


 父は私を、静かな地下に連れ立った。


「ああ。殺したよ。数えきれないほどに」


 手を引く父の顔は、まだ小さな私にはよく見えなかった。

 あまり意味も分かっていなかったから、何となくの居心地の悪さに眉を顰める。


「んと、ママは?どこ行っちゃったの?」


 聞くと、白髪に隠れた父の顔が、少し歪んだように見えた。


「ウーシアは……今は少し、遠い所にいるよ」


「またお仕事?」


「ああ。大切なお仕事だ。もう誰も、泣かずに済むように。ライア、君が幸せに生きていける世界に変えるために、今も頑張っているんだ」


「いつ?いつ会える?」


「……そうだねぇ…今回の仕事は、長くなる。でも、大丈夫だ。ウーシアは君を愛している。ずっとずっと、お前の事を想っている。だから、離れ離れになるのはこれで最後だ。約束するよ」


「次会えたら、ずっと一緒?」


「もちろん。二度と離さない。二度と戦争なんて起こさせない。変えてみせるよ。約束だ、ライア」


 そう言って、父は私の手に何度も力を入れたのを覚えている。


 しばらく地下へ歩き続けて、辿り着いたのは広い空洞だった。

 その中心で光り続けている、魔法陣の真ん中に父は私を立たせた。


「パパ?何するの?」


 純朴だった私が小首をかしげて問うと、父は震える足をまげて私と目線を合わせた。


「ライア、僕を信じてくれるかい?」


 その泣きそうな顔を、私は忘れられない。

 今でも目を瞑ると思い出す、苦しそうな顔。


「信じてるよ、パパ!」


 だから、私はそんな父に笑って欲しくて、飛びつくように抱き着いた。


「ママもパパも、私大好きだもん!」


「…うん、そうだね。僕もだよ。二人を愛してる。ありがとう、ライア」


 しばらく父は私を抱きしめてから、覚悟を決めたように立ち上がって魔法陣から退いた。


「……パパ?」


「超魔法、起動」


 瞬間、大地が揺れるような感覚と、魔力の膨張を感じた。

 私が座る魔法陣が燦燦と光り、魔法陣から回路のようなものが地面に亀裂のように走り、それは私の身体にまで現れた。

 と同時に魔法陣から電磁パルスが競り上がっていき、私を閉じ込め始めていた。


「パパ!?なにこれ!?うっ!?」


 猛烈な頭痛と、自分が自分でなくなっていく感覚。

 感覚が拡張され、自分を見失う。


「いずれ君を解き放つ者が現れる。002が目覚めれば、きっと世界は変わる。この星を、希望に導いてくれる。それまでは、僕が君達を守り抜いて見せる。少し長いお別れになるけれど、待っていておくれ、ライア。愛しているよ」


 あれほど信頼し、絶対だと思っていた父はただ私が苦しみ悶える様を見下ろすばかりで、なおも伸ばした私の手は電磁パルスに弾かれる。


「助けてよぉ!ぱぱぁ!ままぁ!」


 叫んだ瞬間だった。


「ウーシアシステム起動。神経と同期します」


 頭の中に、が響いた。


「ママ!?どこにいるの!?ままぁ!」


 いくら叫んでもその無感情な声は応えてくれず、気づけば私は頭痛によって気を失っていた。





 声を上げる事が無くなるまで、そう時間は掛からなかった。


 戦争は終わり、地獄は消えた。


 私を置いて。



「寂しいな……お母さん」


「ウーシアシステムスリープモード解除。ネットワークに接続しました」


 私が呟くと、視界に非表示になっていたデスクトップが表示され、無感情な母の声が響く。

 自分が迷宮のコアになった事。

 死ぬまでここから出られないであろう事。

 それらを教えてくれたのは、このシステムだった。


 私はきっと、このウーシアシステムの子機。

 ネットワークを辿れば、このシステムの本体がどこか遠くから情報制御している事もわかった。


 泣いて夜を越し、溜まり続ける魔物に埋もれて目覚める。

 いつしか視界には魔物しか映らなくなって、ネットワークから外の世界を知る。

 知識ばかりが広がって、それを語る相手も、真実を知るすべもない。

 手遊びに魔法や神秘を操って、虚しくなって解くだけの千年だった。


「ウーシアシステム再起動中・・・・・」


「……え?」


 私の千年に変化が訪れたのは、突然だった。


「・・・・迷宮探査用強化人間002の起動を確認しました。バージョンアップデート中・・・・・・完了。プログラムの動作確認中・・・・・エラー。ファイルの解凍中・・・・エラー。ウーシアシステムと同期できませんでした。更新された002と接続しますか?」


 何が起きているのかなんてわからなかった。

 それでも、何かが変わってほしいと願って、私は彼女と接続した。


「おはようございます、002。ガイドを開始いたします」


 何を期待していたんだろう。


 馬鹿だな、私。


 彼女に、私を助ける理由なんてないのに。


 こんな事をしても、きっと何も変わらない。

 わかっていたはずなのに期待して、最後に光の中に霞む背中を見送ろうとした。


「本当にいいのか?これが、お前の望みなのか?」


 彼女は私にそう聞いた。


 これが望み?

 これが望みなのかって?


 そんなわけない!


 ここから出たい。

 お父さんとお母さんにもう一度会いたい。

 この足で歩いて、この目で見て、美味しいご飯だって食べてみたい。

 もっと沢山あなたと話して、もっと沢山あなたと歩きたい。


 愛してるって直接両親に言いたいし、どうして私をここに置いていったのか直接聞きたい。

 知りたい事だらけで、やってみたい事ばかりだよ。


 でも、それを言ってどうなる?

 ただでさえ記憶を失って、力の使い方さえよくわかっていないあなたを、深層に導けば、きっと死んでしまう。

 お父さんに、ここにいるよう言われたんだ。

 いつかきっと迎えに来てくれる。

 自分の意思で、本当の気持ちで、あなたに迷惑をかけられない。


 そう思ったから、咄嗟に引き留めたくなる気持ちを全部殺して「ええ、それが私の望みです」と、そう言った。


 だからもう、行ってよ。

 また独りになってしまえば、諦めもつくから。


 そんな私の想いを、嘲笑うように。

 彼女は笑って振り向いた。


「やっぱ止めだ」


「え……?」


「ライア、お前は俺が貰う」


 そう言って、その足は踵を返していた。



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