第2話 見慣れぬような街並み

 第二話 見慣れぬような街並み


 私の時計がまだ壊れていないんなら、だいたい1時間くらいたったころ、私たちはやっと街の外れにたどり着いた。時刻は4時半、すこうし空が赤くなってきた。

 とか、そんなことはどうでも良いのだけど。


「……なにこれ」


 紗枝が、丸い目をさらに丸くしてつぶやく。私だって言いたい、なにこれ、と。

 何故なら、私たちの目の前に広がっている街は。


「東映太秦映画村?」


 そう、それだ。ゆう子の表現がまさに的確だ。目の前に広がるのは、木造の古風な建物ばかり。時代劇で見るそれとは少し雰囲気が違うが、少なくとも私たちが普段暮らしている街とはまったく違う。


 おまけに、道行く人々も着物姿で、洋服を着ている人なんて一人もいない。私たちの格好はこの街の前では完璧に浮いている。そのせいだろう、遠巻きに私たちを、胡散臭そうに見ては人々が通り過ぎていく。


「時代劇の撮影でもするのかしら?」


 それにしては大掛かりすぎるが、私の頭で思いつくのはそれだけだ。

 すると、兵藤が弱い声で否定してきた。


「江戸時代ではありませんね……鎌倉……平安時代かな……いや、でもそれも少し違う」


 こいつがナニを考えているか、解る。そう、残るはその可能性しかないのだが、だがしかし。そんな馬鹿な単語を口にするのは気が引ける。私が言いよどんでいると、竹を割ったような性格の紗枝が、その言葉をすっぱりきっぱり口にした。


「タイムスリップしたわけ!?」


 ああ、言っちゃった。頭痛を感じて私は思わずこめかみを押す。ああやだ、吐きそう。

 SFは苦手なのよ。


「その可能性が高いですね。ただ、それにしてはどうも様子がおかしい」


 私の痛む頭は誰にも気にされずに、兵藤がタイムスリップを前提に話を始める。

 ちょっと待て、その前提に疑問を持ってくれ。


「様子がおかしいって、なんで?」


「んー……たとえば、あの山」


 彼の指差した先を見る。

 私たちが降りてきた山の向かい、深い緑の間に、チラチラと炎が見える。

 よく見ると、それは文字のようだった。


「あ、大文字送り火やん。てことはここ京都なん?」


「いえ、よく見てください」


 言われて、もう一度見る。よく夏になるとニュースで見る、『大』の字の送り火が……違う。


「あれは『天』?」


「はい。それからほら、『妙』の字があるはずのあちらの山」


「ちがう……『如』になってる」


「さらに、船の形があるはずの山にはほら、六芒星が……」


 思わず、背筋がぞくりとした。

 気持ちが悪い。まるで、留守の間に自分の部屋を、誰かがちょっとだけいじったみたいな、そんな不快な違和感がする。

 私たちが呆然と立ち尽くしていると、遠巻きに見ては去っていた人々の中から、一人の男の子がやってきた。


「おねえちゃんら、『青鳥』の人なん?」


「あおちょう?」


 意味が解らず聞き返すと、男の子が答える前に、女性が駆け寄ってきた。


「あんた!何してんの!口きいたらあかん!」


 女性はそう叫ぶと、男の子を胸に抱きしめた。心外だわ、別に危害を加えようってわけじゃないのに。

 思わず片眉を跳ね上げると、その人は私と目も合わせずに、小さな声でこう言った。


「もうすぐ『丹』が来るよ。はよ逃げ」


「たん?」


 これまた意味不明だ。四人で顔を見合わせていると、遠くから馬の足音が、すごい早さで近づいてきた。

 女性は、男の子を抱きかかえて走り去る。

 残された私たちは、わけがわからずただ近づいてくる馬の集団を見ていた。

 先頭を走るのは、赤にも見えるほど艶のある栗色の馬。その後ろに黒馬が十頭ばかり続いている。騎乗しているのは、赤い着物をまとった若い男だ。


 ……と、思ったら。


 先頭で騎乗しているのは、大きな大きな猿、だった。

 あっと言う間に、彼らは私たちの前にやってきて、砂煙を上げて馬をとめた。


「なるほど、殿下のおっしゃった通りだ」


 先頭の、目のきつい大猿が、乗馬したまま私たちを見下ろしてつぶやく。

 ……なんっじゃこいつ!?

