第49話 災厄再び
ベン・エキュールは兜を脱いだ。そこには衣装と同じ灰色がかった髪の毛をし、不動の眦をした痩せた男がいた。
「師よ、まさか、あなたが戦争に手を貸すとは」
「仕方あるまい、お前の妹弟子サクリウス姫に頼まれてはな」
妹弟子。サクリウス姫がそうだとは思わなかった。でも、なればこそのあそこまでの竜への思いやりの心を持っている。納得した。
「姫は軟禁されている。この戦を止める者は人間では誰もおらん」
「人間では?」
「だが、頑張ってみよう。弟子よ、立ちはだかるなら貴様を殺す」
師に刃を向けられ、ドラグナージークは震えた。こんなショックなことはない。ただの国を飛び出した流れの傭兵がベンから竜のことを学び、竜を好きにまでなった。そんな大恩ある師と命のやり取りをしなければならないとは。
「ドラグナージーク、空を見よ」
そう言われ、ドラグナージークが目を向けた先には、竜が飛び交い、人が剣を振るっている。
「竜は人を信じている。その信頼を裏切ってはいけない。お前とのケリをつけてから私は私自身の道を進もう」
「師よ、それならば、私をお供させてください!」
「帝国の人と竜が信じているのは誰だ? それはドラグナージーク、お前だ。お前さえ、斃せば帝国は旌旗を失うも同然なのだ。暴竜が痺れを切らす前に戦を終わらせなければならん。行くぞ、弟子よ!」
アメジストドラゴンが飛翔し、一気に滑空してきた。刃の煌めきを見た瞬間、ドラグナージークは覚悟を決めた。
「私とて、負けるわけにはいかない!」
ルシンダ、ヴァン、皇帝、シンヴレス、サクリウス姫とウィリー、仲間達、ガランの人々の思いを背負っている。
「斬っ!」
払った剣は師の雷光のような一撃と衝突した。
敵が身を返す、ドラグナージークは後を追った。
アメジストドラゴンが稲妻を吐き出す。複数に枝分かれしたそれをドラグナージークはラインを操り、全て躱して、体当たりさせた。
両者の竜の身体が揺れる。だが、その最中にも既に斬撃が走っていた。
「戦争を終わらせるなら帝国こそ勝たねばならない! 帝国は竜を崇める国だ! だが、王国はどうだ!? 敵だからと平気で竜を傷つける。そんな国に竜の未来はない!」
ドラグナージークは剣越しに師と睨み合った。
「そう思うならば、私を退けて見せよ!」
鋼の乱打する音が様々な音色や声に交じって空虚に響き渡る。
「剣の腕ではさすがに及ばぬか」
ベンがそう言い、竜を飛翔させた時だった。
前方の竜達が悲鳴を上げて、地上へ落ちた。
ドラグナージークは太く長い無数の矢の影を見た。
「止せ! やめろ!」
竜が次々射貫かれ、声を上げる。
「ベン!」
ドラグナージークは縋るように師の名を呼んだ。だが、ベンはかぶりを振った。
「もはや、手遅れ。暴竜は目覚めた」
その言葉と共に、ドラグナージークの脳裏で声が爆発した。
「貴様如き人間に全てを委ねたのが間違いだった。我が血を浴びし愚かで矮小な人間よ!」
紛れもなく黒い竜の声であった。
「我は我の使命を今一度思い出した。そう、我こそ、全てを無に帰す破壊神なり!」
「待て! 待ってくれ、黒い竜よ!」
だが、返事は無かった。
「ドラグナージーク、聴こえたのか?」
「ええ、師匠。黒い竜がここへ来ます。もはや争いごとなどしている場合ではありません」
王国の前進ぶりは目覚ましかった。バリスタが物を言い、次々帝国の竜を仕留める。地上部隊のぶつかる遥か先での出来事である。
「ベン、力を貸して欲しい」
「いいや、もはや、我らは滅びるべきなのだ」
世捨て人らしい言葉を吐いたベンに見切りを付け、ドラグナージークは一人竜を飛ばした。ベンは追いかけて来なかった。
バリスタを満載にした無数の荷車が見える。その眼前には竜の亡骸が折り重なっていた。
「何てことを! 何てことおおおっ!」
ドラグナージークは激し、ラインと共にバリスタの矢を避け、急降下した。
木が木片となる痛々しい音が轟き、大地は僅かに揺れた。ドラグナージークはラインに炎を吐かせた。
バリスタに取り付いていた射手達が、慌てて逃げて行く。怒りの炎は竜を殺す兵器を次々焼いていった。
「ドラグナージークさん」
不意に後ろから名を呼ばれた。
甲冑姿が似合わないディアスがそこに立っていた。嫌な予感がした。
「ディアス、ペケは?」
青年は涙を流したままだった。
「死んだ……のか?」
「……ええ、俺の腕が未熟なばかりに」
ドラグナージークは天を見上げた。何という結末だ。何という有様だ。
「やはりこの世界は一度滅ぶべきなのかもしれない」
空では王国の竜乗り達が大躍進を遂げていた。バリスタの出番はもうない。全てが遅かった。俺が浅はかだった。始めからこの悪魔の兵器を壊しに掛かるべきだった。
その時、凄まじい咆哮が空気を揺らめかせ、戦場の音が止んだ。
黒い竜が現れたのだ。
「ディアス、君は生き延びるんだ。ペケのためにも!」
ドラグナージークは臆しないラインを駆り、再び帝国側へ飛んだ。
人が雑草を抜かれるかのように弾き飛ばされている。
黒い竜は憎悪の声を上げて、帝国歩兵部隊をなぶっていた。
「やめろー! 黒き竜よ! やめてくれ! 怒りを鎮めてくれ!」
ドラグナージークはすぐ側まで来た。山のような巨体に輝く黒い鱗、目はマグマのように真っ赤であった。
「人に懸けた我が愚かだった! 人間こそが害だ! 人間こそが射貫かれ、絶命すればよいのだ! 違うか、我が期待を裏切りし人間よ!」
黒い竜はドラグナージークを見て叫んだ。そして紅蓮の炎を吐き出し、戸惑う人間達を次々灰へと変えていった。
「ドラグナージーク、一刻の猶予も無いぞ」
隣に来たのはベンだった。
「もはや、道は一つだ。黒い竜を討つ」
ベンの厳しい言葉にドラグナージークは茫然としながらもようやく頷けた。
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