兵士は聖夜に何を夢見るか

零名タクト

兵士は聖夜に何を夢見るか

 一九一四年十二月。

 ベルギー北部、フランドル地方。

 寒さが駆け巡る中、イギリスとドイツの軍が塹壕の中で身を隠しながら、互いに弾を撃ち合う。

 第一次世界大戦の真っ只中である。



 塹壕の中に一人の男が居た。

 名はセオドール。故郷、イギリスに愛する妻を残し、戦地へと赴いた勇敢な男である。

 いや、無謀と言った方が良いのだろうか。


 人々は戦争を軽く見ていたのだ。

 オーストリアの皇太子夫妻がサラエボで暗殺された。オーストリアの支配に反発するセルビア人の青年が起こした事件である。当然オーストリア側はセルビアに報復措置をとる。しかしここで、セルビアが位置するバルカン半島の領土を狙うロシア帝国が、セルビアへ支援した。

 ヨーロッパの国々は軍事同盟を結んでいた。二強であったのはイギリス、フランス、ロシアの三ヵ国。そしてドイツ、オーストリア、オスマン帝国の三ヵ国である。

 ドイツはロシア、フランスに対して宣戦布告したのち、中立国ベルギーに侵攻した。ベルギーと軍事条約を結んでいたイギリスは、参戦を決めたのであった。


 イギリスでは五十万人もの若者が出征を志願した。セオドールもその一人であった。四十年ほど平和が続いたヨーロッパでは、戦争は単なるファンタジー物語のように見えたのだろう。

 誰もがすぐに帰れると思っていた。たった数ヶ月で終わる戦争なのだと。セオドールも少し心配そうにする妻に言ったのだ。


「クリスマスにまた会おう。きっとクリスマスには帰れるから」




 しかし、現実は違った。

 徐々に泥沼化して行く状況に、毒ガスや戦車といった新兵器。塹壕を横に掘り進めて戦線が進まない。

 さらに雨が降り、塹壕内に冷たい水が溜まり、塹壕足と呼ばれる症状も出た。

 まさに地獄であろう。

 結局クリスマスには帰れなかった。クリスマスはここで過ごすことになるだろう。セオドールはそう呟き、夜空を眺めた。

 ドイツ兵たちの攻撃が止み、彼を含めた兵士たちはようやく眠りにつくことができた。

 本当はこんな戦いをしたくない。

 セオドールも、彼の仲間もそう思う人が大半であった。本当は電光石火の快進撃を望んでいた。国のために勝利を収めたかった。俺たちは強いという優越感を抱いてみたかった。もうそんなのはどうでも良い、だから早く家族の元に帰りたい。

 セオドールは、静かにそう願った。



 クリスマスがやってきた。


 セオドールは朝早くから塹壕を修復していた。他の兵士たちはまだ眠りについている。セオドールはどうしても眠れなかったのだ。寒さで凍えるうえに、長い間発砲音を聴き続ければストレスだ。

 それに長い戦争のために『Live and Let Live』という、敵味方の間で非攻撃的な協力行動も生まれてて、戦死者の回収および埋葬や塹壕の修復などの作業を行う際、互いに短期間の停戦を行うという認識が暗黙の内に生まれていたのだ。

 セオドールたちが戦う戦線も例外ではない。彼と同じように、一人のドイツ兵も塹壕を修復していた。

 ふとそのドイツ兵を見ると、偶然目が合った。セオドールは少し気まずくなってしまったが、笑顔で小さく手を振った。ドイツ兵もそれを見て嬉しくなったのか、銃を捨てて両手で手を振った。

 セオドールたちイギリス軍は苦戦を強いられていた。精神的余裕もなかった彼には、敵意のない笑顔で手を振る彼が敵だろうが味方だろうが、共に笑い合えることが嬉しかったのだ。

 手を振ってきたドイツ兵の彼は、他のドイツ兵を起こし始めた。セオドールは攻撃されないよう、必死で塹壕を再度修理し始めた。しかし、向こう側にいるドイツ兵には攻撃してくる様子もなく、ただ手を振っていた。セオドールは満面の笑みで手を振りかえす。そして、近くにいた兵士の仲間を起こし始めた。