 てゆーか、猿、喋ってる、猿! 猿の惑星じゃあるまいし! 昔の猿ってしゃべったの?

 先頭が真っ赤な猿で、後ろに続く男たちは、どうやら人間のようだ。

 さらに私は、彼らの服装にも目を丸くした。

 真っ赤な着物に、海老茶の袴、おまけに腰には、やたらゴテゴテと金の飾りがついた剣をさげている。

 昔の人って、こんな派手だったの!?さらに、腰に下げているのは日本刀というよりも、ギリシャ神話の登場人物の持ち物のようで、まったく和風な感じがしない。


「お前たちが、この京を乱すものか。名を名乗れ」


 乱すもなにも、ここがどこなのかもわからない。

 戸惑っていると、兵藤が私たちの前に出た。


「我々はただの旅人だ。ここからはすぐに立ち去る。あなたたちの街を乱す気はない」


 これまでに一度も聞いた事のないような堂々とした声で、兵藤が答える。

 私の両隣で、紗枝とゆう子が息を呑んだ。たぶん、二人も驚いているのだろう。


「名を名乗れ、と言ったのだ」


「我々のいた土地では、他人に名を尋ねるときは自分が先に名乗るのが礼儀だったが、ここでは違うのか?」


 兵藤は更に強気で攻める。見ているこちらは冷や汗がでてきた。

 馬上の大猿は、口元を片方だけ上げて笑う。けれども目はさっきよりも吊り上がり、私たちを睨んでいる。


「我は蘇芳の皇子に仕える、『五丹』の長、猩々。皇子の命により、お前たちを捕らえに来た」


 捕らえるって、なに? 皇子に仕えると言ってるから、偉い人なんだろうなとは思うけど、その皇子が何故、今来たばかりの私たちを捕らえるんだろう。

 身構える私たちの前で、兵藤は怯まずに応える。


「名は、兵藤理之助。たまたまここを訪れた旅人だ。彼女たちは旅の同行人で、ただの女だ。我々はすぐにこの場を立ち去る」


「そう、旅人か……だがそれは、有り得んな」


「何故だ? こんなに大きな都ならば、旅人など珍しくないだろう?」


「この京は、陛下が病に伏せられた時から、蘇芳の皇子が守護している。皇子の守護は強力だ、何人たりとも、この京へ入る事もできなければ、出る事もできない」


「何だって……?」


「その京に、お前たちはいきなり現れたのだ。旅人などではあるまいよ」


「この京は、封鎖されているのか!?」


「封鎖? 愚かなものから見ればそうかも知れんな。だが殿下が、民を守るためになさっていることだ。お前たちは、殿下の守護の力を破って、ここに現れた」


 猩々と名乗った大猿は、馬上ですらりと剣を抜く。

 銀の刃が、夕日を映して、光った。


「切る」


 猩々の後ろに居た男たちも、同様に剣を抜く。

 兵藤が、わずかに後ずさった。


「……みなさん、僕が合図をしたら逃げて下さい」


 猩々から目をそらさないまま、兵藤が小声で言う。


「今から少し、騒ぎを起こします。そのスキに、木の上でも路地の中でも、どこでもいい、なるべくバラバラに逃げて下さい」


「逃げるって……それにバラバラになっちゃったら困るじゃない。私スマホ置いてきたし」


 紗枝がもっともな事を言う。けれど兵藤は堂々とした口調で言った。


「あとで、僕が必ず見つけます」


「でも……」


「いきますよ」


 そう言うと、兵藤は奇妙な足取りで少し前へ歩いた。

 それは、斜め前に片足を出し、その足にもう一方の足を引きずり寄せるような、土を擦る歩き方だ。それを左右交互に繰り返し、三歩ほど前に出た。

 途端に、猩々とその後ろの男たちが、馬から下りた。

 剣の切っ先を向けられても、兵藤は下がらず、突然、左手の親指の先を噛んだ。

 相当強く歯を立てたのか、指先から血が流れ出す。



「兵藤!?」


「下がって!」


 その血で右手の甲に×印を書くと、手を突き出す。

 途端に、風が強く吹き始めた。


「!」


 軽い破裂音と同時に、突風が、地面の砂を巻き上げて猩々たちに吹き付けられる。

 彼らが一瞬、ひるんだスキに、私たちは走りだしていた。

 紗枝が、ゆう子の手を引いて走っている。私は二人とは反対の方向に駆け出す。

 が、しかし、力が入りすぎていたためか、走り出してすぐに私は転んでしまった。

 視界が反転する。

 見えたのは、逃げて行く紗枝とゆう子の後姿と、態勢を立て直した猩々たち。

 しまった、と思ったときにはもう、彼らは私に向かって剣を突きつけていた。

 どうすることもできずに、身をこわばらせた瞬間。


「!」


 身体が、宙に浮いた。浮遊感と、変化する視界。ああ、飛んでいる。

 着地の振動のあと、兵藤の心配そうな声がした。


「大丈夫ですか?」


「あ、うん」


 驚いた事に。兵藤は、いつの間にか私を横抱きにし、近くの民家の屋根に飛び上がっていたのだ。

 物凄い跳躍力。このひょろっとした男のどこにこんな力があったんだろう。

 問う間もなく、眼下の猩々たちから、矢が射掛けられる。


「ちょっと我慢しててくださいね」


 兵藤は、私を抱えたまま、屋根の上を走り出した。

 矢は、私たちの周りに紙一重の差で、空気を裂く音とともに降り注ぐ。

 兵藤が巧みな動きで、矢を避けているのだ。

 街の人々の悲鳴と、猩々たちの怒声。

 しばらく民家の屋根を走ったところで、大通りの辻へ降りた。

 すぐに猩々たちが追ってくる。私をそっと地面に降ろして、兵藤が彼らに向き直る。


「オン・マカキャラヤ・ソワカ」


 突如、手の届く距離に黒い雲が出現し、猩々たちに放たれる。

 が、その雲は、男たちの剣によって、あっという間に散らされてしまった。

 兵藤は小さく舌打ちをすると、また私を抱え上げ、走り出す。


「ちょ、今のなに!?」


「おかしいなぁ、もっと利くと思ったのに……」


 ぼやきながら、私を抱えたまま物凄いスピードで走る、走る。

 けれども、追っ手は馬に乗っているのだ。

 あっという間に追いつかれてしまった。


「まずいな……」


 まずいも何も、最悪だ。男たちに取り囲まれてしまった。

 彼らが剣を振り上げた瞬間。


「天を父とし地を母とする、幾多の流れよ我を守れ!」


 兵藤が叫ぶ。中空から、短い稲妻が幾筋も走り、男たちが打たれた。

 が、しかし。それを免れた男が一人。猩々だ。

 彼の大きな剣が振り下ろされる。

 あぁ、もう駄目だ。固く目を閉じた瞬間。

 ガチン、と金属のぶつかり合う大きな音がした。

 目を開けると、私たちの前に、濃紺の影がひとつ。

 深い青のマントをまとった少年が、細い刀で猩々の剣を受け止めていた。


「……葵、また貴様か……!」


「それはこっちのセリフだ」


 少年は何度か、猩々と切り結んだあと、「女を連れて逃げろ」とこちらを見ずに言った。状況が理解できないまま、私は再び兵藤に抱き上げられて、その場を移動する。

 剣のぶつかる音が、あっと言う間に遠ざかり、私たちは街の路地へと逃げ込んだ。


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