「おい、起きろ!」

 セオドールは笑顔で言う。

「今日はクリスマスだぞ」

「……すまないセオ、早起きさせたな」

 仲間のアーサーは、セオドールが一人起きて戦っていたと思い、顔を叩いて急いで目を覚ました。

「いいや、良いんだ。ドイツ兵たちも戦う気はないみたいだ」

 セオドールはそう言うと塹壕から飛び出した。これには起こされた数人の兵士たちも、ドイツ兵も驚きを隠せなかった。ドイツ兵はすぐに身構えた。しかし、彼が丸腰だと気づくと、すぐに塹壕に隠れて様子を見た。

 そして、セオドールは大声を上げた。


「メリークリスマス!」


 しばらくの沈黙の後、先ほどセオドールに手を振り返したドイツ兵が、塹壕からゆっくりと出てきた。そして、少し訛りのある英語で言った。

「メリークリスマス、イギリス兵」

「俺はセオドールだ。良いとは言えないが、それなりのクリスマスの朝だな、ドイツ兵」

「ハインツだ。あの時は手を振ってくれてありがとう、セオドール」

 その会話の様子を見ていた他のイギリス兵、ドイツ兵は、ゆっくりと外に出てきた。そして、自然と休戦状態となったのだ。



 昨日までは、この地では赤い血が流れていた。しかし今は、敵味方関係なく笑い合えている空間がある。

「チョコレートやるよ、美味いぞ」

「ああ、ありがとうハインツ。お前はタバコ吸えるか? タバコが無理そうなら酒ぐらいしか渡せないけど」

「タバコで頼むよ。俺は酒を飲むと陽気になるからな」

「良いじゃないか」

「けど明日にはまた戦争をしてる。二日酔いじゃすぐに死ぬからな」

 彼はそう言い、タバコに火をつけた。

 聞けばハインツはまだ十七歳らしい。セオドールは、まだクリスマスを楽しんでも良い年齢だと感じた。

「若いのになぁ」

「そんなの、あなたもじゃないか。子供扱いはやめてほしい」

「俺はもう二十三だ。俺から見たらまだまだ子供だ」

 セオドールは子供のようだと感じるとともに、立派な青年だとも思った。彼の従兄弟にハインツと同い年の男子がいるが、彼は両親に志願を止められていた。きっと彼も止められたのだろう。止められてもこの場に来る勇気もあったのだろう。

「俺にもあなたにもクリスマスのプレゼントはもう来ない歳だ」

 ハインツはそう言い、地面を見つめる。

「それに、俺はここで人を殺した。国のためとは言え、殺人犯と変わらない。そんなやつにサンタからのプレゼントはないさ」

「なら、俺たちのクリスマスプレゼントはきっと鉛玉さ」

 セオドールは少し冗談を言った。こんな冗談で笑えてしまうこの環境を憎くも思ったが、彼のような下っ端兵士はそんなことをしても何にもならない。セオドールはこの戦いの勝利を諦めかけていた。家族のもとに帰れればそれで良いのだ。



 クリスマスももう少しで終わりを迎える。


 適当なもので作り上げたツリーも、仲良くなれた記念の写真も、共に過ごした短い時間は終わる。

 そして、暗い戦争が再開するのだ。

「……俺の友人は、あなたたちイギリス兵に殺された」

 ハインツはセオドールにそう言い、手を差し出した。

「だから、仲良くするのは今日限りだ。あなたもだろ、仲間が俺たちドイツ軍に殺された」

「……ああ。けど、お前たちドイツ兵は憎くないさ」

「何故だ?」

「お互い様と言えるわけではないが、戦争を止められなかった俺たちにも責任はある」

 セオドールはハインツの手を握り、二人は強くて固い握手をした。

「それじゃあ、明日からは敵同士だ。短い間だったが楽しかった。ハインツ、良い夜を」

「こちらこそだ、セオドール。戦争が終わる頃に君が生きている事を願う」

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